球団広報という白も黒もない仕事。清宮の機知が背中を押してくれた。

球団広報という白も黒もない仕事。清宮の機知が背中を押してくれた。

 私の仕事は、ベースボールの本場アメリカでは「PR」で通じる。入団してきた新外国人選手へ初めて挨拶をする時には、英語に疎いことをさらけ出しながら「ナイス トゥー ミート ユー。アイム ピーアール」と自己紹介をする。

 たった2つのアルファベットを棒読みするだけで、従事する業務を理解してもらえる。この部分だけを切り取ると、分かりやすそうな仕事だ。この「PR」とは「Public Relations」の略である。ましてやプロ野球界は、近そうで、遠く感じる世界だと思う。

 北海道日本ハムファイターズの球団広報が生業である。

 どんな職業なのか、極めて説明が難しい。時に過酷でもある。時に苦しくもある。時に悲しみ、むなしかったりもする。ネガティブ三昧に形容もできるが、それ以上に楽しく、やりがいもある。

広報は勝ち負けがつかないグレーな仕事。

 弊球団は、もちろん親会社である日本ハム本社のサポートなしでは成立しない。それを排除して考えれば、球団運営の源泉は「チーム」と、チケットやグッズ販売などで収益を生み出す「事業」に二分される。

 そのいずれにも属さないのが、球団の広報である。「チーム」は優勝などの結果、「事業」は利益など有形な価値を生み出す。だが個人の考えであると断っておくが、私には業績の優劣の指針がない。無形である。勝ち負けが明確な評価基準の世界の片隅に身を置きながらも「白黒」が明確ではない「グレー」な役割が、課せられた使命なのだ。私は、それが球団広報であると思う。

 この原稿が初回ということなので「日記」ではなく、年明けからの「グレー」な職務を紹介したい。

 2018年は、激しくスタートした。

 1月5日。札幌ドームの敷地内にあるオフィスで仕事始めをした。年末年始に未処理だった取材依頼のメールなどに返信して対応。デスクワークに終始すると、その翌日に上京した。

 1月7日からの主戦場は、千葉県鎌ケ谷市。都内のビジネスホテルから、ファーム施設のある「ファイターズ鎌ケ谷スタジアム」(通称:鎌スタ)を仕事の拠点にする日々が始まったのだ。

清宮に宮台、注目ルーキーに恵まれた。

 プロ野球12球団は、1月に新人合同自主トレなるものを行う。今年であれば、2017年10月のドラフト会議で指名した選手が一堂に集うのだ。ファイターズには7選手が入団。選手への取材をリクエストする報道陣への取材対応、またファンを含む来場する方々と調和を図りながら練習環境の整備、整理が主な仕事になる。

 幸運なことに、注目ルーキーに恵まれた。ドラフト会議で7球団が競合した上に射止めた1位は、清宮幸太郎選手(早稲田実業高校)。実力と話題性も兼備した7位宮台康平投手(東京大学)も、ファイターズの門をたたいてきた。

 ありがたいことに、多数のメディアの方々に日参いただいた。比例するようにファンの方々も、例年以上のにぎわいだった。そんな中で「グレー」な職務を、遂行していったのである。鎌スタには年明けから1月には計16日間、滞在することになった。

 かくして1月28日にアメリカへ向かった。行き先はアリゾナ州のスコッツデール。今年の一次キャンプ地は、最新鋭のアリゾナ・ダイヤモンドバックスのキャンプ施設である。

 お世辞抜きに、キャンプ施設としては世界NO.1だと評価が高い。澄みに澄んだ青空、湿気を体感できない乾いた空気。栗山英樹監督が、今シーズンの戦力の「下ごしらえ」をするのを間近で見ながら、選手たちとひとつ屋根の下で時を過ごした。朝昼晩とクラブハウスで食事をともにし、ほぼ1日の大半を一緒に過ごした。

 球団広報、意外に朝は早い。6時に宿泊先のホテルを出発し、仕事仲間と3人でレンタカーを約15分でキャンプ施設へ滑り込む。早朝取材を敢行する報道陣に、受付等の応対をするのが目的。

