「一緒に東京五輪を目指そうや!」男子バレー福澤達哉を動かした言葉。

「一緒に東京五輪を目指そうや!」男子バレー福澤達哉を動かした言葉。

 日本代表として、こんなに楽しそうにプレーする姿を見るのは、何年ぶりだろう。

 福澤達哉が日の丸をつけ、コートに立つのは2016年以来。当時見たのは、リオデジャネイロ五輪の世界最終予選で日々緊迫した空気の中、果たすべき自分の役割すら果たせず、悔しさを静かに噛み締めうつむく彼の顔。目にはうっすらと、涙を浮かべていた。

 あれから2年。

 今季から新設され、世界各国を転戦するバレーボールの国際大会「ネーションズリーグ」。6月8日から10日まで3日間にわたり大阪で開催された国内初戦。ブルガリア、ポーランドにストレートで敗れ、迎えた第3戦。

 2セットをイタリアに取られた第4セット、自らのブロックポイントで8−5とリードを広げると、福澤達哉は満面の笑みを浮かべ、俺のブロックだ、とばかりに左手の手のひらを正面に向け、三度、上から下へ。

「今日あかんかったら、もう俺はあかんやろ、って思ってコートに入りました。だから少し、無理矢理じゃないですけど、逆にピリピリするのではなく気持ちの余裕を持たせるようにしたんです。若い西田(有志)に乗っかって、いい雰囲気でできました」

 目の前の1戦、1点に必死で毎日しんどい。そう言いながら見せた表情は、充実した、いい笑顔だった。

「先が見えないし、『今年で終わりかな』と」

 中央大4年時に北京五輪に出場を果たした後、同じ歳の清水邦広と共に日本代表のエースとしてロンドン、リオデジャネイロ五輪を目指すも、出場は叶わず。目標を失ったリオデジャネイロ五輪最終予選後、一度は現役引退も考えた。

「先が見えないし、『今年で終わりかな』と思っていました。キャリアの終わり方、アスリートの引き際って一番難しいじゃないですか。どこで終わらせるか、いろんな選択肢を考えている時、僕は客観的に将来を見て、どこに一番メリットがあるかを考えていました」

引退は逃げじゃない――とはいえ。

 バレーボール選手としてのキャリアを終えても、東京五輪のワールドワイドオリンピックパートナーであるパナソニックの社員として、五輪の中枢業務に携わることもできる。選手としては縁がなかったのだとしても、それも自分の人生ではないか――。

 逃げるわけではなく、新たな形で五輪と向き合うことで自身のキャリアに区切りをつけようとも考えた。

 だが、100%そう思うか、と言われればそうではない。くすぶる思いを突き動かしたのは、清水だった。

 2016/17シーズンの最中、体育館内の部室で清水が切り出した。

「一緒に東京五輪を目指そうや」

 長い間共にプレーしてきたからこそ、五輪を目指すことがどれだけ大変で、どれほどの覚悟が必要かは言わなくてもわかり合っている。あえて、互いの感情やこれから進むべき道について話すことはなかったが、ストレートな言葉は福澤の胸に刺さった。

「自分の中でもずっとモヤモヤしていたんです。その一番痛いところを突かれたな、と。やるなら、できるところまでやりきるしかないな、とその時に思いました」

清水と福澤の関係は「特別」。

 同じ歳で、友人で、チームメイトという単純なものだけでなく、清水と福澤の関係は「特別」と、パナソニックのミドルブロッカー、白澤健児は言う。

「普段からずっと一緒にいるわけではないけれど、他の人に言われても聞かないことを清水に言われれば福澤は聞くし、福澤に言われれば清水も聞く。それだけ信頼し合っているし、あの2人にとって、それぐらい『オリンピック』っていう存在が大きなものなんですよね。僕らもずっと、2人がそれだけ努力をする姿を見て来ましたから」

 1つ1つ設計図を描くように、五輪へ続くステップを考える。まずは五輪を2年後に控え、世界選手権が開催される今季、代表に入り、残り続けること。

 決して大げさではなく、すべてをかける覚悟で臨んだ2017/18シーズン。

 それは、予期せぬ幾多もの出来事と向き合い、乗り越えなければならない苦しい戦いだった。

大学、社会人と先輩だった選手の急死。

 2017年9月3日。Vリーグのチームだけでなく、高校、大学、クラブチームが出場する近畿総合選手権大会の準決勝を終え、決勝に向けて短い時間で再び準備を行う最中、訃報が届いた。

