ダバディだけが知る本当の「ハリル」。“鬼才”前日本代表監督との3年間。

ダバディだけが知る本当の「ハリル」。“鬼才”前日本代表監督との3年間。

 ハリルホジッチ監督が解任された。

 田嶋会長の会見を聞いた。

 東京五輪を見込んで、全員日本人で団結したかったということでしょうか。21世紀にしてその発想とは、虚しい。悔しい。

 私は、単一民族主義は間違っていると思う。理性を働かせて理解することはできるが、必ず失敗することも知っているから。

 ハリルさんが育った旧ユーゴスラビアの黄金期は、すくなくともスポーツや文化において、あらゆる民族、宗教、文化が混ざり合った'80年代だった。彼の母国であるボスニアで開かれた'84年のサラエボ五輪はその象徴だった。

 サッカーでも、マラドーナのアルゼンチンを追い詰めたオシム監督のユーゴスラビア代表は人種のるつぼだった。ハリルさん自身も異なる民族の血を引き、国際結婚をし、異国(フランス)で自分の子供たちを育てたのだ。

 だからコスモポリタンなハリルさんが日本代表の監督になった時、とても嬉しかった。日本サッカーが変わる、その確信があったのだ。

低いピッチの声、威厳のある言葉遣い……。

 私が初めてハリルホジッチ監督と話をしたのは、3年前の夏だった。

 フランス国籍も持っている彼に、在日フランス大使館からある依頼があったのだ。そこで、フランスのサッカー記者から教えてもらった彼の携帯電話にかけると、一発で出てくれた。

「アロー(もしもし)?」

 低いピッチの声、威厳のある言葉遣いを未だに覚えている。なにより、フランスとフランス人に対する愛情をすぐに感じた。

 当時の在日フランス大使には、2015年11月にパリで行われる「第21回気候変動枠組条約締約国会議」(COP 21)を日本でPRするための、知名度ある親善大使が必要だった。ハリルさんは依頼を迷わず受けてくれた。

フランスという国に義理堅かったハリルさん。

 彼にとって、フランスは3度も恩を受けた国だ。

 '80年代には旧ソ連ブロックから脱出するチャンスを与えてくれたフランスの名門FCナントの恩を受けた。

 '90年代には旧ユーゴスラビア紛争中に、またも彼と彼の家族に手を差し伸べたフランス2部リーグのボーヴェの恩を受けた。フランス国籍も取得した。その後、リールやパリ・サンジェルマンで監督として活躍し(現役時代にもフランスサッカー界のエースだったことがある)、'00年代にレジオンドヌール勲章をもらったのが3度目の恩。

 義理堅いハリルさんは、フランスに対していつも感謝の心を抱いており、私はフランス大使館と彼との繋ぎ役になった。

サッカー頭脳もトルシエ監督よりも上だった。

 お互いをじっくり知り合うきっかけとなったのはEURO2016だった。

 WOWOWのアンバサダーになった彼と、1カ月間試合を見続けたのだ。コンビとして初めての仕事。生放送で彼の通訳や試合解説のアシストをした。

 その間、何度か彼の実家へお邪魔したり、彼が私の実家に来たりもした。彼の奥様、2人の子供たちとも親しくなった。

 私は終始ご機嫌だった彼の、とりわけ戦術眼と洞察力に圧倒された。

 戦略家としての彼のサッカー頭脳は、私が知っているトルシエ監督より上、醸し出すカリスマ性も圧倒されるほどのものだった。

 そんなハリルさんと私は、EUROの最終日に設定したべンゲル監督との対談の際、初めて喧嘩をした。

 原因は私にとっては些細なことだ。

「俺はべンゲル監督より下なのか!」

 私がハリルさんに用意していたホテルはサン=ジェルマン地区のプチホテル。

 対して、べンゲル監督は五つ星のパークハイアットに泊まっていた。

 それを知ったハリルさんに「俺はべンゲル監督より下なのか!」と怒鳴られたのだ。

 もちろん私は理性を持って彼を説得した。私の実家はまさにサン=ジェルマン地区にあり、パリっ子として、こちらが好みだからという主観で選んだんだと。

 しかし、彼のプライドはすごい。

 言い合いのなか、私も初めて冷静さを失って激しく反論したが、突如として彼は黙ってしまった。

“今回の件は流すが、私はヴァイッド(ボスニア語では「唯一の」を意味する名前)だ! 俺をリスペクトしろ”、と暗に示すような重たい空気が漂った。

 確かに、彼はボスニアでは国民的ヒーローであり、フランスでもスーパースターなのだ。

 日本の人たちは、最後までそのオーラを理解しなかったと思う。サッカー文化や教養の違いだろう。

仕事の厳格さと、スタッフにかける圧力と。

 あの衝突以来、2人で喧嘩をすることはなかった。

 お互いを尊敬し合う残り2年間になった。

 そこでは、仕事に対する彼の厳格さと同時に、周りのスタッフにかける半端ない圧力を何度も垣間見た。

 通訳の樋渡群さんはそれに立派に耐えていたが、右腕のジャッキー(・ボヌベー/前日本代表コーチ)さんは喧嘩を重ねた末に疲れてしまった。

ハリルホジッチは、まさに鬼才だった!

 ハリルさんは鬼才。

 その情熱はまさに火の鳥だ。

 彼が怒りを持って飛んでいくと、ついて行く忠実なフォロワーたちも火傷をする。

 あの分厚い眉毛から稲妻が放たれ、雷が落ちる。

 温室育ちの日本人選手たちはその前で萎縮し、他の日本人スタッフにも猛獣使いのノウハウはなかったのだろう。

 「私なら出来る!」と思い、日本サッカー協会にアピールして、いくつかの仕事を私も任されることになった。しかし、私と同様に異文化を知り、ハリルさんの波乱万丈な人生も理解している人間が、本当は、さらに3、4人は必要だったのではないだろうかと思っている。

彼を少し讃えてから話せば良いだけだったのに……。

 もちろん彼には優しい面もあった。

 娘さんへの愛情、家族との絆、フランス・メディアにも冗談を飛ばす姿があった。解任1週間前には、フランスの伝説的なサッカー番組『TELEFOOT』への生出演があり、多くのサッカーファンへ自信に溢れ、かつお茶目な姿を見せていた。

 絶好調だった。

「ロシア大会が待ち遠しい」と良い緊張感もあった。

 思い返せば、日本での彼の記者会見やテレビ出演はいつも硬かった。取材する側は彼のツボを掴めなかった。彼を少し讃えてから話を始めれば、すぐにあの殻は破れるのだ。

「そんな必要はない!」と言われるかもしれないが、これこそ日本人が苦手な外交、異文化コミュニケーションだと私は思う。

 ボスニアやアフリカでは、大事な話をする前に、お茶をしたり四季の話をしたり、ジョークも飛ばすものなのだ。

田嶋会長もフランス大使館に謝罪。

 ハリルさんは監督を解任されたが、私には引き続きフランス大使館と彼の間の橋渡し役として、残っているいくつかの仕事がある。

 フランス名誉市民の彼を私たちフランスがアシストしなければならない。

 日仏交流160周年の今年、日本がW杯をフランス人の監督で戦わなくなったことをとても寂しく思う。

 田嶋会長も私を通じてフランス大使に謝った。

 私はただ、3人の大事な友達、ハリルさん、ジャッキーさん、シリル(・モワンヌ/前日本代表フィジカルコーチ)さんを失うのが辛い。

 1つのミッションが終わった。失敗で終わった。いまは反省するより、それをゆっくり悲しみたい。

文=フローラン・ダバディ

photograph by Florent Dabadie

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