村上茉愛、天才体操少女が大人に。「大学1年がターニングポイント」

村上茉愛、天才体操少女が大人に。「大学1年がターニングポイント」

昨秋の世界体操選手権の種目別ゆかで優勝し、日本女子63年ぶりの快挙を成し遂げたヒロイン。彼女はなぜ世界の壁を破ることができたのか。飛躍の裏にあった想いと成長の秘密に迫る。
Number948号(2018年3月15日発売)から全文転載します!

 ニューヒロインの誕生は鮮やかだった。昨年10月にカナダで行なわれた世界体操選手権。女子の花形種目である「ゆか」で世界の強豪たちを退けて初の金メダルに輝いたのは、村上茉愛だった。

 日本の女子が金メダルを獲得したのは63年ぶりにして史上わずか2人目。当然ながらこれだけで十分に快挙である。しかし、今回の金の価値はそれだけにとどまらない。なぜなら、「ゆかは苦手」という日本女子のイメージを覆す、パワフルなアクロバットで頂点に立ったからだ。カナダでの村上はH難度の大技「シリバス(後方抱え込み2回宙返り2回ひねり)」で大観衆をとりこにしていた。

 それから約半年。日体大の体育館で会った村上は、次のターゲットである「個人総合」という目標に向かってすでに走り出していた。4月から4年生。体操競技部では女子の新キャプテンに就任している。

「研究した選手の圧力に負けたというか」

「大学入学後は、成績が悪かったり、その後に良くなったり。すごく早かったです」

 明るい表情に、駆け抜けてきた時間の充実ぶりがにじみ出る。その言葉通り、2015年から昨年までの3年間に収めてきた成績は右肩上がりだった。だが、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。

 初めて世界選手権に出場したのは'13年、高校2年生のときだ。小学校6年生で「シリバス」に成功し、天才少女として知られていた村上は、初出場ながら種目別ゆかの優勝候補として大会に臨み、会心の演技をした。ところが、上には上がいた。村上は健闘したものの、4位だった。

「デビュー戦だから怖いものはなかったのですが、結果的にはそれまで世界で戦っていた選手がメダルを獲った印象でした。テレビで見たり、動画サイトで見て研究していた選手の圧力に負けたというか……」

高3の頃は正直、やる気がなかった。

 2位のバネッサ・フェラーリ(イタリア)も3位のラリサ・ヨルダケ(ルーマニア)も前年のロンドン五輪で好成績を収めていた。加えて、さらに大きな衝撃があった。それまで見知らぬ存在だった“同学年”のシモーン・バイルス(米国)が個人総合とゆかを制した。

「なんだ、この選手は……」

 女子体操界でトップを走る米国の実力を目の当たりにし、直感的にこう思った。

「メダルは獲れない」

 見えていたはずの頂点が遠いところにあると感じ、モチベーションががっくりと落ちた。練習に身が入らなくなるのと同時に、思春期の身体の変化もあり、体重が増えてケガをするようになった。

「高校3年生だった'14年は正直、やる気がなかったです。どうせメダルを獲れないのは分かっている、と欲がなくなったんです。体重を減らそうとも思わなかったし、負のスパイラルでした」

 どうにか世界選手権の代表には選ばれたものの本番での結果は予選落ち。あいまいな気持ちのまま'15年春に日体大に進学すると、今度は団体戦の部内選考会でも負けるようになった。また、世界選手権代表選考会では上位に入れず、代表メンバーから漏れてしまった。

恩師からの「考えを改めなさい」。

「自分は何をやっているんだろう」

 これではいけないと苦しんでいるときに瀬尾京子監督から厳しく突きつけられたのが、「考えを改めなさい」という言葉だ。それまでは気分に応じて好きな練習をする毎日であり、ジュニア時代はそれでも通用していた。しかし、シニアでは4種目トータルで点を出せなければ大会に出ることすらできなくなる。現実を知った村上は、苦手種目の段違い平行棒や平均台の練習を増やしていくうちに、心境にも変化があることに気づいた。

