<DeNA2−3巨人>◇25日◇ハードオフ新潟

巨人長野久義外野手(39)がプロ15年目で通算1500安打を達成した。

新潟でのDeNA戦。1点リードの9回1死二塁で代打で登場し、中前適時打で貴重な追加点をもたらした。一塁ベース上では、大城卓から記念ボードを受け取った。先発の山崎伊は8回2安打1失点と好投。7回には自ら勝ち越しの適時打を放ち、地方球場は今季4連勝で13年内海に並んだ。チームは貯金1とし、順位は一気に2位タイに浮上した。

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16年前の晩秋のことだった。「少し自然に触れてこい」。社会人野球ホンダの当時監督だった安藤強氏(現巨人2軍ヘッドコーチ)は、長野の胸中を悟り自腹で熊本行きの航空券を手渡した。「チョーさんが気落ちしているように見えてね。少し自然に触れてこい、と。あのときは外にも出せないような状況だったから」。08年10月のドラフト会議。ロッテから指名を受けた直後だった。2年前の日大卒業時、日本ハムの指名を辞退し同社入社。巨人以外は2度目も辞さない姿勢を見せていた中で、強行指名を受けた長野に気持ちの整理をつけさせたかった。

当時ホンダに九州出身で熊本・阿蘇にゆかりのある同僚の「坂本」がいた。その家族とも仲が良く「2人で阿蘇に行って、少し気持ちが晴れれば」と長野に促した小旅行。このときから“サカチョー”だった。

監督就任1年目の07年3月、沖縄・石垣島キャンプで入社間もない長野の打撃に目を奪われた。打線では3番起用。「なんでもできちゃうから」とほぼノーサインで、自由に打たせた。「バントをやらせなかったことが、今となっては私の反省点」と頭をかくほど信頼しきっていた。

阿蘇での空気に触れ帰ってきた長野は誕生日前日の12月5日、23歳最後の日に残留を表明。もう1年待って巨人入りの道を選んだから、今がある。

プロ15年。新潟の地で通算1500安打を放ち、長野は言った。「プロに入った頃には1500本も打てると思っていなかった。新潟で決められて良かったです」。今季、東京ドームでは試合前に記録達成目前を告知するアナウンスが流れ続けていた。「内海さんに東京ドームで放送がある度に言われていた。プレッシャーをかけられていたので、なんとかリーチから一発で決められてよかったです。とりあえず1501本目を目指して頑張ります」。浮き沈みの激しい境遇を経て、たどり着いた節目だった。【栗田成芳】

▼通算1500安打=長野(巨人) 25日のDeNA9回戦(新潟)の9回、坂本から中安打を放って達成。プロ野球138人目。初安打は10年3月27日のヤクルト2回戦(東京ドーム)で李恵践から。39歳6カ月で達成は、09年山崎武(楽天)40歳8カ月、09年緒方(広島)40歳5カ月に次ぐ史上3位の年長記録。