<春季高校野球神奈川大会>◇準々決勝◇28日◇サーティーフォー保土ケ谷球場

横浜、慶応、東海大相模、桐光学園の「神奈川四天王」が集結したものの、甲子園に直結する大会ではない。それでも、朝7時台から最大で3000人前後が入場チケットを求めて行列を作っていた。

前日午後3時ごろから並び始め、最終的には徹夜組も10数人。横浜市内に住む30代男性は「7時くらいに球場に着こうと思って、たまたま早起きしてSNSを見たら、もう保土ケ谷に行列ができていると知って。やばいと思って、そのまま出発して6時半には行列に加わりました」と証言。ネット裏やや一塁側寄りの中段を無事に確保し、強豪対決に熱視線を送った。

この4校や、Y校と呼ばれる横浜商などを中心に、神奈川は高校野球ファンが多い。この日勝利した横浜・村田浩明監督(37)も「神奈川県の野球熱のすごさに、ただただ圧倒されます」と驚き「だからこそ、強いチームを作り甲子園に行きたいです」と日々、教え子たちと励んでいる。

この日も3時間46分連続で入場チケットが売られ続け、午前11時過ぎには「満員札止め」になる時間帯もあった(球場定員は約1万4000人)。かつては桐光学園・松井裕樹投手(現パドレス)が活躍した頃にも満員札止めが発生している。

満員札止めに伴い、保土ケ谷球場正面にテレビが置かれ、さながら“街頭テレビ”となったのは03年夏、横浜−桐蔭学園の準々決勝でのことだった。

春のセンバツで準優勝した横浜は成瀬善久(元ロッテなど)涌井秀章(現中日)の2枚看板を擁し、村田現監督は2年生捕手だった。桐蔭学園も横浜同様、同年のセンバツに出場し、平野貴志投手(その後法大、新日本石油、日立製作所でプレー)を擁して全国レベルのチームだった。

当時、横浜で主将を務めていた吉田斉氏(現金沢高野球部長)はこの日、高野連の業務で来場。「あの日は大勢の人がスタンドにいましたが、球場の前にテレビが置かれていたなんて、終わってから知りました」と回想。21年後も変わらないフィーバーぶりに「本当に熱気がすごいですね」と驚きながら、運営対応をこなしていた。【金子真仁】