ヴィッセルが進める“バルサ化”とは。三浦淳寛SDに聞いた大改革の全貌。

ヴィッセルが進める“バルサ化”とは。三浦淳寛SDに聞いた大改革の全貌。

 今、ヴィッセル神戸で静かに、大きな改革が進んでいる。

 昨年、W杯王者の元ドイツ代表・ポドルスキを獲得したことで話題になったが、それは序章にすぎなかった。今年はスタッフの補強にも力を入れ、アメリカ代表でクリンスマンの右腕だった咲花正弥をフィジカルコーチに招聘し、プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスで活躍していたデータ分析官を“社内異動”させた。

 施設への投資も惜しまず、本拠地となるノエビアスタジアムに天然芝を繊維で補強したハイブリッド芝を導入。シーズンを通して、質の高いピッチでプレーする環境を整えた。

 そして最大の改革として期待されるのが、親会社・楽天のパイプを利用してFCバルセロナのノウハウを知り、ヴィッセル独自のサッカースタイルを築くという“バルサ化”プロジェクトだ(独自スタイルの確立が目的のため、厳密に言えば「バルサ化」という表現はふさわしくないが、一般的なサッカーファンの間での認知度を考慮し、本原稿ではあえてこの言葉を用いることにしたい)。

三木谷会長からオファーを受けて。

 そのプロジェクトの陣頭指揮を取るのが、今年スポーツダイレクター(SD)に就任した三浦淳寛だ。

 三浦は同じ43歳の平野孝、2歳上の林健太郎に声をかけ、特別チームを編成。現在、三浦がSD、平野がアカデミー部部長兼スカウト部部長、林がトップチームのアシスタントコーチとして、それぞれの立場からプロジェクトを実行しようとしている。

 三浦にオファーが届いたのは、昨年12月のことだった。山形県で自身が運営するサッカースクールをやっているとき、ヴィッセルの三木谷浩史会長から「1度会えないか」と電話がかかってきた。

 三浦は東京に戻ると、会長の自宅を訪問する。そこで力を貸して欲しいと誘われたのだった。

横浜F時代、レシャックとの出会い。

 だが三浦には、引退後ずっと追い求めてきた目標があった。それは監督になることだ。

「僕は監督になるために引退を決断し、それから順番にB級、A級の指導者ライセンスを取り、ついに2016年9月、S級ライセンスを取得した。さあこれから指導現場に入ろうと考えていたので、SDとしてのオファーにすごく迷いました」

 しかし今回のオファーには、三浦の目標とオーバーラップする部分もあった。それはバルサ的なサッカーに挑むということだ。

「自分が監督になったら、こういうサッカーをしようというアイデアを、ずっとメモしてきたんですね。それはゲームを支配するサッカーで、まさにバルサのスタイルに近いもの。三木谷さんからバルサの話が出て、SDとしての挑戦を決意しました」

 三浦が初めてバルサのサッカーに出会ったのは、1998年、横浜フリューゲルスの監督にカルロス・レシャックが就任したときだった。

 かつてバルサでFWとして活躍し、引退後はヨハン・クライフ監督のアシスタントコーチを務めた男は、フリューゲルスに3-4-3を導入。成績不振で9カ月で辞任することになったが、バルサイズムを日本に伝えた。

「チャーリー(レシャック)からは、もっと頭を使えと言われた。日本人はよく走るけど、逆にパスコースを消してしまっていると。ポジショニングの大切さを言われ続けました」

「ヤットもモトさんも感化された」

 当時、三浦、山口素弘、吉田孝行(現ヴィッセル神戸監督)、そして高卒でいきなり先発起用された遠藤保仁らは、レシャックから衝撃を受けた。

「ヤット(遠藤)もモトさん(山口)も、当時関わった人はみんな感化されたと思う。始めは難しかったが、どんどん良くなったのを感じた。なぜあれを続けられなかったのか。本当にもったいなかったと思います」

 ただ、20年の時を経て、その経験を生かす機会が訪れたのだから、人生はわからない。

 そのときの人脈も生きようとしている。フリューゲルス時代、レシャックの下でアシスタントコーチだったジョルディ・ロウラが、現在バルサのアカデミーダイレクター(育成部門責任者)を務めているのだ。

クラブ施設を見学し、レクチャーも。

 今年3月、三浦は三木谷会長とともに3日間バルサを訪問したとき、ロウラと再会を果たした。

「フリューゲルスのときに得たものは大きい。3月にバルサに行った際、アカデミーで何をしているか、ロウラから深く話を聞くことができました」

 さらに三浦はバルサの施設を見学し、各部門のトップからレクチャーを受けることができた。当然、これにはロウラだけでなく、バルサの「メイングローバルパートナー」である楽天の後押しがあった。

「三木谷会長とCLのチェルシー戦を見に行ったら、カンプノウの一番上のVIPルームに通され、バルサの会長らお偉いさんが次々に『はーい、ミッキー』と挨拶に来た。こんなすごい人と一緒に仕事をしているんだなと(笑)。翌日、三木谷会長とともに、バルサのすべてを見せてもらえました」

 では、バルサのノウハウとは何か? そう訊くと三浦は、「平野と林が1カ月間研修を受けたので、2人に聞いてほしい」ということだった。2人のインタビューは後日、別記事で紹介しよう。

「アブダビの夜」とSDの関連性。

 三浦はジーコジャパン時代、日本代表で主力ではなかった。だが、控えという立場でもできることがある。三浦は常にチームがひとつになれるようにサポートしていた。その代表例が「アブダビの夜」と呼ばれる選手ミーティングでのスピーチである。

 2005年6月、W杯最終予選の終盤、ジーコジャパンは直前のキリンカップで2連敗し、大一番のバーレーン戦を前に迷いが生まれていた。三浦は選手ミーティングで「俺はW杯に行きたい」と熱くスピーチし、選手がまとまるきっかけをつくった。

「あのときの自分の役割とSDの仕事は、似た部分があるかもしれない。試合に出られなくても、自分の思いを伝えるのはすごく大事だと思う。チームと会社組織というのは、似ているような気がします。キャプテンだったら、あいつ元気ないな、あいつ調子乗っているなとか、全体を見る。SDはそれと同じような立場。そんなに違和感はないですね」

「僕がいる間は、絶対に崩さない」

 バルサ化の道のりは、当然ながら簡単ではない。スタイル確立には時間がかかるだろう。三浦はそれを覚悟している。

「僕がいる間は、このスタイルを絶対に崩さない。吉田監督にずっと率いてほしいが、万が一交代することになったとしても同じスタイルの監督を選ぶ。クラブ内には何年で何を実現するかという計画はありますが、それを外に出していいことはない。それは我々の中で、ちゃんと共有していればいい。うちうちには目標とKPI(重要業績評価指標)をしっかり設定しています」

 これまでJリーグでは、監督からフィロソフィーが発信され、それがクラブに還元されることはあったが、SDがサッカースタイルを明確に宣言し、それをもとに監督や選手を選ぶケースはほとんどなかったように思う。

「三木谷会長は個人として、クラブに大きなお金を投資してきた。そういうサッカー界に貢献している人をハッピーにさせたいという思いが純粋にある。投資が無駄ではなかったと思ってもらえるように、ヴィッセルのスタイルを築いていきたいです」

 近い将来、三浦はJリーグにおけるSDのあり方を変えるのではないだろうか。

文=木崎伸也

photograph by Shinya Kizaki


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