学研ホールディングスは11年連続で増収を続け、2020年9月期の売上高は約1440億円。かつては教育雑誌などの出版や「学研教室」の教育サービスが中心だったが、現在は介護や保育まで幅広く事業を展開する。10年前に就任した宮原博昭社長は赤字だった学研を立て直し、グループを引っ張ってきた。宮原社長は「荒波が来てもバランスを取って乗り切ることができるように、10年先を見据えたリーダーを目指してきた」と語る。

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――リーダーの条件は何でしょうか。

「防衛大時代、4年間リーダー論の講義がありました。卒業して自衛隊に入隊すれば、23歳で小隊長として年上の隊員を率いることになるからです。ただ、私はその講義がとても苦手でした。リーダーを意識し始めたのは学研に入社してから随分たって、東京に異動するころからですね。その時に改めてリーダー論を学び直しました」

「創業者は死ぬまでその会社のリーダーができます。ただ、創業者でない社長は駅伝のように、道半ばで後継者にタスキを渡さなければなりません。誰にどのタイミングでタスキを渡すのかが、とても重要です。前任の社長だった遠藤洋一郎さんは17歳も年齢が違う私にタスキを渡しました。今の私に当てはめると、43歳前後の人に渡したことになります」

「社長就任直後の3年間は1年先くらいしか見えていませんでした。今は10年くらいの将来を考えて経営判断するようにしています。社長が3、4年置きに方針を大きく変えてしまってはあまり意味がないと思います。今回の新型コロナウイルスのように、会社には大きな荒波が来ることがありますが、バランスをとって乗り切ることができるようになりました。3年先を見る、5年先を見る。リーダーによって考え方は違うでしょうが、私は10年先を見るようにしています」

■防衛大を出て「社会貢献したい」と考えた

――学研に入社した理由を教えてください。

「大学を卒業した後、貿易会社に入社しました。コンテナを自分で出したり商談をしたり、若い社員でも任せてもらえて達成感があって仕事はおもしろかったです。一方で、建設会社に就職した大学の同期が『俺たちは地図に残る仕事をしている』と話していたのが妙に頭に残っていました。素朴に良いなと思って、私ももっと社会貢献できる仕事をしたいと考えました。私は防衛大を出たこともあり、医療、安全保障、教育の3つは聖域だ、一番社会貢献ができる仕事だと考えたのです。そう考えて会社を探して、学研に決めました」

「学研には地域限定職として兵庫で入社しました。教室事業の担当になったのですが、大学時代に新聞委員会で会報誌を作っていたので、学研でも雑誌に携わる仕事がしたかった。なので拍子抜けしました。そして入社して最初の仕事が車で幼稚園に名札を届ける、というものでした。私は『なんて無駄な仕事をしているんだ』と思いました。希望と違う部署だし、思い描いた仕事内容とかけ離れていると感じたのです」