女子マラソンの新星・松田瑞生。動物的なオーラと底抜けの明るさ。

女子マラソンの新星・松田瑞生。動物的なオーラと底抜けの明るさ。

五輪代表選考レースへの出場権を賭け熾烈な争いが続く日本マラソン界。
初マラソンで選考会への切符を勝ち取った彼女は不退転の覚悟で臨む。
Number950号(2018年4月12日発売)の特集を全文掲載します!

 シックスパックに割れた腹筋は、短距離選手も顔負けだ。持ち前の筋力を活かし、弾むようにパワフルに走る。

 圧巻だったのは、昨年の日本選手権の1万m。最後の直線で解き放たれたように加速すると、リオ五輪代表の鈴木亜由子を一気に抜き去り、初優勝を遂げた。獲物をとらえたら逃さない。まるで野生のチーターのような走りだった。

 生まれながらのランナーという印象だが、小学生の頃は柔道をやっていたという。

「妹が『ヤワラちゃんになりたい』と言いだして、私と姉もやらされることになったんですよ。その頃から練習で普通に腹筋100回とかやってましたね。でも、私は走るほうが好きで、地域のマラソン大会では毎年優勝してました。そのときからマラソン選手になってオリンピックに出るというのが夢になったんです」

20代前半からマラソン挑戦ができる。

 中学では、バスケ部主将だった姉に頼まれて1年間バスケをやったが、2年生から陸上部に転部。柔道もやめ、陸上一本に絞ると、すぐに才能が開花した。

「最初のレースでいきなり大阪市の一番になったんです。そしたら、お父さんが『大阪府で一番にならなあかん』って言うんですよ。府で一番になったら、『全国大会に行かなあかん』。実際に全国大会に行ったあとは、何も言わなくなりましたけど(笑)」

 高校は大阪のトップ選手が集まる名門、大阪薫英女学院に進む。そして、1年から3年まで連続して全国高校駅伝に出場した。

「私、勉強がすごく苦手で、テストの前は必ず熱が出てたんですよ。『おまえはもう勉強するな』って顧問の先生に言われるぐらいで(苦笑)。もし大学に行っても、走るより勉強で苦労すると思って、実業団に入ることに決めたんです」

 最終的に選んだのは、地元大阪のダイハツ。20代前半からマラソンに挑戦させてもらえるのが決め手だった。

伝説の靴職人から「マラソン向きだ」。

 とはいえ、入社当初は具体的にマラソンを走るイメージが湧いていたわけではない。監督の林清司も、実際にマラソン練習をやらせてみるまでは確信が持てなかった。ただ、高橋尚子や野口みずきらのシューズを作ってきた靴職人、三村仁司だけは早くから松田の才能に気づいていた。

「三村さんから『こいつはマラソン向きだぞ。おもしろいからやらせてみろ』と言われたんです。着地の仕方や足のバランスを見ていたんだと思います。ただ、松田はあれだけの腹筋を持っていながら、最初はうまく使えていませんでした。そこで走りをビデオに撮って見せ、足を蹴り出すのではなく、お腹で足を引き上げる感覚を身につけさせていきました。同時に長い距離を意識づけていき、まずは日本選手権の1万mに出ることを目標にしたんです」(林監督)

「結果が残らんかったら、もうやらん」

 2016年の日本選手権1万mで、松田は4位に入る。さらに翌年、冒頭で書いたように日本選手権を制し、世界陸上に出場することになった。結果は19位だったが、世界の舞台とスピードを経験できたことは、大きな収穫だった。

 そして、いよいよマラソンへの挑戦が始まる。舞台は地元の大阪国際女子マラソン。秋の実業団対抗駅伝を終えると、松田はひとりマラソン練習に入った。本人は「他の実業団に比べれば、ぜんぜんやってませんよ」と謙遜するが、1カ月半の間に、25km、30km、35km、40km2本、さらに30km変化走を集中的にこなした。アメリカのアルバカーキで合宿を張り、他の選手とはまったく接触せず、濃密な時間を過ごした。

