元フロンターレ井川祐輔の香港挑戦。「裏海外組の凄さを知ってほしい」

元フロンターレ井川祐輔の香港挑戦。「裏海外組の凄さを知ってほしい」

 2018年6月30日、川崎フロンターレで“最強の宴”とも称されるファン感謝デーが行われた。川崎らしい遊び心あふれるイベントに、1人の元フロンターレ戦士が登場した。

 昨季までクラブに所属していた井川祐輔だ。

 川崎に12シーズン在籍後、2018年から求めた新天地は日本では馴染みのない香港リーグのイースタンSCだった。そこで半年間プレーした井川は、来季もイースタンに所属することをサポーターに報告した。

 かつて岡田武史体制下の日本代表に招集された経験を持つ35歳のDFは、なぜ香港に新天地を求めたのか。そして今後のプランは――。

 その想いを余すことなく語ってくれた。

優勝は嬉しかったけど、悔しさも。

――川崎の最終シーズンとなった1年はどんなことを考えていたんですか?

「一昨年の夏場に左足の後十字靭帯を損傷してしまって、リハビリ明けで2017年に臨みました。ただ、シーズン序盤の(ACLの)広州恒大戦に出場した時に右足の内側靭帯を断裂してしまった。

 その時にもうオレは引退なのかなと思いましたね。また膝のリハビリを経験しないといけないのか、35になる自分の年齢を考えて、引退がよぎるというか、担架で運ばれてロッカールームで1人になった時、悔しさと絶望感というのがありました。しかも中国という地でしたからね(苦笑)。薄々は『今年でフロンターレも終わりかな』という思いを抱きながら、リハビリとトレーニングに励んでいました」

――その一方でチームはJリーグで優勝しました。難しさはありましたか?

「結局、そのシーズンはJリーグで1試合も出られなかった。ただ、12年間在籍して優勝というものに手が届かなかった悔しさは、(中村)憲剛の次に味わっていると思っているので“優勝はしたい、でも試合にも出たい”という葛藤の中にいました。

 優勝は嬉しかったんですけど、見ていて悔しさも同時に抱いていましたね。ただピッチに降りて、憲剛と言葉を交わした時に、自然と涙があふれて号泣してしまった。悔しいという思いより嬉しさが勝っていたんだなと、改めて気付かされた瞬間でした」

――そこから現役にこだわることに意識が変化した理由とは?

「やっぱり諦められなかったからですね。単純にサッカーが好きだからだし、妻が妊娠していて、その子に頑張っている姿を見せたいなという思いもありました。やはりこの形で現役を引退するのは納得できなかった。現役にこだわりたいという思いが、段々と大きくなりました」

移籍を手助けしてくれた2人の選手。

――その間、トライアウトを受けていますよね。Jリーグへの思いもあったのですか?

「海外でやるということは決めていました。妻にも“国内での最終経歴を川崎で”と伝えていました。トライアウトに出ることが自分にとって良い経験になるのかなと思って参加しましたが、日本での移籍先は探してはいなかったんです」

――そこから香港にたどり着いたのはどういう経緯があったのでしょうか?

「もともとACLなど海外で試合をするのがすごく好きで、いつかは海外でやりたいという思いを胸に秘めていたんです。その中で何回か旅行で行った香港にチームがあると知り、“香港でプレーしたい”と思っていた。なので香港にいる友人に『どこかチームがないか』と伝えて、探してもらったことが始まりです。最初から香港一本だったんです」

――そこで昨年、川崎がACLで対戦したイースタンSCにつながっていくと。

「移籍できたのは2人の選手のおかげなんです。まず、香港で活躍している中村祐人という選手が、僕にペガサスとイースタンというクラブに話を振ってくれました。香港は、どこのチームに行っても誰かしら友達がいたり、元選手が強化部をやっているなど、密な関係にあります。その中で祐人を経由してペガサスが先に、12月の頭にオファーをくれました。僕はOKと返答したんですけど、ここから思わぬ事態が起きたんです」

――何が起きたんですか?

「仲介人の方が『全然向こうから連絡が返ってこない』と。その2週間後にACLで川崎の通訳をしていた方と連絡を取ったら『香港に来た方がいいです』と言われて、すぐ香港に日帰りで飛び立ちました。

 ペガサスからは何の連絡もなかったんですが、この時に練習場で出会ったソン・ミンチョルという在日の選手が、アジアに強い仲介人との橋渡しをしてくれたんです。『イースタンが欲しがっています。サインしに香港来てください』と言われました。『急過ぎでしょ(笑)』と思いましたけど、また2日後に香港に行って、無事契約したんです」

香港でもJリーグはすごく見られている。

――すごい流れですね。ちなみに香港のサッカー人気はどうなんですか?

「サッカー人気はあると思いますが、スタジアムに足を運ぶ人は少ないんです。ホームスタジアム、だいたい平均1000人いかないくらいです。ただイギリスの植民地だったということもあって、プレミアリーグの影響は強いと思いますね」

――Jリーグ人気はあるんですか?

「香港人は日本が大好きで、Jリーグをすごく見ているんですよ。だからACLやJリーグで川崎があまり勝てていない時期はかなり言われました。『どうしたんだよフロンターレ』って(笑)。ジョークで『お前がいなくなって弱くなったな』と言われて『そう、そう』とやり取りできるぐらいで、このシーズンオフにもチームメートの多くが日本に観光しに来ているくらいですよ」

――香港と日本の環境はどれほど違いますか?

