元J守護神・榎本達也が驚きの決断。なぜブラインドサッカーに転向?

元J守護神・榎本達也が驚きの決断。なぜブラインドサッカーに転向?

20年間にわたってJの舞台で活躍したゴールキーパーが引退後、突如として、
ブラインドサッカーへの転向を表明した。なぜこの挑戦に踏み切ったのか。
その背景に迫る。
Number951号(2018年4月25日発売)の特集を全文掲載します!

 勝つには勝った。でも、そろそろ手を打たねばならない。2016年11月、ブラインドサッカー日本代表はドイツで開催された国際親善大会に出場し、3勝2分で優勝した。この大会では翌年から導入される新ルールが適用された。そのひとつが、従来縦2m×横3mのゴールサイズが縦2.14m×横3.66mと大きくなったこと。世界王者ブラジルを筆頭に強豪国ではGKの大型化が進んでいる。高田敏志監督は言う。

「ブラサカのGKは縦2m×横5.82mのゴールエリアから出ることができません。アイマスクをつけた4人のフィールドプレーヤー(FP)は転がるボールから出る音と、監督やガイド(敵陣ゴール裏に待機)、目が見えるGKの声の情報を頼りにゴールへと向かいますが、いくらFPは目が見えていないとはいえ、GKからしたら2mほどの至近距離から放たれるシュートを止めるのは至難の業です。

 その上、ゴールが大きくなった。代表チームは2020年に向けて攻撃志向を掲げており、失点のリスクが高まる中で、ビッグセーブで失点を防げるGKが必要でした」

 代表正GKの佐藤大介は身長170cmである。だからといって佐藤がダメ、というわけでは決してない。

「佐藤は日本が誇る世界レベルのGK。でも、万が一佐藤に何かあった時のことも想定しなきゃいけない。ルール改正に対応するため、体が大きく、佐藤に匹敵する実力を持ち、なおかつブラサカに適応できるGKを探し始めました」

榎本は依然、腑に落ちなかった。

 なぜ僕なんですか? 高田と会った榎本達也は、挨拶を終えて早々に本題を切り出した。ほんの数日前のクリスマスに、'16年シーズン限りでの現役引退を発表したばかりだった。代表監督直々の説明を受けても、榎本の意向は変わらなかった。

「無理です。FC東京普及部コーチという新しい仕事をしながらブラインドサッカーをやれるほど、僕は器用ではありません」

「20年もプロでサッカーやったやつは、大体みんなそういうやつ。だから大丈夫」

 何が大丈夫なんだろう? 榎本は依然、腑に落ちなかった。ましてや、真剣に東京パラリンピックを目指している選手たちに対して、何もしていない自分が代表選手になるのは失礼に値しないか、とも思った。

「まあ、1回練習来てもらって」

 ふと話題は直近に行なわれたクラブW杯に及んだ。決勝でレアル・マドリー相手に鹿島アントラーズの柴崎岳が挙げた2ゴールが話題を呼んだ大会である。そこで、ふたりはレアルGKケイロル・ナバスの失点ケースを分析した。

 ちなみに高田は監督就任前は代表チームのGKコーチだった。微に入り細に入り、GK論を大いに語り合った。どうやらGKという人種は話し好きが多いらしい。散会した時には4時間が過ぎていた。それでも、榎本は翻意しなかった。やっぱり俺には無理だよ、と。

 年が明けて、FC東京普及部コーチとして新しい生活が始まった。早朝に起床することもあれば、帰宅が日付が変わる間際になることもある。多忙な日々を過ごしながらも、榎本は高田の言葉を反芻していた。

「まあ、1回練習見に来てもらって、選手たちとメシでも食おうよ」

Jクラブに「榎本ってどんなやつ?」

 最初に高田が指定した日時は、ちょうど完全オフと決めていた時期だった。20年間Jリーガーとして生きてきて、一度しっかり休んで心と体をリフレッシュしたい。長年サポートしてくれた家族との時間も大切にしたい。だから、丁重に断った。

