小島太「俺はサクラの馬、境厩舎」名騎手、名調教師だった男の定年。

小島太「俺はサクラの馬、境厩舎」名騎手、名調教師だった男の定年。

 今年も、一時代を築いた伯楽たちがトレセンから去って行く。

 今月、2018年2月一杯で定年を迎え、厩舎を解散する調教師は10名。池上昌弘(453勝)、岩元市三(497勝、テイエムオペラオー)、尾形充弘(799勝、グラスワンダー)、加藤敬二(480勝、ノースフライト、エリモエクセル)、小島太(475勝、イーグルカフェ、マンハッタンカフェ)、佐藤正雄(198勝)、二本柳俊一(182勝)、福島信晴(358勝)、目野哲也(470勝)、和田正道(671勝)の各調教師だ。

 カッコ内は、2月4日終了時のJRAでの勝利数と平地GIを勝った管理馬である。引退が惜しまれるビッグネームも複数いて、時の流れを感じさせられると同時に、寂しさを禁じ得ない。

 なかでも、小島太調教師は、とても70歳には見えないし、騎手時代の活躍も華々しかった。それだけに、今月で引退というのが、個人的には信じられないような思いでいる。

騎手時代、GI級レース10勝の内9勝が「サクラ」の馬。

 小島師は、1966年に騎手としてデビューし、翌'67年5月に東京障害特別・春で重賞初勝利、6月に関屋記念で平地重賞初勝利を挙げる。25歳だった'72年に関東リーディングとなるなど、若くして頭角を現す。

 '78年にはサクラショウリで日本ダービーを勝ち、クラシック初制覇。翌年にはビンゴガルーで皐月賞を制するなど、大舞台で強さを発揮した。

 特に、ピンクの勝負服で「サクラ」の冠のついた馬での活躍が目立った。'86年にはサクラユタカオーで天皇賞・秋、'87年にはサクラチヨノオーで朝日杯3歳ステークス、'88年にはそのサクラチヨノオーで日本ダービー、サクラホクトオーで朝日杯3歳ステークスを制覇。

 '93、'94年にはサクラバクシンオーでスプリンターズステークスを連覇し、'95年にはサクラチトセオーで天皇賞・秋、サクラキャンドルでエリザベス女王杯を制した。GI(級)レース10勝のうち9勝が「サクラ」の馬によるものだった。

「97%の調教師がおれを起用しないんだけど……」

 騎手が馬主と専属契約をすることのあるヨーロッパならともかく、日本でこのように特定のオーナーの馬に数多く騎乗したジョッキーは、おそらくほかにいない。

 それに関して、'95年秋に筆者が構成を担当した田原成貴との対談で、本人はこう話している。

「ファンから見たら、小島太は日本一下手だと言うヤツが半分で、まあ、上手いと言ってくれるヤツも半分いるかもしれないけど、そんな程度の評価だと思うよ。おれはサクラの馬、境厩舎と形が決まっている。残りの97%の調教師がおれを起用しないんだけど、おれにしてみれば、どうしておれを使ってくれないのかな、という気持ちもあるんだ」

 華のある騎乗にとことん惚れたファンもいれば、「いい馬に乗っているから勝つだけだ」と嫌うアンチファンもいた。

サクラチトセオーで天皇賞を制し「辞めるなコール」。

 しかし、馬を動かす技術がなければ、通算1024勝を挙げることはできなかったはずだ。また、馬乗りに関する言葉は、非常に示唆に富んだものだった。

「競馬っていうのは、手を動かしたから仕掛けたとか、ステッキで叩いたから仕掛けたというものじゃないんだ。乗ってる者の気持ちがハッとしたら、それが馬に伝わる。仕掛ける、というのはそういうことなんだよ」

 同じ対談の場で彼がそう言ったとき、成績では上回っていた田原が衝撃を受けたように頷いていた。

 サクラチトセオーで天皇賞・秋を勝ったあと、スタンドから「辞めるなコール」が沸き起こった。

 騎手・小島太は、それほど特別な馬乗りだった。

 '96年に調教師となり、'97年に厩舎を開業してからは、2000年のNHKマイルカップと'02年のジャパンカップダートを勝ったイーグルカフェ、'01年の菊花賞、有馬記念、'02年の天皇賞・春を制したマンハッタンカフェなどを育てた。

 名騎手は、名調教師でもあった。

グラスワンダー育ての親・尾形調教師の“血脈”。

 春秋のグランプリ3連覇を果たしたグラスワンダーの育ての親として知られる尾形充弘調教師の引退も、喪失感が大きい。

 父は、メジロティターン(メジロマックイーンの父)などを管理した尾形盛次。祖父は、「大尾形」とも「競馬界のドン」とも呼ばれた尾形藤吉である。

 藤吉は、史上最多の通算1670勝、ダービー8勝を含むクラシック26勝といった金字塔を打ち立て、門下生には、日本にモンキー乗りをひろめた保田隆芳、最年少ダービージョッキーの前田長吉、「ミスター競馬」野平祐二のほか、松山吉三郎、伊藤修司、伊藤正徳調教師などがいる。

 その「尾形」の看板を、偉大な祖父が亡くなった翌年、1982年に厩舎を開業してからずっと背負いつづけてきた。

「父もそうでしたし、私も大きなプレッシャーを感じていました。調教師免許をとったとき、松山吉三郎さんから『おめでとう。でも、尾形の名前は重たいよ』と言われました。『尾形藤吉も盛次もいい調教師だったけど、あの三代目はどうしようもないね』なんて言われると祖父に顔向けできない。だから、私生活を含めて、朝の調教に出遅れるなど、だらしないことは一切しませんでした」

「やっぱり、人は財産だと思います」

 あと1勝で通算800勝。残り3週でなんとか達成してほしいところだが、自身の勝ち鞍に関して、700勝を超えたとき、こう話していた。

「1厩舎に20馬房という時代で、毎年20勝すれば30年で600勝ですよね。それが700勝できたということで、尾形藤吉の孫として、そんなに恥ずかしくない結果を出せたのかな、と思っています。それは、人に助けられた部分が多いですね。祖父ほど上手く人を育てることはできませんでしたが、やっぱり、人は財産だと思います」

 もうひとりの尾形和幸調教師は、同姓だが血縁ではない。尾形藤吉から受け継がれてきた「尾形」の看板は、競馬界からなくなってしまう。

3月には武幸四郎ら新世代の調教師が開業する。

「キタサンロス」に、「小島ロス」と「尾形ロス」まで重なってしまうわけだが、寂しいとばかり言っているわけにはいかない。

 入れ違いに、3月には武幸四郎調教師をはじめとする新調教師が厩舎を開業し、新人騎手もデビューする。

 また、小島師が育てたマンハッタンカフェは2015年に死亡したが、その血は産駒を通じてつながれている。騎手時代に騎乗したサクラバクシンオーはキタサンブラックの母の父としておなじみだ。

 尾形師がアメリカのセリで見いだしたグラスワンダーの血も、スクリーンヒーロー、その産駒のモーリスなどにより、さらに勢いを増すだろう。

 名調教師からの贈り物を大切に思い、新時代の競馬を見つづけたい。

文=島田明宏

photograph by Keiji Ishikawa

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