岩瀬仁紀が迫る前人未到の1000登板。年間50試合以上16回、異常なタフさ。

岩瀬仁紀が迫る前人未到の1000登板。年間50試合以上16回、異常なタフさ。

 この2月、私は宮崎、沖縄、高知の18カ所のプロ野球キャンプを回った。今年の春季キャンプは国内外、一・二軍併せて22カ所で行われたから、それでも回り切れなかったわけだが、これだけ回ったのは私のキャリアハイだった。

 気温27度の石垣島、ロッテキャンプでは、冷房が利いたバスにダウンジャケットを小脇に抱えて乗り込んでTシャツ半パンのあんちゃんの失笑を買い、粉雪舞う宮崎、南郷町の西武キャンプでは中畑清さんの「俺が来てるのに雪だとよ!」という雄たけびを聞いた。なかなか大変な毎日だった。

 12球団のキャンプで最も印象に残ったのは、沖縄県・北谷町(ちゃたんちょう)で行われていた中日の一軍キャンプだった。地元の協力会の話ではファンの数が倍増したという。言わずと知れた松坂大輔効果だ。売店の数は増え、松坂の背番号「99」のレプリカユニフォームが飛ぶように売れた。

 球団はブルペンの外に観客席を新設、キャンプそのものの雰囲気も明るくなったように思った。

93歳杉下さんが43歳岩瀬を見つめる。

 ブルペンでは松坂大輔をはじめ中日の投手陣が連日投げ込みをしたが、それをじっと見つめる長身の老紳士がいた。杉下茂さんである。ことし9月には93歳になる。1月4日に逝去した星野仙一さんの前の前の背番号「20」。星野さんの22歳年長である。

 私は『巨人軍の巨人 馬場正平』という本を書いたときにお話を伺った。そのときすでに90歳だったが、背筋はぴんと伸びていて、打てば響くように言葉が返ってきて驚いたものだ。

 私が中日キャンプを見に行った日、杉下さんがとりわけ熱心に見ていたのが背番号「13」、岩瀬仁紀だ。1974年11月生まれ。このほどシアトル・マリナーズに復帰が決まったイチローの1学年下。球界最年長選手はゆったりとしたフォームからボールを投げ込んでいた。

 私はブルペンで杉下茂と岩瀬仁紀、年の差49歳の2人のレジェンドが並んで立つのを目に焼き付けた。

誰も成し遂げていない「1000試合登板」。

 このオフ、岩瀬仁紀は、ベテランの悲哀を味わった。日本ハムから捕手の大野奨太がFA移籍するにあたって、中日は人的補償のためのプロテクトリストを日本ハムに提示したが、そこから岩瀬の名前が漏れていたという。

 過去にも現ソフトバンク監督の工藤公康や、江藤智など、名だたる選手が人的補償で移籍したことがあるが、ドラゴンズ一筋19年の大選手がそういう形で移籍するとすれば、いかに実力の世界とは言え、切ない話だった。

 結果的に岩瀬は中日で今季もプレーすることになった。彼の心中推して知るべしだが、今年、岩瀬はものすごい記録を達成しようとしている。

 それは「1000試合登板」である。日本プロ野球82年の歴史でこれを達成した投手は1人もいない。

<登板数歴代5傑 実働期間と投球回数>
1 岩瀬仁紀 954登板(1999−現役)950回
2 米田哲也 949登板(1956−1977)5130回
3 金田正一 944登板(1950−1969)5526.2回
4 梶本隆夫 867登板(1954−1973)4208回
5 小山正明 856登板(1953−1973)4899回

数字だけ見れば昭和より軽く見えるが。

 2位以下には昭和の時代の大投手が並んでおり、すべて200勝以上。こうした投手たちは、先発と救援を掛け持ちし、連投、3連投もいとわず投げまくっていた。

 昭和の大投手の投球回数は、岩瀬の数倍に達する。一方で岩瀬はまだ1000イニングにも達していない。

 数字だけを見れば、1登板で1イニング以下しか投げていない岩瀬の負担は、大先輩たちに比べれば軽いように見えるかもしれないが、先発、救援の分業が確立して以降のプロ野球は、昭和中期の野球とは全く別物になっている。投打ともに進化しているのだ。

