ノーコンは“不治の病”なのか。ある雪国のエースが出した答え。

ノーコンは“不治の病”なのか。ある雪国のエースが出した答え。

 子どもの頃、原っぱや公園でやっていた草野球で、私は“ノーコン投手”だった。いつもマウンド(平らな場所にプレート代わりの木棒を置いただけだが……)に立ちたがるわりには、投げ方の道理を知らないのだから、ボールは思うところにいかなくて当たり前だった。

 もっともそれは他のみんなも同じで、だから私だけでなく、全員がお互いに親しみを込めて「ノーコン投手」と呼びあっていた。それはあくまで野球を遊びとしてプレーする者たちの愛称のようなものだった。

 大人になり、プロ球団の番記者をやるようになったばかりの頃、1人の新人投手が入ってきた。彼はドラフトの上位で指名されたために、すごく注目されており、最初はいつもメディアに囲まれていた。私もその中にいた1人だったので、彼が困惑している様子も間近で見ていた。

「僕、評価されすぎなんですよ……」

 雪国の田舎町で生まれ育った投手にとってみれば、たった1日で世界の景色が変わってしまったように思えただろう。

 まだ彼にとって最初のシーズンが始まる前のある日、キャンプ地の宿舎ホテルで大浴場に入っていると、偶然、彼も入ってきた。

 一緒に湯船に浸かった。たしか、何気ない話をしていたと思うのだが、あまり記憶にない。ただ、途中でふと彼がこう漏らしたことだけはよく覚えている。

「僕、評価されすぎなんですよ……。みなさんが思っているような力、ないと思うんです。なんか、怖いんですよね……」

 私はなんて返したらいいのかわからず、「うーん……」と言いながら、やたらと熱い湯船にあごまで沈んだ。

 それから間もなく、彼はピッチング練習でストライクが入らなくなった。それどころか、とんでもないところにボールが行くようになった。監督は怒り、コーチは呆れ、メディアはそれを報じ、やがて一軍からいなくなった。

「『心の問題だ』とよく言われました」

 私は、彼がメディアの前から消えるまでの、このあっという間のできごとを間近で見ていたのだが、ずっと風呂場で聞いた彼の言葉が耳に焼き付いて離れなかった。

 そして何年かすると、1度も一軍のマウンドに上がることなく、彼はプロ野球を去っていった。

 それから数年後、彼とグラスを並べてカウンターに座った。その顔は、あの日、湯けむりの中で見たよりもずいぶんとすっきりしていた。今は社会人チームでピッチャーを続けていること、かなりいい成績を残していること、狙ったところにボールを投げられることなどを話してくれた。

 そして、彼は、世界が一変したドラフトの日から自分の身に起こったジェットコースターのような出来事を要約してみせた。

「あの頃はいろいろな人から『心の問題だ』とよく言われました。プレッシャーに潰されたんだ、と。自分もそうだと思っていました。僕は心が弱いんだって。でも、違うんです。今ならわかりますよ。僕は技術がなかったんです。ボールを狙ったところに投げる技術が足りなかったんです」

“ノーコン”への答えはある。

 技か、心か。

 原因は見えるのか、見えないのか。

 つまり“ノーコン”は不治の病か、否か。

 球史に暴れ球しか記憶されなかった彼は「答えはある」と断言した。

 それを聞いて、なぜかホッとした。救われたような気がした。

 心が壊れた――。周りはともかくとして、本人までそう認識したままでは、そんな曖昧な諦めを抱えたままユニホームを脱いだのでは、彼がその先に歩いていけないような気がしていたからである。

藤浪晋太郎は、技術の人だ。

 翻って、今、藤浪晋太郎を思う。

 他の人よりもずいぶんと長い四肢を持つピッチャーは思うようにボールを制御することができず、無期限二軍降格の渦中にいる。

 現在、二軍の鳴尾浜球場で汗を流しているという藤浪の内面はわからない。舞台裏でたどってきた苦悩のプロセスも知らない。

 ただ、イメージにある藤浪は技術の人だ。「たぶん、こういう感じ」という曖昧さを排除し、「今までこうだったから」という慣習にとらわれず、理論で野球を突きつめていく人だった。

 藤浪は、それこそ雪国のエースとは全く違う。名門校で2年生からマウンドに立ち、全国の頂点を極め、プロの世界でも勝ち続け、まばゆいスポットライトだって当然の景色としてその目に映してきた。

 今、藤浪の周りには、有り余る才能がもがいている要因を「心」であると指摘する声も少なからずある。

 また、外から見ている者にとっては、金本知憲監督と藤浪の関係は、昭和の厳格な親父と、自分のやり方でそれを越えようとする息子のようにも映っているかもしれない。

無意味な議論を凍てつかせてほしい。

 ならば、と思う。

 甲子園を春夏連覇したピッチャーの心が、強いか弱いか、硬いか軟いか、などという無意味な議論を一瞬で凍てつかせてしまうような圧倒的な技術を見せつけてほしい。

 親父が黙ってうなずくしかない、隙のない道理を見せつけてほしい。

 それが何より険しい道であるということは想像しながらも、そういう姿が見たい。

 世界に誇る技と理論の粋をあつめたところがプロ野球なら、そこに迷信めいた“不治の病”など存在してほしくないと思うから。そうでなければ、あの日、彼が出した答えがかすんでしまうから……。

「ノーコン投手」の響きは、あくまで草野球場に飛び交うから微笑ましいのかもしれない。

文=鈴木忠平(Number編集部)

photograph by Kyodo News

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