 福澤にとっては中央大とパナソニック・パンサーズの先輩、'16年に現役引退した谷村孝氏が、心筋梗塞のため35歳という若さで逝去したのである。あまりに突然の別れを受け入れることができず、ただ茫然とするばかりだった。

 それでも30分後に決勝が始まるように、間もなくV・プレミアリーグも開幕する。気持ちを切り替えることなど到底できなかったが、前を向くしかない。以降、試合時のベンチにはいつも谷村氏のユニフォームを置き、タイムアウトからコートに戻るたび、そのユニフォームに触れるのが福澤のルーティーンになった。

 全日本のエースとして戦っていた頃はいかなる時も冷静を装い、勝っても負けても淡々としていた福澤が、感情を露わにする。

 V・プレミアリーグ開幕から勝ち星を重ねる幸先いいスタートを切り、昨年末の天皇杯全日本選手権大会では5年ぶりに優勝。直後のコートインタビューで福澤は「18」のユニフォームを着て「優勝したよ!」と谷村氏の名を叫ぶ。

コート上で人目をはばからず泣いた日。

 そしてその1カ月後に谷村氏の出身地でもある福岡で追悼試合として開催されたV・プレミアリーグ・堺ブレイザーズ戦に勝利すると、福澤は試合直後のコートインタビューでは人目をはばからず泣いた。

 何が何でも勝ちたい。ただその一心で、戦い続けたシーズン。

 レギュラーラウンドを1位で終え、ファイナル6に突入してからも、パナソニックも福澤も好調をキープ。4年ぶりのリーグ制覇が少しずつ現実味を帯び始めた矢先、再び予期せぬ事態に見舞われた。

「人間って、誰かのために、と思うと違う力が出る」

 2月18日、JTサンダーズ戦。第1セットの序盤、スパイク時の着地で体勢を崩した清水が負傷。激痛にうめき声をあげ、起き上がることもできない清水の姿を見て、その怪我が決して小さなものではないことを瞬時に悟った。

 起きてしまったことは仕方ない。とはいえ、前年に右足首舟状骨疲労骨折の治療とリハビリに必死で取り組んできた清水の姿を近くで見て来たからこそ、なぜあいつが、と思わずにいられない。

 清水のことを聞かれても「彼の代わりはいないので」と言葉少なに答えるだけだったが、プレーや振る舞いを見れば、背負う覚悟が変わったことがわかる、とパナソニックの川村慎二監督は言う。

「人間って、誰かのために、と思うと違う力が出るんですよ。そういう思いが今季の福澤からすごく伝わってきたし、清水と一緒に何が何でもオリンピックを狙うんだ、という思いも強い。

 若い頃は『今年がダメでも来年』という甘さがあったかもしれないけれど、今は違う。崖っぷちでよく耐えた。その頑張りが、今の姿につながっているんだと思います」

31歳での選手復帰だが異論は無い。

 若返りを図る全日本の中で、31歳の福澤が2年ぶりに返り咲く。

 パナソニックで優勝し、シーズンを通しての活躍が評価されたこと。そして今季全日本男子が重視するバックアタックを得意とすることも選考理由であり、異論はない。加えて、五輪出場経験のあるベテランの復帰、といえば聞こえはいい。

 だが、生半可な覚悟で立てる場所ではないことは、誰よりも福澤自身が理解している。

「余裕なんて全然ない。毎日必死」

「日の丸を背負う数少ないチャンスがようやく目の前に来た。そこを取る、取らないは自分自身。

 今年は世界選手権とか、2年後に東京オリンピックと言われますけど、僕にとっては明日が勝負。だから余裕なんて全然ないんです。毎日必死ですよ」

 当たり前だと思っていたことは、決して当たり前であり続けるわけではない。

 だからこそ、先でもなく、過去でもなく、大切なのは今。

「次のシーズンで代表に呼ばれなかったら、それが僕の最後かもしれない。そうなった時に自分がどこまでできていたか、というのを見たいんです。自分が終わりに立った時、どこまでできただろう、と。ここまでやりきってそれでダメなら、というところまでできればいいのかなと思うし、自分の限界がどこなのか。それに対する挑戦ですね」

 明日に続く今日を精いっぱい、がむしゃらに。

 辞めるのを止めてよかった、と心から思えるその日まで。

文=田中夕子

photograph by Naoki Nishimura/AFLO SPORT

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