九州の高校球児情報に精通したアマ野球ウオッチャー「トマスさん」が丹念な取材でリストアップした好選手を紹介する「特命リポート」―。今回は、横浜高(神奈川)の織田翔希投手(1年)を紹介する。中学時代にもこのコーナーで取り上げた北九州市出身の逸材は、春夏通算5度の甲子園優勝を誇る名門に進み、激戦の神奈川で初めての夏に挑む。

   ◇   ◇

 6月17日、佐賀市のさがみどりの森球場。招待試合として開催された横浜対龍谷戦のお目当ては、これまでも取材で追いかけてきた横浜高の1年生右腕・織田だ。北九州から横浜に進んだスーパー1年生が佐賀にやってくると聞き、さっそく足を運んだ。

 試合前の遠投をチェックした。肩甲骨の稼働域が広く、柔軟性のあるフォームは健在だった。投球練習では名門・横浜の背番号18を背負ってマウンドに立つ。「スーッ」と投げ込む140キロ台の真っすぐに、バックネット裏で見ていた小学生も「スゲエー」とはしゃいでいる。

 1年生ながら先発を務めた織田は、さっそく高い能力を披露した。1回裏、龍谷の攻撃。1番・好打者の岩本琉至(3年)を見逃し三振に仕留めると、自己最速144キロのストレートにカーブとチェンジアップを交え、3回までパーフェクト投球。5つの三振を奪った。予定投球回は2〜3回だったというが、球数が少なかったこともあり、4回まで登板した。

 今度は岩本の打球がレフトを襲い、三塁打となる。(「あれはレフトフライ」某スカウト談)。その後、犠飛で1点を失うも、4回で52球を投げ、打者13人に対して被安打1、失点1、無四球、奪三振6という内容だった。三塁打と犠飛の2球は「甘めに入った球」と振り返った。2週間の調整を経ての久しぶりの実戦登板だったことで、疲れもあったようだ。

■将来はドラフト1位!?

 筆者の感覚では満点以上の投球だった。となると、織田を評する言葉探しには苦労する。頭をフル回転させて浮かんだ言葉は「織田は織田以上だった」。2023年夏の中学軟式日本最速右腕は「佐々木朗希2世」と呼ばれて将来を期待されており、九州を飛び出して名門高校に入学してからも進化を続けている。

 涌井秀章(現・中日)と横浜高時代にバッテリーを組んでいた村田浩明監督は「涌井は、入学時は130キロちょっと(の球速)で、能力では織田が上。ただし、涌井は自分に必要な練習をしていた」と指摘した。筆者が「将来は高卒でのドラフト1位指名を期待している」と伝えると、村田監督は「そんなに簡単なことではない」と言葉を選んだ。

 今後の成長に向けて、村田監督は「身長が184センチならば、体重84キロは必要」と体づくりの大切さを説いた。まだ成長期の右腕は「190センチ90キロ」「涌井以上に必要な練習をする」という条件がそろえば、織田が自らが掲げた「神奈川1強時代を築く」「全国制覇」「今夏145キロ、3年で155キロ」という目標も見えてくるかもしれない。夢が膨らむ選手だ。

 注目の神奈川大会は7日に開幕する。

 ◆織田 翔希(おだ・しょうき)2008年6月3日生まれ。北九州市出身。足立小学校1年から「足立クラブ」で軟式野球を始めて、投手兼内野手。足立中学校軟式野球部では1年春よりベンチ入りし、投手兼一塁手、遊撃手。1年時に秋季全日本少年軟式野球福岡県大会ベスト8、福岡県中学校新人軟式野球大会ベスト4。3年時に第40回全日本少年軟式野球北九州地区大会優勝、最優秀選手賞受賞。第48回九州中学校軟式野球競技大会第3位、第46回全国中学校軟式野球大会ベスト16。横浜では春季神奈川大会よりベンチ入り。同3回戦の茅ケ崎北陵戦で9回リリーフ登板し、デビューを果たす。最速144キロ。持ち球はカーブ、チェンジアップ。184センチ、69キロ。右投げ右打ち。

 ◆トマスさん 趣味のアマ野球観戦は通常の年は年間約200試合に上り、高校野球が8割を占める。取材範囲は福岡を中心に九州一円に及び、豊富な情報量にはプロのスカウトや新聞記者も一目置く。1992年夏の西日本短大付が最後となっている福岡勢の甲子園制覇を願ってやまない。ペンネームの「トマス」はスパニッシュネームだとか。