J空白県の青森ダービーに思う、英雄・柴崎岳と津軽vs.南部の誇り。

J空白県の青森ダービーに思う、英雄・柴崎岳と津軽vs.南部の誇り。

 青森にいる。ねぶたを見に来たわけではない。サッカーである。ダービーマッチにやってきた。

 ちなみに、とりあえず「ねぶた」と書いたが、弘前では「ねぷた」という。五所川原では「佞武多」。それぞれにライバル意識も強いから、地元の人と話すときには気をつけないといけない。五所川原の駅前で口にすべきは、「あの異様に高い建物は何ですか?」ではなく、「さすが立佞武多。立派ですね」だ。

 そこには地域の歴史と誇りが詰まっている。尊重しなければならない。

ヴァンラーレ八戸vs.ラインメール青森。

 さて、サッカーの「青森ダービー」。

「?」という人のために簡単に説明すると、青森県内にはJリーグ入りを目前にしているチームが2つある。ヴァンラーレ八戸とラインメール青森である。

 先行していたのはヴァンラーレ八戸で、2015年にはJFLで準優勝。「年間4位以内」の昇格条件をクリアした。ところがスタジアム基準を満たせず、ライセンスが不交付。J3に入ることはできなかった。

 それでも翌年、市内沿岸部に多賀多目的運動場「ダイハツスタジアム」が完成。これで「5000人以上収容」の条件をクリアしたのだが、今度は成績が7位でNG。さらに昨季も5位と、あと一歩のところまで迫りながら昇格を果たせないまま現在に至っている。

 そこに現れたのがラインメール青森である。2016年にJFL入りすると、2年目の昨季なんと準優勝。J3ライセンス未取得だったため昇格はできなかったが(目下申請中)、スタジアムはすでにある。さあ、青森県初のJクラブになるのはどっちだ?――ざっくり言えば、そんな状況なのである。

 ねぶた同様、「ちなみに」と続ければ、こちらにも地域間ライバル関係がある。津軽(青森)対南部(八戸)である。江戸期以前からの対立だ。

柴崎のバルサ戦ゴールの日、市長は……。

 東北各藩は戊辰戦争への関わり方(新政府につくか、徳川忠義を貫くか)が遺恨の源になっていることが多いのだが、この両者に関しては関ケ原にまで遡れるというから根っこは深い。その意味では各地で続々新設される興行的(営業的)なダービーとは一線を画す。

 とにかく、ちゃんと歴史的背景のあるダービーマッチであり、「ローカルビジネス」であるJリーグにふさわしい地域間対決「青森ダービー」を見にやってきたのだ。

 小林眞・八戸市長がアキレス腱を切ったらしい。昨秋のことだ。

「9月17日でした。なぜはっきり日付まで覚えているかと言いますと……」と、キックオフ前のセレモニーで挨拶に立った市長は胸を張った。少し誇らしそうにさえ見えた。

「それが柴崎岳選手がバルセロナ戦でゴールを、ボレーで見事なシュートを決めたあの日だったからです」

 拍手喝采である。郷土の英雄がスーパーゴールを決めた日、市長もまたサッカーボールを追っていた。おまけにアキレス腱まで! 首長たるものかくありたし。僕も思わず拍手した。

出身は南部、進学先は津軽だから。

 出身は(もちろん柴崎の)野辺地。まさかりの形をした下北半島の付け根あたり。陸奥湾に面した町だ。地域的にはぎりぎり南部。進学した青森山田は津軽(青森市内)だが、この際、そんなことは超越する。柴崎岳は青森県民のヒーローである。

 実は1週間ほど青森に滞在しているのだが、メディアではもちろん、街を歩いていても彼の顔を頻繁に目にする。色んなポスターに起用されているからだ(去年も青函フェリーの中で県警の啓発ポスターで彼を見た)。

