清原和博がプライドを覗かせた日。「自分の名前が出て、嬉しい……」

清原和博がプライドを覗かせた日。「自分の名前が出て、嬉しい……」

 カレンダーを見ると、ゾッとする。まるでゲームの世界か何かのように、どんどん時間が自分の後ろへとすっ飛んでいく。「今年もあと○日……」。実感のない数字を突きつけられるたびに焦り、狼狽え、やがて必死に思い出す。時間よ止まれ、とばかりに今年1年の記憶をたぐるのだ。

 3月のWBCに始まり、ボクシング村田諒太のタイトルマッチ、清宮幸太郎が散った西東京大会、カープの連覇、日本シリーズ……。記憶を早送りしているうちに、ある1日に私は止まった。

 それは何か特別な試合が行われたわけでもない、何の変哲もない1日だった。

 8月24日、白い壁の店の白いドアが開いて、清原和博氏が入ってきた。連載の取材のために月に2度、同じ場所、同じ時刻に会っていたが、いつも約束の時間よりも早くやってくる。

 席に腰を下ろして向かい合うと、私はいつも「体はどうですか?」とその日の状態を聞くようにしていた。覚醒剤中毒、うつ病、糖尿病と清原氏はいくつもの病を抱えており、日ごとに浮き沈みがあるからだ。

甲子園の最多本塁打記録を抜いた中村奨成について。

 ただ、この日、私たちにはそれよりも先に話すべきことがあった。浅黒く日焼けした清原氏もどうやらそれを待っているらしかった。

――広陵の中村くんが清原さんの記録を超えましたね。

 そう聞くと、清原氏は嬉しいような、悲しいような何とも言えない表情でこう言った。

「まあ、いずれ抜かれるとは思っていましたから。しかし、こういう時期にああいう選手が出てくるというのはねえ……。まあ、素晴らしいことですよね」

 その2日前、夏の甲子園では準決勝で広陵高校の中村奨成が2本のホームランを放ち、大会通算6本として、1985年に清原氏が打ち立てた1大会最多本塁打記録を32年ぶりに塗り替えたのだ。それが私たちが話すべきことであり、とりわけ清原氏が自分で言ったように、記録が破られたのが「こういう時期」だったということに、2人とも不思議なものを感じていたのである。

「絶対勝たなあかん決勝戦という舞台だったんで」

 清原氏はその試合を自宅のテレビで観ていたという。中村が打ったホームランは甲子園のバックスクリーンと左中間に飛んだ。それは'85年夏、PL学園の4番打者が宇部商との決勝戦で描いた2つの放物線とまったく同じ方向だった。それを見て、あの夏を思い出したのだろうか。

「僕の場合は先に4本打っている奴(宇部商・藤井進)がいて、追いかける立場でしたし、それに絶対に勝たなあかん決勝戦という舞台だったんで、あんなにさらりと簡単に打てるような感じではなかったんです」

 口調には、いつもより力があった。抗うつ剤の影響からか、普段の清原氏の表情は感情がうかがえず、言葉もどこかぼんやりしていることが多い。ただ、この日は窓からさし込む真夏の日射しのように強く、はっきりしていた。

――観ている側からすると、清原さんも中村くんも同じように、さらりと打ってしまった印象なんですが、自身の中でも、あの決勝戦の2本というのは中村くんのものとは違う、と。

「重かったですね。両方とも1点差で負けている状況だったんで。打たなければ負けるっていう。それに僕の場合は5本とも準々決勝からでしたから。重かったです。中村くんの場合は1回戦からコンスタントに打っていましたからね」

清原を清原たらしめた「氣」を久しぶりに感じた。

 私は次第に嬉しくなってきた。清原氏に、打席に立っている時のような「氣」を感じたからだ。それは自分の記録を塗り替えた高校生に対する負けん気かもしれないし、プライドかもしれないが、それがどのようなものであるにせよ、清原和博をその人たらしめてきたものが垣間見えた気がしたからだ。

 連載の取材中、自らの人生を語る清原氏はどこか遠く、別世界のことを語っているかのように感じることが多かった。そして、取材の合間に時折、こんなことを吐き出す。

「はあ、なんで覚醒剤なんてやったんやろ……」

「今は楽しいこともあんまりないですね」

 連載の趣旨として後悔の色が強くなるのは仕方ないのかもしれないが、目の前で話をしている清原氏と、かつて野球をやっていた清原氏が別の人間であるかのような錯覚に陥ることがしばしばあった。

自分の名前が出ることは、やっぱり嬉しい。

 だから、あの32年前の夏の英雄は、確かに自分であると、確信を持って語るこの日の清原氏がどこか新鮮だったのかもしれない。私はもっとそういう部分が見てみたかった。

――中村くんはプロでどういう打者になりますかね。

「あらかじめ、トップの位置を決めて、コンパクトに振り下ろすスイングですよね。ちょっと変化球に苦労しそうな打ち方ですけど、すごい選手が出てきたなあと感じますね。次はプロに入って、僕のルーキーイヤーの30本に挑戦してほしいですね」

 そう言う清原氏の自信に満ちた表情は、ユニホームをまとい、バットを握っていた頃と重なった。ここまできて、私は最初に見た複雑な表情が何を意味していたのか、わかった気がした。だから、こう聞いてみた。

――甲子園からしばらく清原さんの名前が消えていましたが、中村くんが記録をつくったことで、久しぶりにテレビ中継に名前が出ましたね。

 清原氏はしばらく沈黙した後に、こう言った。

「名前が出なかったというのは仕方ないんですよね。僕が起こした事件のせいなんで……。でも自分の名前が出てきて、嬉しいですね。やっぱりね……」

 こうして、また清原氏は執行猶予中の人生を1歩、進んでいけるのだろう。あの中村のホームランは多くの野球少年に夢を与えたことだろう。ただ、ここにも1人、あのホームランによって、自分を支えているものを思い出せた人がいる。野球の持つ力、スポーツの持つ力を感じることができた瞬間。

 だから、今、あの何の変哲もない夏の1日が妙に心に残っているのかもしれない。

文=鈴木忠平(Number編集部)

photograph by Hideki Sugiyama

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