 夕食を終えるまで施設の敷地内から足を踏み出すことはほぼなく、1日の半分以上をキャンプ施設で過ごした。大好きな不摂生をする余力もなく、夜が更けていくのが常である。

名護でも泡盛を一滴も口にせず。

 あっという間の異国生活を終え、2月16日には沖縄へ。故障から打撃練習再開が秒読みとなった清宮選手を追うメディアも、熱気を増していった。

 今年は改修工事中の名護市営球場が使用できず、ビジターで練習試合とオープン戦といった実戦調整の連続。名護市滞在は前職の記者時代を含めて15年目で、初めて泡盛を一滴も口にしなかった。

 2月25日浦添でのヤクルトとのオープン戦を終えて那覇から東京入り。翌日には北海道へと上陸し、ついに本拠地へと到着したのである。

選手には似合うウェアもおじさん広報には……。

 札幌ドームでの通常の出勤時はネクタイを締めてスーツが主だ。来賓等に、いかようにも対応できるような狙いがある。ただキャンプ期間中は選手と同じチームウェアにベージュのチノパン、スニーカーが球団広報の「ユニホーム」である。

 今シーズン、ファイターズは「オークリー社」と初めてウェアを年間契約した。抜群のフィット感は、選手たちからは絶賛の嵐ではある。ただアスリートには強烈に似合うが、ぽっちゃり、むっちり体形で鳴らす42歳の「おじさん広報」には試練である。

 1年間、ほぼ接する記者たちが、見慣れないアクティブな装いの小職を見る視線も、戸惑いを隠せない「グレー」である。好奇の目から解放されると、球春は近いと実感する。

スポーツ紙の番記者から広報に転身。

 ベテランの球団広報のようにここまで記したが、転職2年目の春である。日刊スポーツ新聞社のファイターズ担当記者、いわゆる番記者を、北海道に球団が誕生する前年2003年秋に拝命。そこから2016年の10年ぶり日本一まで務め、ペンをおいた。

 2017年から現職。広報として、メディアに対応する。客観視していた選手と、同じ空間で過ごす。身近ではあったが、まるで鏡写しの真逆の世界へと足を踏み入れた感覚は、今もある。

 この年齢まで、野球に携われる幸せを感じながら今を生きている。恥ずかしながら、幼少時からプロ野球選手を目指していた。高校では運良く、ハイレベルなチームメートに恵まれて3年生の最後の夏に甲子園へ出場した。

 あこがれの聖地で、なぜか野球人生で1本だけの柵越えホームランを記録してしまった。少年野球時代に野原のような外野フェンスがないグラウンドでランニングホームランの経験はあるが、スタンドインは練習試合を通じても1本だけ。甲子園のみである。周囲から人生のピークと揶揄され、そんな声に抗おうとこれまで過ごしてきた。

清宮幸太郎「それで、勝ちですよ」

 そんな小職の経歴を、大半のファイターズの選手は知らないだろう。面影のない見た目を利用して、自ら明かすこともない。

 プロを志すには程遠いレベルであったことを、今になって再認識しているからである。ただ、時には「バレる」ことがある。アリゾナでのキャンプ中。歴代最多とされる高校通算111本塁打の清宮選手と一緒にいる時だった。あるスタッフが、甲子園でホームランをマグレも、マグレで刻んでしまった過去を耳打ちしてしまったのだ。

 清宮選手は「えっ……」と、しばし絶句する。こちらは「実は……」と認めた。

 そして私は、続ける。

「高校3年間で111本もホームランを打った選手を、1本しか打てなかった『おじさん広報』がカバーする。人生って、不条理でしょ……」と。

 自虐ではないが、気恥ずかしく、少々の悲哀はある。3年夏までベンチ入りしたこともない応援部員だったので、今でも時に一人歩きする「肩書き」に気が引ける。本音である。

 ただ18歳の天真爛漫なスラッガーはおおらかで、機知に富んでいる。

「その1本が、甲子園ってすごい。それで、勝ちですよ」

 そんなルーキーは高校1年夏に、甲子園で2本塁打している。

 心温まる「グレー」な賛辞にも励まされ、白黒が判然としない球団広報という使命と向き合うのである。

文=高山通史

photograph by Kyodo News

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