ファイターズの「母」に贈った引退式。プロ野球を支える偉大なる女性たち。

ファイターズの「母」に贈った引退式。プロ野球を支える偉大なる女性たち。

 女は弱し、されど母は強し――。

 フランスの詩人、ヴィクトル・ユーゴーが残したとされる名言である。

 北海道日本ハムファイターズには、何人もの「母」がいる。傍目には男社会のプロ野球だが、献身的に全身全霊で尽くす女性たちがいる。そんな数多の大きな愛に支えられながら、チームは生命力を宿す。

 春は別れの季節である。旧年度の最終日である3月31日、本拠地の札幌ドームの開幕3連戦の2戦目。舞台裏は、センチメンタルな空気に満ちていた。ファイターズの誰もが敬愛するレジェンドと、お別れの時を迎えたのだ。

 ファイターズにとって、紛れもない「母」の1人だった。工藤悦子さん。札幌ドームのグラウンドキーパーを14年間、務め上げた。ファイターズが北海道に拠点を置く1年前からである。定年退職の日が、埼玉西武ライオンズとの一戦だった。謙虚で、実直な人柄。絶妙な距離感で皆と接し、控えめな性格の女性である。

 工藤さんらしいが、その試合で「引退」する事実を、ごく親しい周囲の人にしか明かしていなかった。

寡黙ながら懸命に土を鳴らす姿に……。

 当日は午後2時半開始のデーゲーム。いつものように早朝から普段通り、業務をこなしていた。力仕事である打撃ケージの設営など、勇ましく、グラウンド内を動き回っていた。いつもと変わらぬ景色であり、空気を漂わせていた。工藤さんのユニホームは、オーバーオールで長袖の作業着。全身を衣服に通さず、腰から上の部分は折り返して着用する。

 両袖を腰の前できつく結び、上半身はTシャツ姿である。小走りにグラウンドへ駆け出していき、黙々とトンボをかける。最後の持ち場は、一塁ベース付近だった。ファイターズの札幌ドームの試合では、日常の風景。ハツラツとしているが、寡黙な女性。懸命に土をならす姿に、みんな吸い寄せられ、心を奪われていた。

 グラウンドキーパーとして生涯ラストのファイターズ戦。5回裏終了後が、正真正銘の最後の整備になった。

「YMCA」を封印してでもセレモニーを。

 選手も含めた、チームの総意で送り出すことに決めた。約2分間を、工藤さんへ捧げた。東京ドームをホームとしていた時代からの恒例である軽快なリズムに乗った「YMCA」のダンスも、この日ばかりは排除して決行した。球団内で、そのルーティンの有無の是非を論議する際、誰も異論を唱えなかった。

 理由はシンプルに「工藤さんだから……」だった。

 せめてもの感謝の思いを、精一杯込めた。場内の大型ビジョンで、スペシャルムービーを流した。読売ジャイアンツ時代から親交が深かった矢野謙次選手、本拠地移転当初からお世話になったベテラン田中賢介選手がメッセージを送った。栗山英樹監督は、花束を手渡した。日ごろは5回裏終了後には、クラブハウスへ戻るなどして一息つく選手が多いが、ホームの三塁ベンチに滞留していた。

 それぞれが目に焼き付けるように、最後の勇姿を見届けていたのである。

 誰1人、着座せず、スタンディングオベーションだった。すべて工藤さんには、内緒にして計画したセレモニー。素晴らしく花を添えてくれたのが、来場した4万人超の満員のスタンド。私たちと、心を重ねてくれた。事情を察し、少しずつボリュームが上がりながらの温かい拍手のシャワーが、降り注ぐ。

 工藤さんは、小さく四方に丁寧に一礼をして去っていった。

報道陣まで記者席で涙していた。

 後で聞いた逸話である。当日のテレビの試合中継の解説を務めたOBの1人、岩本勉氏は本番中にむせび泣き、言葉にならなかったという。

 取材の合間にコーヒーを注いでくれたり、おやつをもらったり、時に人生相談をしたり……。姿勢が悪く、猫背で鳴らす私もスポーツ紙の記者時代に「腰が悪いの、高山さんは。大丈夫ですか?」とよく心配されたものである。同じように工藤さんと触れ合った報道陣の数人も、記者席で涙していたことも知った。

 グラウンドキーパーを卒業し、職務から解き放たれた翌日4月1日。やわらかい笑みをたたえた工藤さんは、オーバーオールを脱いでいた。ファイターズグッズなどを身に着け、娘さん夫婦と札幌ドームを訪れた。はしゃぎ、小躍りするような姿は初見だった。

「やっと、ちゃんと応援できるんですよ。寂しいけれど、うれしくってね」

 愛くるしい北海道なまりで、いつもよりハイトーンだった。ファイターズに関わって16年目で、プライベートでのスタンド観戦は初めてだという。

監督の運転手という立ち居振る舞い。

 もう1人の「母」を紹介する。ファイターズが現職に、任務をお願いしたのは2003年。トレイ・ヒルマン元監督が就任した年である。札幌ドームへと本拠地を移す前年、東京ドームのラストイヤーである。歴代、監督が乗車するタクシーの運転を託しているのが女性のベテラン運転手Yさんである。