 とにかく温泉で隣に浸かっているおじさんが「あなたと呑が飲みたくて♪」と鼻歌を歌うくらいの有名人なのである。

 だから当然、市長の挨拶もこう続いた。

「柴崎選手のワールドカップでの活躍で、本県におけるサッカー熱も高まりつつあります」

クラブビジネスと地域活性。

 そうなのである。Jリーグはローカルビジネスだが、サッカーはグローバルスポーツ。世界No.1イベントであるワールドカップでの、地元出身選手の活躍を、クラブビジネスに、そして地域活性にどう結びつけていけるか――それこそがこの夏のJクラブとホームタウンのテーマだったはずだった。

 ところが再開後の話題といえば、敏腕経営者が率いるクラブが呼んだスーパースターに終始。早い話が、ワールドカップをはさんで観客が増えたクラブが見当たらないのが現実である。

 それどころかヴィッセル神戸とのホームゲームを残しているかどうかで喜んだり、悔しがったりするクラブもちらほらと。厳しい言い方をすれば、おこぼれ頂戴ビジネスと揶揄したくなる受け身体質にレッドカードを突きつけたい気分である。

 もちろん同情はする。国内組がいない。日本代表は海外組で占められる。チームにワールドカップ選手がいない以上、結びつけようがない。確かにそうかもしれない。

W杯出場を決めて中田英寿が言ったこと。

 かつて日本代表が初めてのワールドカップ出場を決めたとき、ジョホールバルのピッチで中田英寿は「代表は盛り上がったのでJリーグもよろしくお願いします」と言った。

 当時は海外組はいなかった。全員がJリーガー。だからワールドカップ後のスタンドはどこも代表選手を見ようと盛況だった。そこに新規顧客獲得のチャンスがあった。だが、今回は花束贈呈のセレモニーさえほとんど行えない。

 しかし、時代は止まってはいないのである。監督や選手が最先端の戦術やスタイルを学び、それを自らのチームやプレーに落とし込んでいるというのに、フロントだけがアップデートを怠っていていいはずがない。

 選手はグローバルマーケットの中にいる。自らの価値を認められた選手は、より高いステージに進んでいく。一方、フロントは地域に根付かなければならない。だからと言ってホームタウンに安住していいわけではないのである。

 海外組は今後も増えるだろう。「この地域にはサッカー文化がない」としたり顔で言っていれば同情される時代も、そう長くは続かないだろう。

両チームの監督に見えるもの。

 ところで青森ダービーである。試合はどうなったのか?

 ヴァンラーレ八戸が圧勝した。強烈な追い風を背に受けて、立ち上がりから積極的に相手ボールにアタック。ほぼハーフコートに押し込んで、前半だけで3ゴール。後半早々にも追加点を加え、その後の津軽の、いやラインメール青森の反撃を1点に抑え、4対1での快勝だった。

 しかも先制点、2点目は、いずれも青森から移籍してきた中村、秋吉が決めた。昨年までラインメール青森を率い、チームを躍進させてきた葛野昌宏監督が、なんと今季から八戸の指揮を執っていることも含めて、両チームのサポーター(特に青森)にとっては心中穏やかではない一戦だったかもしれないが、今後長く続くダービーの歴史に新たなエピソードが加わったと考えれば、それもまたいい。

 個人的には葛野監督はルーキー時代のプレーを見たことがある選手。屈強で、そのくせ真面目なタイプのDFだった。そして実は中田と同じ時期にベルマーレ平塚(当時)に在籍した選手でもあった。

 さらに言えば青森の望月達也監督は日本サッカーにおける海外組の先駆者の1人と言っていい。エールディビジ(オランダ1部)でプレーしたのは……と検索してみたら、もう36年も前のことだった。

 時代が変わり、常識が変わり、立場が変わる。そんなサッカー人生の中でマインドセットを繰り返してきたに違いない2人の姿を本州最北の、そして残り9県になったJ空白県で目の当たりにして感じるものが大いにあった。

「グローカル」なんて言葉がもてはやされたこともあったが、Jリーグと日本サッカーはこの先、どんな世界になっていくのだろう、とも。

 勝ったヴァンラーレ八戸はこれで3位に浮上。4年越しのJ3への挑戦がこれから佳境に入る。

文=川端康生

photograph by Yasuo Kawabata


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