「代表から落選したことでプレッシャーから解放されて、吹っ切れたんです」

 こうして徐々に調子を取り戻していたタイミングで、世界選手権代表メンバーが負傷。補欠として世界選手権のチームに同行することになった村上は、現地入りしてからの好調ぶりを評価され、出場メンバーに抜擢された。結果は団体5位でリオ五輪の団体出場枠獲得に貢献し、個人総合では日本女子最高の6位だった。

「体操をもっと好きになりました」

 補欠から一気にエース格に躍り出ると、その後はテクニックとメンタルがうまい具合にマッチしていき、安定感が出てきた。初めての五輪となった’16年リオデジャネイロ五輪では団体でメダルまであと一歩の4位と大健闘。一方で、個人総合では14位、種目別ゆかでは7位と力が及ばず、この結果によって闘志に火がつくことになったのも好材料だった。

「振り返ると、大学1年のときがターニングポイントでした。やるべきことを自分で考えるようになったのが大きい。高校生までは技術練習が中心で甘えもありましたが、大学に入ってからは精神面を鍛えてもらいました。そして、リオの後はあれをやりたい、これをやりたいと、次々と欲が出てきて、体操をもっと好きになりました」

 こうしてモチベーションの塊となった先に待っていたのが、先に記した昨年10月の世界選手権種目別ゆかの金メダルという快挙である。リオ五輪で4個の金メダルを手にした女王バイルスは不在だったが、このビッグチャンスを逃すまいと目の色を変えてきたベテラン勢、あるいは年齢制限をクリアして世界デビューを果たした若手たちとの競争は熾烈だった。その中で村上は見事に実力を発揮した。

ゆかで金より個人総合4位の悔しさ。

 採点競技において、タイトルはその後の試合で大きな意味を持つ。しかも'17年は'20年東京五輪に向けて世界中がスタートを切る年。誰もがここで獲っておきたいと思うタイミングでもあった。

 ただし、現在の村上が心の中で膨らませているのは、ゆかで金メダルを獲ったという達成感よりも、個人総合で4位に終わったことへの悔しさだ。

 昨年の世界選手権での村上は、個人総合予選を1位で通過しながら、2日後に行なわれた決勝では気負いすぎから崩れて4位。

「プレッシャーの中で実力を発揮できない自分が悔しい」と泣きじゃくった。

「完全に経験不足でした。でもそれがあったことで、次は個人総合でメダルを獲りたいと強く思うようになっています」

反骨心をバネにした高木菜那を手本に。

 東京五輪まで2年あまりとなった今は、リオ五輪前と違う考え方で'20年を見つめているという。

「以前は数年後を見ていたのですが、今は目の前の試合をこなしていくことに集中しています。先ばかり見て、ケガをしたら意味がない。ですから今は継続する力をつけることにこだわっています」

 2月の平昌五輪はスピードスケートに夢中になった。小平奈緒や高木美帆以上に印象が強かったのは、高木菜那。反骨心をバネにして努力を重ねて金2つを獲得した姿に感銘を受けた。多くの金メダルを獲得してきた体操男子と比較されて「女子は獲れない」と言われてきたことを見返したいと思っている自分と重なって見えたのだ。

「今の私は体操とうまく向き合えています。体操は私の居場所であり、帰ってくる場所。だから、体操で信頼を得られる選手になりたい。“村上さんなら大丈夫”という演技をいつでもどこでも変わらず、淡々とできる選手になりたいです」

 金メダルを夢見ていた少女から、現実の中で精一杯生きる大人のアスリートへと成長した。気づけば、クルクルと表情を変えながら元気に飛び跳ねていたジュニア時代の魅力を残しながら、冷静に東京五輪の頂点を見据える眼差しがそこにあった。

(Number948号『村上茉愛「一歩ずつ着実に前へ」』より)

文=矢内由美子

photograph by Masamitsu Magome


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