ジョコビッチと全仏の不思議な関係。「マシン」ではない人間らしさが。

ジョコビッチと全仏の不思議な関係。「マシン」ではない人間らしさが。

 シャルル・ド・ゴール空港に降り立ってから、まず視界に飛び込んできたテニスプレーヤーはセルビアの英雄ノバク・ジョコビッチだった。フランス国内のトッププレーヤーでもなく、開幕を控えていた全仏オープンの大本命であるラファエル・ナダルでもなく……。

 フランスを代表するスポーツブランド『ラコステ』の大きな広告看板。ジョコビッチは昨年から、1933年創業のこの老舗ブランドの顔である。しかし、必ずや伝説のプレーヤーとなる31歳にとって、胸にワニのロゴを誇らし気につけたこの1年は、その堂々たる風格に反して失望の連続だった。

 鬼門だった全仏オープンの初優勝から2年。苦い涙を何度も呑み込んだ末に生涯グランドスラムを達成した赤土の最高峰で、右肘のケガと戦った長い月日からジョコビッチがようやく確かな復調の兆しを見せている。

「ひじに痛みを感じないのが何より」

「人生でもっとも苦しいケガと向き合った1年だった。でもこの数週間、少しいいプレーができ始めている。肘に痛みを感じないでプレーできていることが今は何よりもうれしい」

 1回戦で予選上がりのロベリオ・ドゥトラシルバを6−3、6−4、6−4で破ったあと、そう語った。ただ、まだ多少こわばった表情には、これまで辿ってきた苦悩の痕が映し出されていた。

 58、109、47、7、140、22、そして2。これは、年初の全豪オープンでツアー復帰したジョコビッチが、これまで敗れた相手のランキングだ。右肘のケガで半年間戦列を離れたこと、さらには全豪オープン後で一度復帰してから決断した手術が及ぼした影響は深刻だった。

 つい3年前、1シーズンに3つのグランドスラムと6つのマスターズ1000とツアーファイナルも制した無敵の王者だったが、自信に満ちあふれたその姿はもうそこになかった。

「マシン」と恐れられた男の脆さ。

 不屈の精神力と狂いのないプレーで「鉄人」とか「マシン」と呼ばれて恐れられたジョコビッチが、この5カ月の間に見せた“脆さ”に私たちは戸惑ってきた。同時に、12ものグランドスラム・タイトルを積み重ねた強さが、どれほど純粋で妥協のない鍛錬と献身に支えられていたのかを知ったのだ。

 テニスコートに立てない日々は、まだ子供の頃からひたすら世界一を目指して徹してきたルーティンを壊し、自信を奪ってしまった。

 2012年に最愛の祖父を失くしたときも、その翌年に父が重い病に倒れたときも、ジョコビッチは一時的な不調に陥っている。妻エレナとの不仲が報じられたときもそうだった。鉄人でもマシンでもない、むしろそんな人間らしさこそジョコビッチなのかもしれない。

 そして、困難にぶつかったとき、決まって哲学的なことを口にする。 

「人生に起こることにはすべて理由がある。なぜ起こったのかを考え、そこから学ぶのは僕たちの仕事だ」と。テニス人生最悪のこのケガも、プレーヤーとして人としてより強くなるためのものだと自分を鼓舞し続けてきた1年だった。

錦織圭、ナダルとの接戦で射した光。

 暗闇に光が射したのは、先々週のローマ・マスターズ。ランキングで示した今季敗れた相手の中で、最後の『2位』というのはラファエル・ナダルのことだ。準々決勝でやはり今復活に挑む錦織圭を2−6、6−1、6−3の逆転で破ったあと、準決勝でそのナダルと対戦した。6(4)−7、 3−6で敗れたものの、クレーの絶対王者を相手に全盛期のキレとしぶとさを取り戻していく。

 1大会に5試合を戦うのは今年初めてで、休養前の最後の大会、ウィンブルドン以来だった。

「トップの選手と対戦しないと得られない自信というものがある。こういう試合をいくつも重ねていくプロセスが大事なんだ」

 いいタイミングでそのきっかけを手にし、パリに乗り込んできた。ローランギャロスはジョコビッチにとって特別な場所だ。大会とのパートナーシップが46年目となるウェアブランドが、自身のパーソナルスポンサーだという理由だけではない。そのハーモニーは、もっと長い時間、時に静かに時に刺激的に奏でられてきた。

過酷な赤土が人間らしさを引き出す。

 一昨年の初優勝までに準優勝3回、ベスト4が4回。「今年こそは」の悲願は何度も打ち砕かれた。判官贔屓のパリの観客は「強すぎる」ジョコビッチをヒールに仕立て上げる傾向もあったが、2度目の準優勝、3度目の準優勝のときには、表彰式で1分間以上も止まないスタンディング・オベーションを捧げた。“最強の敗者”がついに堪えきれなくなって涙を流すまで。

 情熱的なパリ、そして苛酷なレッドクレーは、ジョコビッチの人間らしさがもっとも豊かに引き出される舞台なのだ。特別なことが起きるのにふさわしい場所でもあるだろう。

「人間というのは力強いものだよ。困難もいつか必ず乗り越えられるときがくる。少なくとも僕は自分の経験からそう信じている」

 完全復活を意味する「いつか」はまだ先かもしれない。しかしそこにつながる「何か」はここで大いに期待していいのではないだろうか。

文=山口奈緒美

photograph by AFLO


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