「移動は電車やバスですし、練習場も人工芝です。試合のピッチもボコボコで『今日はビーチサッカーだな』と笑い話にするような環境でやっています。シャワーを浴びるところもキレイではないし、自分たちでシャンプーなどを用意しなくてはいけないので最初はビックリしました。Jリーグだとホペイロがいてシャンプーなどは用意されていますからね。

 だから自分が大量にシャンプーを買っていって『これ、使っていいよ』と言ったら『それ、いいシステムだな!』とチームメートが言うんです。でも僕とすれば『なんでやってこなかったんだよ』と言いたいんですが(笑)。あと移籍当時は結構髪が長くてドライヤーがないから寒かった。それを周りの選手たちが『井川、ディスイズ香港だよ』と言ってきて、ああ、これも香港かと」

――(笑)。サッカーのレベルはどう感じていますか?

「J2の下位からJ3くらいですね。ただ、だからといって誰もが活躍できる場所ではないです。行く前は『Jリーグから行くわけだし、活躍できるだろう』と密かに思っていましたけど、やはりサッカーのスタイルは川崎とは違うし、選手も違う。自分が『こういうサッカーをしたい』と押し通しても、チームとして上手く回らない。チームに順応することを考えないと活躍できないと感じました」

「ボールを持ったら爆弾だと思え」

――井川選手が加入後、チームに伝えようとしたことはあるんですか?

「最初は川崎のようなパスサッカーの素晴らしさやポジショニング、“出したら動く”など風間(八宏)さんが言っていたようなことを伝えていました。ただ、イースタンは年齢が上の人が多いからか、固定観念があった。なので教えてもすぐにできるような感じではなかった。

 例えば30歳ぐらいの選手に話を聞くと『ボールを持ったら爆弾だと思え。すぐに離せと教わった』と言う選手もいましたし(笑)。自分がやりたいことと現実のギャップが大きくて、これを改善するには若い世代からやらないと変わらないなとも思いました」

――難しい環境ですね。

「でも、実際に過ごしてみると、すごく楽しいし刺激的で、これをオレは求めていたんだなって感じます。それに加えて香港サッカー、そして香港にいる日本人の子供たちのために、もっと伝えられることがあるのではないかと勝手な使命感を抱いています」

――香港サッカーに対して、すごく情熱が伝わってきます。

「自分自身も香港で気づくことがありました。それは、自分が動くべきと思ったら、とりあえず行動を起こすことが大事だということです。もしそこで動いていなければ、祐人とミンチョルに出会えず、移籍もできていなかった。弾丸の日程でも行ったことによって何かが起きた。すごく良い経験になりました」

――行動に移すことは簡単ではないですよね。

「日本にいる時は契約交渉など仲介人に任せっきりで、それが当たり前だと思っていました。だけど、香港に移籍する際には、自分でやらなくてはいけないんだと35歳にして知りました。

 祐人やミンチョルがまさにそうですが、言葉もわからない環境の中で暮らし、スパイク1つで契約を勝ち取るというのは、僕から見てすごいことだなと思う。何より、いち人間としてのサバイバル感が半端ない。世間的にはヨーロッパで活躍する選手が海外組として取り上げますが、僕はアジアなどでスポットライトが当たっていない“裏海外組”もすごいんだよ、というのをもっと伝えたいと思いますね」

――そういう人たちのサッカーへの愛情は凄そうですね。

「裏海外組はサッカーを頑張っているけど、Jリーグに入れない人にとっても勇気づけられる存在ではないかな、と。彼らの存在を知れば“俺もやってみよう”という人が増えると思いますし、そこから才能が開花して日本に逆輸入という形があればもっと面白いと思うんです」

川崎と香港の架け橋になれるのではと。

――井川さん自身、日本と香港の架け橋になるために考えていることはあるんですか?

「例えば、サッカースクールもそうですし、短期留学というか、香港の子供たちを日本に連れてきて試合を見たり交流してもらったりして、いろいろな経験を持ち帰ってもらうということができればいいなと思っています。

 今も川崎とコミュニケーションを取っていますが、12年間川崎に在籍したのは僕の強みでもあります。そういうところでキャリアを生かしたいと思っていて、そこでうまくコミュニケーションを取れれば、川崎と香港の架け橋になれるのではないかなと」

――川崎はいろいろなことにトライするクラブだからこそ、できることも多そうですね。

「現地に来て気づきましたが、リーグ優勝したり、ACLに何度も出たりすることで、川崎フロンターレがアジアでもネームバリューがあることを実感しました。

 例えばイースタンに入ってすぐタイ合宿があったんですが、タイ人のマッサージ師が『川崎にいたのか』とかと言ってくるんですよ。あと『岩政大樹、知ってるか?』とも言われました(笑)。そういった話題ができるのは僕のバックグラウンドに川崎があるからだし、川崎と出会えてよかったなと感謝しています」

――香港でいろいろなことを学んでいるんですね。

「これは最後に言っておきたいんですが、改めて日本を離れて、日本の良さを知ったという感じです。日本にいたら、これが当たり前と思って全然気づかなかった。日本の常識は世界の常識ではないし、他の国の常識は日本の常識ではないので、それを知れたことは個人的に大きいです。

 あとは奥さんの支えがあって初めて成り立っていて、やはり彼女がチャレンジしたいなら応援するというふうに言ってくれたことが後ろ髪引かれずにやれている部分だと思うので、彼女と子供たちには感謝したいですね」

文=林遼平

photograph by Kawasaki Frontale


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