「東北にJリーグを」から20余年……。仙台で考えるプロ球団とホームタウン。

「東北にJリーグを」から20余年……。仙台で考えるプロ球団とホームタウン。

 仙台スタジアムで聞く『カントリーロード』が好きだ。東北を旅する道中で、一体感と懐かしさを感じさせるあの歌声に包まれるたび、土色の景色や行き交うトラックの多さに沈みがちな気分が慰められるような感じがする。

 『カントリーロード』で癒された後に、ブルーハーツの攻撃的だが、やはりどこかやさしいメロディが響き始めると、取材者の僕まで高揚してくるから大したものだと思う。まさしく電光石火でベガルタのカウンターが決まりそうな、そんな期待が膨らむのだ。

 仙台のサポーターは歌がうまいのだろうか。もちろん屋根付きスタジアムならではの反響効果もあるのだろうが。

 仙台スタジアムが開場したのは1997年である。当時、チームはJFL。Jリーグ(J2)入りは1999年だから、それに先立ってスタジアムがあったことになる。

 仙台では、1993年のJリーグ創設前からプロサッカーチーム設立の動きがあった。スタジアムの方はそれよりさらに前から建設計画があって、そこにJリーグブームの後押しが加わり、規模が少しずつ大きくなって現在の2万人収容の屋根付きスタジアムとして完成した。

ホームタウンを探して駆け引きが。

「東北にJリーグを」の掛け声で進められたチーム設立は、当初別の企業に声をかけていたと思う。調整がうまくいかず、東北電力サッカー部を前身としてベガルタ仙台(当時はブランメル仙台)ができた。「別の企業」のチームは、その後札幌からの誘致でコンサドーレになった。

 もう少し時計の針を戻せば、Jリーグの準備段階の頃には日本リーグの名門が仙台をホームにする案もあった。プロチームを共同運営することになった鉄道会社の営業エリアだったからだ。

 こうした話は仙台に限らず、あちこちに残っている。いわば“ホームタウン前史”。Jリーグの立ち上げ期はそれほど慌ただしい時代だったということだ。

 ちなみに仙台と話がまとまらなかった名門+鉄道会社のチームは首都圏で旗揚げしたが、Jリーグ開幕を迎えた時のホームタウンは県内の別の町になっていった。

浦和レッズが関西に誕生していた可能性も。

 彼らだけではない。あの頃は多くのクラブが「ホームタウン探し」に奔走していたのだ。

 いまやJリーグ最大クラブにして最多サポーターを誇るチームだってそうだった。アマチュア時代は東京のチームで、しかし東京にはJリーグ基準を満たすスタジアムがなく、リストアップした候補地には関西も含まれていたと聞いたことがある。

 浦和をホームタウンにすることができたのは、予定していたチームがプロリーグ参入をやめたからだ。もしかしたら“真っ赤なゴール裏”は別の町に出現したかもしれない。いや、その場合はいまのようにはならなかったのかも。

 とにかく、あの慌ただしさの中で、ほんのちょっとしたタイミングと巡り合い(それを運命というのだろうが)から現在のJクラブとホームタウンはスタートしているケースが珍しくないのだ。

 ホームタウンというと「故郷」を連想するが、現実にはあの時期、必要に迫られて(新しく創設されるプロサッカーリーグに加盟するために)それぞれのチームが選んだ場所。それがJリーグのホームタウンなのである。

かつてプロスポーツ不毛の地と呼ばれて。

 それでも、そんなふうに選んで決めたホームタウンのはずなのに、いまではまるで本当の故郷のようになっているのは、年月を重ねたからなのだろう――なんてことを考えたのは仙台にいるからだ。

 ベガルタがあってゴールデンイーグルスがあって、仙台スタジアムも宮城球場も盛り上がっている現在では考えられないことだが、仙台はかつて「プロスポーツ不毛の地」と言われていた。

「プロスポーツ」といっても事実上プロ野球のことを指していて、川崎も同じように呼ばれていたことからも、要は「ロッテ球団が本拠地を置いたが短期間で移転してしまった」ことからつけられた呼称なのだと思う。