森繁和監督が語っていた「消耗度」。

 岩瀬の数字を比較するなら、救援登板数のランキングで見るとより凄みが見えてくる。

<救援登板数10傑 ※()内は実働期間>
1 岩瀬仁紀 953救援1先発(1999−現役)
2 五十嵐亮太 754救援0先発(1999−現役)
3 鹿取義隆 739救援16先発(1979−1997)
4 山口鉄也 640救援2先発(2006−現役)
5 藤川球児 638救援19先発(1999−現役)
6 藤田宗一 600救援0先発(1998−2011)
7 高津臣吾 581救援17先発(1991−2007)
8 角盈男 575救援43先発(1978−1992)
9 宮西尚生 574救援0先発(2008−現役)
10 永射保 566救援40先発(1972−1990)

 岩瀬は954登板のうち、先発は2000年10月8日の広島戦だけ。残る953試合はすべて救援登板だった。岩瀬に次ぐ2位には、これも現役のソフトバンク五十嵐亮太がつけているが、岩瀬との差は199、岩瀬の記録はアンタッチャブルと言ってよい。

 岩瀬のボスである森繁和監督が解説者時代に、私は「救援投手の疲労度は、何で測りますか」と質問したことがある。森さんは「それは、ベンチで立ったり座ったりする回数に比例するんだよ」と即座に答えた。

 つまり、イニング数や投球数ではなく、登板回数、そしてイニングまたぎの回数が、消耗度に直結するということだ。

 それを聞けば岩瀬のすごさが改めて実感できる。

<1シーズン50試合以上登板した回数>
16回 岩瀬仁紀
10回 宮西尚生
9回 山口鉄也
8回 五十嵐亮太
7回 橋本武広、藤田宗一、武田久、藤川球児、平野佳寿
6回 永川勝浩、岡島秀樹、篠原貴行、薮田安彦、増井浩俊、サファテ

 岩瀬は2017年に4年ぶりに50救援登板を記録したが、50回以上も立ったり座ったりするシーズンを16度も経験して「壊れなかった」のだ。

セーブ数でも高津を100以上離している。

 シーズン50試合以上登板を1、2年記録する投手は、毎年何人も出る。若さや体力があれば、それは可能だ。しかしそれを5年、10年、15年と続けるのは、並大抵のことではないのだ。

 日米通算381セーブを記録し、2014年に日本の野球殿堂入りした大魔神こと佐々木主浩は、シーズン50試合以上登板はNPBで3回、MLBを含めても6回しか記録していない。岩瀬の異次元の持久力がわかる。

 岩瀬仁紀のすごさを語るときには、本来ならばセーブ数から入るべきだろう。しかし、セーブ数は指揮官の起用方針によって決まる。その前提として岩瀬の驚異的な「強靭さ」を語る必要があると思った次第だ。

<NPBセーブ数10傑>
1 岩瀬仁紀 404S(1999−現役)
2 高津臣吾 286S(1991−2007)
3 佐々木主浩 252S(1990−2005)
4 サファテ 229S(2011−現役)
5 小林雅英 228S(1999−2011)
6 藤川球児 223S(2000−現役)
7 江夏豊 193S(1967−1984)
8 馬原孝浩 182S(2004−2015)
9 クルーン 177S(2005−2010)
10 武田久 167S(2003−2017)

 その傑出度から見ても、岩瀬仁紀の野球殿堂入りは間違いないところだろう。

 史上初の1000試合登板まであと46試合。しかしこれは決して容易な数字ではない。真剣勝負のペナントレースである。シーズン序盤で結果を出せなければ岩瀬に多くの登板機会は与えられないだろう。

 球界最年長の岩瀬にとって、厳しい挑戦が続く。

 しかし、岩瀬はこの数字をクリアするのではないか。救援登板の奥儀に達した左腕は、最後に残された高い壁も乗り越えると信じたい。

文=広尾晃

photograph by Kyodo News

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