小学校の先生は高校野球の監督。慶應の「二刀流」森林貴彦とは。

小学校の先生は高校野球の監督。慶應の「二刀流」森林貴彦とは。

 偉人・福沢諭吉を評する際、「異端者」という言葉が多く使われる。

 官職を求めることなく、生涯、無位無官の一市民を貫き、権威や世論の大勢に抗して、自らの知性の信じる道を進んだ思想家であった為、「異端者」と呼ばれたのである。

 批判を恐れず、より良い時代、環境を作り上げる福沢諭吉の精神は、のちに「先導者」として賞賛され、発してきた数々の言葉は、現代にも残る名言となっている。

「広尾から日吉の塾高グラウンドまで、何で移動するのが一番早いだろうか……」

 2年前。慶應義塾高校の野球部監督に就任したばかりの森林貴彦は、僕が誘った食事の席で、お好み焼きを頬張りながら、柔和な表情で驚くべき言葉を発した。

幼稚舎の担任で、高校野球の監督。

「えっ、森林先生、高校の先生に転任して野球部の監督を引き受けたわけではないんですか?」

 僕は思わず聞き返した。

「もちろん、現状のまま。午後3時まではこれまで通り幼稚舎の生徒の担任を続けて、そのあとに高校のグラウンドに向かうよ。課題は移動時間だ。出来るだけ早く、広尾から日吉に向かう手段はないかな」

 広尾にある幼稚舎とは、つまり慶應義塾の付属小学校。森林監督は小学校の教壇で担任教師としてクラスを持ち、その後、高校へ移動して、高校の野球部監督として夕方からグラウンドで指導する道を選んだのだ。

 小学校の先生と、高校野球の監督。

 聞いたことのない二足の草鞋。小学生と高校生に、一日に同時に向き合う。今、流行りの言葉を使えば「教育界の二刀流」だろうか。

「高校生は大人と子どもの中間」

 当時は難しい挑戦かと思われた。与えられた時間はすべての高校野球の指導者に平等の24時間365日。甲子園出場に向けて選手と向き合い、指導できる時間は明らかに少ない。

 歴代の甲子園出場校の監督からしたら、想像もつかない環境だと思われる。

 しかし、森林監督は100回記念大会である今夏の北神奈川大会を勝ち抜き、監督就任3年で、春夏連続の甲子園出場という形で鮮やかに答えを出して見せたのだ。

「他校の監督と違う点は? と聞かれても、明らかに違いますよね。小学生と高校生の両方を見ているんですから」と、森林監督。

「高校生は、大人と子どものちょうど中間。小学生のような元気さを持つ子どもらしさと、自己と思考力のある大人の側面を持ち合わせている。僕はその両方を引き出してあげる役目です」

 今の慶應高校の選手たちは、まるで森林監督の言葉を体現するかのようにプレーする。ダイヤモンド内を情熱がほとばしるように無邪気に躍動したかと思えば、一方でベンチ、バッターボックス、グランド外ではしたたかなほど冷静に、緻密に局面を考え抜いている。

選手自ら「もう投げられません」。

 そして、選手たちは自らの意思を包み隠さず、森林監督に告げる。

「もう投げられません。無理です」

 これは北神奈川大会決勝で先発した慶應高校のエース生井惇己が、リードして迎えた試合終盤、右翼守備からの再登板を打診された際に、森林監督に告げた言葉だ。

 高校野球の常識からしたら「大丈夫です、行きます。最後、投げさせてください」というのが、甲子園出場に手を掛けたエースの発する言葉だろう。

 ただ、そんな生井の言葉を森林監督はすんなりと受け入れる。

「僕は小学校で教壇に立ち続けてきました。そこでは生徒一人ひとりの行動を見ることを大切にしてきました。高校の監督就任に当たっても、グラウンドに立てる時間が少ない分、練習指導は学生コーチに任せて、僕はとにかく選手の人間的な本質を見ることに時間を割いてきましたから」

「僕は君たちのドローンだから」

 選手の性格、特徴、考え、体調、プレースタイル、感性……球児としてだけではなく、1人の人間としての本質を見抜く。だからこそ、選手から出てくる言葉を信じ、受け入れる準備ができているのだ。

「僕は君たちのドローンだから」

 森林監督は選手に対して、自分のことを「ドローン」と表現する。

「選手たちのことを上から俯瞰で見て、少し後ろから追いかける。これが僕の指導ポリシーです」

「真上ではなく、少し後ろから」が重要だという。

「前に出て、ついてこい! とは言いません。少し後ろから見ているからこそ、高校生の子どものような伸び伸びした無邪気さと、大人のような知性が呼び起こされると考えています」

 大学卒業後、会社員を経験したが、いわゆる脱サラをして大学院で教育論と指導法を学び、現在は小学生と高校生を教える。そして、つかんだ春夏連続の甲子園切符。

 斜め後ろから眺める、ドローンのような監督。森林流は今のところ「異端」だろうが、これがいずれ主流となり、森林監督があの福沢諭吉のように「先導者」と呼ばれる日が楽しみで仕方ない。

 まずは慶應高校が10年ぶりに出場する夏の甲子園で、その成果を見せてくれるだろう。

 そういえば、16年前の大学野球部の夏合宿。日吉の慶大グラウンドにコーチングの勉強生として来ていたのが、森林監督だった。

 あの時もそう、少し下がって後ろから、バットを振り込む僕らの練習をじっと見ていた。いつもの柔和な表情で、選手の本質を見抜こうとするように。

文=田中大貴

photograph by Kyodo News


関連記事

おすすめ情報

Number Webの他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

スポーツ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

スポーツ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

記事検索