 ちなみにロッテが仙台を本拠にしていたのは1973年から1977年まで。当初、宮城球場にはかなりの観客が押し寄せたらしいが、徐々に減少。結局、わずか5年で球団は仙台を去ることになる。

ロッテが仙台にした冷たい仕打ち。

 一時はプロ野球の来訪を歓迎した市民が背を向けるきっかけになったと言われているのが、1974年のポストシーズン。

 この年、ロッテはパ・リーグ優勝を果たし、それどころか日本一にも輝くのだが、なんとその日本シリーズを仙台ではなく東京で開催したのだ。おまけに優勝パレードも仙台では行わず新宿で……と並べれば、仙台に根付かなかったのはむしろ当然にも思える。

 故郷になるにはそもそも年月が足りず、しかも向き合い方も誠実さに欠けていた。ホームタウンになりようがなかったのである。

 もっとも、いまさらそんな昔のことをあげつらいたいわけではない。ここで僕が考えたいのは一連の出来事の背景にあるJリーグとプロ野球の違いである。

親会社は頻繁に変わり、本拠地も移転。

 個人的な話を少々。僕は少年時代を福岡で過ごした。だからライオンズファンなんです……と言うと、若い野球ファンは「ホークスじゃなくて?」と聞き返し、オールドファンは「ああ、西鉄ね」としたり顔になるが、どちらも外れ。僕が好きだったライオンズは太平洋クラブとクラウンライターである。

 太平洋クラブライオンズが誕生したのが小学2年生のときで、それが6年生になるとクラウンライターライオンズに変わり、中学2年のときに西武に身売りして、球団ごと埼玉に移転していった。

 そして福岡にはプロ野球球団はなくなった……のだが、それから9年後、今度は大阪にあった球団がスーパーに買収されて福岡にやってきて、でもそれはライオンズではなくホークスで……。

 これがプロ野球である。親会社は頻繁に変わり、その結果、チームそのものも動く。善悪の問題ではない。よりよいマーケットを求めて本拠地を移転するのは、ビジネスとして考えればむしろ自然。事実、日本ハムは北海道に移転して成功した。

 新球場を中心としたボールパーク構想は、ビジネスのみならず、ホームタウンとしての成功も叶えているように見える(仙台と楽天球団もそうだろう)。

 ライオンズの話をもう少しすれば、僕が応援していた太平洋クラブとクラウンライター。実は同じ球団だった。球団を保有していた会社が「チーム名だけ」を売っていたのだ。いまで言うネーミングライツ(命名権)である。ずっと大人になってその事実を知ったとき、僕は随分感心したものだ。40年前である。先進的な経営手法だったと思う。

Jクラブは町とともに発展するしかない。

 翻ってJリーグではこういう手法はとれない。そもそもチーム名に企業名を入れることができないからだ。仙台スタジアムをユアテックスタジアム仙台とすることはできても、ベガルタ仙台を変えることはできないのである(最近のニュースでいえば、ライザップ湘南に変わることもないということだ)。

 もちろんホームタウンも移せない。もっと人口の多い町へ、もっと経営環境のいい地域へ、と移転することなどできないのである。

 いや、規約上は手続き(理事会の承認)を踏めば可能だし、過去に移転した前例もあるが、創設から四半世紀が過ぎたいまとなっては現実的に難しい。マーケット以前に、感情的な反発が予想され、むしろリスクの方が大きいだろう。

 そんなふうに比較してみると、Jリーグには(プロ野球と比べて)ビジネス的な選択肢が多くないことがわかる。ドラスティックな変化をもたらすような経営判断をする余地はあまりない。

 言い換えれば、Jクラブはホームタウンとともに発展するしかないということだ。ここから動くことができない以上、チームを盛り上げたければ、まずこの地域を盛り上げなければならないのである。

 まして高齢化と人口減少、すでに始まっている地方の衰退、その先に待ち受ける消滅危険自治体……そんな近未来のとば口に立っているいま――。

 隆盛も衰退も、クラブとホームタウンは一蓮托生。Jリーグは本当にそうなのである。

文=川端康生

photograph by Yasuo Kawabata

関連記事

おすすめ情報

Number Webの他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

スポーツ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

スポーツ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

記事検索