「練習がきつすぎて、『ここまでやって結果が残らんのやったら、もうマラソンはやらん』と思ってました。とくにカーボローディング中は調子が上がらなくて、『これじゃ、絶対走れへん』と思ってましたね」

気持ちよく走れた初マラソン。

 ところが、いざスタートしてみると、練習、カーボローディング、レースプラン、地の利、すべての要素が完璧に噛み合った。

 前半はペースメーカーの設定通り、5km17分できっちり刻んでいく。途中、ライバルの安藤友香が給水を取り損ねたのに気づくと、自分のボトルを渡す余裕もあった。25kmで高校の後輩、前田穂南が先頭集団から飛び出したときも、落ちついていた。

「監督に30kmまでは我慢しろと言われていたから、ゆっくり行ってたんです。彼女が出たときも、負ける気はまったくなかったですね。『あとで行くから待っててね〜』ぐらいの気持ちでした」

 27kmで安藤が脱落すると、松田は単独で前田を追い始める。そして、31kmの手前でキャッチアップ。そのまま抜き去り、みるみる差を広げていく。158cmの小さな身体が大きく躍動する。30kmから35kmのスプリットは一気に16分19秒まで上げた。

「上げた感覚はないんですよ。私的にはただ気持ちよく走っていただけなんです。レース前、有森裕子さんにカーボローディングがきついという話をしたら、『30kmから楽になるよ』と言われたんですけど、ほんとにドンピシャで来ましたね」

初マラソンで2時間22分44秒も冷静に。

 終盤は雪が舞い、寒さでやや動きが鈍ったものの、地元の大声援が背中を押してくれた。ヤンマースタジアム長居に駆け込むと、ガッツポーズでゴール。待っていた母親の明美さんと抱き合って喜んだ。

 明美さんは鍼灸師。高校時代から試合の前にはいつも身体を診てもらってきた。松田がここまで大きな故障をせずに来られたのは、その支えがあったからこそだ。

 優勝タイムの2時間22分44秒は、日本女子の歴代9位、初マラソンでは歴代3位の好記録だ。MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)本大会出場の権利も獲得し、一躍、東京五輪の有力候補となったが、師弟ともに状況を冷静に見据えている。

「ここまではすべてが順調に噛み合って、うまい具合に成功してきました。でも、これから失敗もするでしょうし、いろんなことが起きてくると思います」(林監督)

「注目していただけるのはうれしいんですけど、そこで自分を崩さないようにするのに精一杯の部分もあります。あくまで自分は自分。モチベーションを変えずにやっていきたいと思ってます」(松田)

 今季は日本選手権の1万mで連覇をめざし、さらに、高速コースのベルリンマラソンでタイムを狙っていくつもりだ。

「かわいく撮らなくていいですから」

 東京五輪とMGCという仕組みによって、停滞していたマラソン界は急速に活性化し、若い世代が次々に名乗りをあげている。現状6人いる女子のMGC出場権獲得者のうち、じつに5人が24歳以下。松田と同世代のランナーたちだ。

「いい年に恵まれたというか、その中で勝てば喜びも違うだろうし、燃えるものがあります。そのためにも勝負できるような身体作りをして、いい形でスタートラインに立ちたいですね。もし東京五輪に出て、そこで輝くことができたら、私、そこで競技をやめてもいいと思ってるんです。それだけ東京に懸けているし、これから2020年までの一日一日を大切にしていきたいと思っています」

 そう真剣な目で語る一方、写真撮影の際には、「そんなにかわいく撮らなくていいですからね。私そういうイメージの人じゃないんで。ガッツが溢れて、うるさい人間だと思われてますから」と言って、まわりを笑わせていた。

 大阪人ならではの明るさと、強靱な肉体から発する動物的なオーラ。こういう長距離選手も珍しい。彼女なら、少々の挫折や障害物はものともせず、夢の舞台まで突き進んでいける気がする。

(Number950号『松田瑞生「あくまでも自分は自分でやっていきたい」』より)

文=柳橋閑

photograph by Ai Hirano


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