「まあ、これもひとつの出会い。出会いは運だからね」

 確かに一理ある。もしこの監督やコーチと出会うのが早ければ、自分はもっと上手くなれたはず。もしこの選手と出会ってなければ、今の自分はない。現役中、そう思うことが多々あった。もし引退が1年早かったら、もう1年現役を続けていたら、この話はなかった。自分の人間性や性格も見越してのオファーだったのだろう。

 なお、高田は榎本と会う前に、FC東京はもちろん、横浜F・マリノス、ヴィッセル神戸など、彼が在籍したクラブの関係者に「榎本ってどんなやつ?」と下調べしている。ネガティブなことをいう人間は、誰ひとりいなかった。

子どもへの言葉で気付いたこと。

 2017年2月某日。日本代表の合宿所に、榎本が現れた。ただし、ブラサカ転向を決めたわけではない。呼ばれたから来た。とりあえずやってみる。予習は何もしていない。その程度だった。

 37歳にしてふれる、はじめてのブラインドサッカー。榎本はこう述懐する。

「単純に楽しかった。なんて言ったらいいのかな。休み時間に野球やった、ドッジボールやったっていう感覚と似てる。新しいスポーツをやって、すごく楽しかったという単純な喜びですかね」

 榎本は選手たちと同じホテルに泊まって、合宿所をあとにした。まだ心は決めていない。コーチに戻った榎本は、サッカーが大好きでたまらない子どもたちと日々接する。そして、子どもたちに語りかけている最も大事な言葉によって、自分の言行不一致に気付いてしまった。

 いいかい、常にチャレンジしよう。そこで成功するか、失敗するか。成功も失敗もなかったら、何もわからない。いつまで経ってもできないままだよね。だからチャレンジしような。失敗なんていくらしてもいい。常にチャレンジしてごらん――。

 腹は括った。2017年4月、榎本はブラサカ日本代表の強化指定選手となった。

FC東京、明大、ブラインドサッカー。

 榎本は今、三足の草鞋を履いている。FC東京普及部コーチ、明治大学サッカー部GKコーチ、そして、ブラインドサッカー日本代表。

「体、持つの?」

 ブラサカ挑戦を決めた時、妻から言われた。確かにキツい。それでも榎本は、新しい世界に身を投じたことで起きた変化を、嬉しく思っている。

 代表チームは自分を快く迎えてくれたものの、残念ながら結果は芳しくない。昨年12月のアジア選手権は過去最低の5位に甘んじた。加入から8カ月間、榎本には問題点のひとつが見えていた。そしてチーム全員の前ではっきりと指摘した。

 議論不足。言うべきことを、なぜ言わない? それって甘えじゃない? 20年プロでやってきたからそう言うんでしょ、って言うんだったら、俺が辞めてやる。

選手同士の忌憚なき議論があってこそ。

 以来、選手のみで行なわれるミーティングでは活発な議論が繰り広げられるようになった。時に感情が昂ぶって怒号に近い声が轟くこともあり、スタッフが高田に「監督、大丈夫ですかね?」と言っても、高田は「ほっとけ、やらしとけ」と静観を決め込んでいる。チームの熱量が高まっている証だからだ。選手同士の忌憚なき議論があってこそ、チームは強くなる――J1でステージ3連覇を達成し「常勝」と称えられたマリノスで榎本が学んだものでもあった。

 家族にも嬉しい変化があった。長女は学校で「ブラインドサッカーとは?」というテーマでレポートを発表し、次女と一緒に代表戦へ応援に来てくれる。そのスタンドにはマリノス時代から応援してくれているファンもいる。前例のないことをやっているから、当然不安もある。だからなおさら、温かい声援がありがたい。

 挑戦とは、自らが変わり、まわりを変えていくことだ。今年30代最後の年をすごす榎本達也は、挑戦することの意義と尊さを、身をもって知っている。

(Number951号『ブラインドサッカー日本代表 榎本達也「失敗してもいい。チャレンジしよう」』より)

文=朴鐘泰(Number編集部)

photograph by Shiro Miyake


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