 就任7年目の栗山監督が、関東近郊で移動する際は、いつもドライバーを務めてもいただいている。

 過日のこと。広報業務で栗山監督と同行する機会があり、初めて人柄に触れた。

 担当記者時代から、Yさんをお見かけし、存在を知ってはいたが、言葉を交わすことはなかった。車内での立ち居振る舞いは、まさしくプロである。多弁な運転手の方々とよく知り合うが、Yさんは車内では黙して語らず。栗山監督と、小職が話しかけた時だけしか言葉を発しないのだ。

「どうぞ、監督と一緒に飲んでください」

 信頼をされ、長きにわたってお願いをしている理由を、少しだけ垣間見た。

 Yさんと2人で、栗山監督を迎えに行く時である。コンビニエンスストアの前で突如、路上駐車。

「ちょっと待っていてくださいね」

 一言残して店内へ姿を消すと、戻ってきた。両手には、ホットコーヒーと複数のスポーツ紙。「どうぞ、監督と一緒に飲んでください」と1杯プレゼントされた。その数分後。ピックアップして車内に乗り込んだ栗山監督へ、こよなく愛するホットコーヒーを、おもむろに供した。

 両手で受け取ると「ありがとうございます」と一言だけお礼を伝え、おいしそうに口へと運んだ。Yさんは、またそこから無言。栗山監督とYさん。長い年月とキャリアを感じる、あうんの呼吸を体感したのである。

 帰りの車中。栗山監督が降車すると、Yさんと小職の2人の時間。いろいろと会話する機会が生まれたのである。重かった口を開いてもらえると、かわいらしいエピソード満載である。

パ・リーグ制覇の日、選手たちが……。

 一例を挙げる。2年前の2016年9月、埼玉西武ライオンズ戦。敵地で4年ぶりのパ・リーグ制覇を決めた日のことだ。栗山監督を都内中心部のビール掛け会場のホテルへと送り届けるのが、その夜のYさんの使命だったそうだ。

 同じ会場へと向かう選手バスに横付けしたタクシーで待機。隣のバスの窓にふと目をやると、乗り込んでいた選手たちが手を振り、ガッツポーズをしていたそうだ。

 Yさんは「それが、本当にうれしかったんですよ。今でも忘れません」と声を弾ませて告白してくれた。

 その年には、球団新記録の15連勝を達成。記念グッズのTシャツを限定で受注販売したが、Yさんはこっそり購入していた。きっと慣れないであろうインターネット等を駆使して、何とか手に入れたのだろう、と容易に推測できる。こっそり教えてくれた。

「栗山監督のサインをお願いしたいんですけれど、言い出せないんですよ。私の夢の1つなんです」

 グッズを手に入れてから2年を経過しても、夢は叶えていないのだ。何度も、何度も、チャンスはあっただろうが、口には出せないそうだ。

女性ならではの感性、きめ細やかな配慮。

 栗山監督の信頼は、言うまでもなく絶大である。関係も、素晴らしく構築できている。公私混同しない。仕事に頑ななまでに徹する姿勢を崩さないからこそ、今もYさんのTシャツはまっさらなままなのだ。それが本物のまごころ、なのである。わが身を振り返り、身につまされる。

 ファイターズの職員にも、多くの女性がいる。小職も含め、力強く支えてもらっている。また内部だけではなく、チーム周囲にも多くの女性の存在がある。遠征地の宿泊先の方々は、バスが出発して視界から消えるまで手を振り、送り出してくれる。球場から帰る時には、寒空の真っ暗闇の中でも沿道で出迎え、勝利を一緒に喜んでくれる。

 敵地での試合前に温かい食事を提供してくれるスタッフの方々が、選手にメッセージを添えたお菓子をプレゼントするシーンを目にしたことがある。ある選手は次の遠征地まで、大切にバッグに忍ばせていた。女性ならではの感性、きめ細やかな配慮で日々、サポートしてもらっている。

「母」たちに感謝して今季も戦い抜く。

 表舞台に立ち、姿を現す場面は少なく、クローズアップされることは稀有である。それでも懸命にプロ野球と向き合う姿に、それぞれの持ち場の女性たちの覚悟を見る。プロ野球チームが成立しているのは、存在あってこそなのだ。

 工藤さんが、札幌ドームのグラウンドにトンボを通して注ぎ続けた思い。

 きっと、土を踏みしめた選手たちの力へ転化されてきただろう。

 Yさんの丁寧なブレーキの加減、ハンドルさばきから伝わる愛情。

 激務に身を投じる栗山監督の活力になっているだろう。

 男社会のスポーツ界で、女性のあり方にいろいろな意見、見解が渦巻く今日この頃である。

 ファイターズは「母」たちに抱かれ、感謝をして、今シーズンも戦い抜くことを誓う。

文=高山通史

photograph by Sponichi

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