大阪桐蔭、夏の甲子園初黒星。二重の屈辱が名将・西谷浩一を生んだ。

大阪桐蔭、夏の甲子園初黒星。二重の屈辱が名将・西谷浩一を生んだ。

 100回目の甲子園で、二度目の春夏連覇を狙う大阪桐蔭。

 激戦区の大阪にあり、今年の準決勝でも激闘を繰り広げた履正社というライバルが存在しながら、この7年間、14回のチャンスで11回目の甲子園出場を果たしている。そして春3回、夏2回、合計5回の優勝。圧倒的なまでの戦績だ。

 そんな「平成の常勝軍団」がどうしてここまでの強さを獲得したのか。Number958号では、知られざるターニングポイントを探るために、夏の甲子園における初黒星を取材した。

初出場初優勝から低迷期へ。

 大阪桐蔭の初黒星は、2002年のことだ。だが、実はその前に夏の甲子園で「5勝」をあげている。

 夏初出場の1991年、大阪桐蔭は大阪大会を突破した勢いそのままに帝京や星稜などの強豪を打ち破って勝ち進む。そして決勝では沖縄の夢を背負った大野倫を擁する沖縄水産を破って頂点にのぼりつめたのだ。初出場初優勝の快挙は、大阪に新たな強豪が誕生したことを世間に知らしめるに十分だった。

 だが、そこからはしばらく低迷期に入ってしまう。後にプロ入りするなどいい選手は集まってきたものの予選を突破できない時期が続き、1998年には創部直後からチームを指揮してきた長澤和雄から、1993年よりコーチを務めていた西谷浩一(現監督)へと監督が交代している。

 長澤は我々の取材中、当時を振り返った。

「僕は社会人野球に育てられたという思いが強いんです。やらされるのではなく、自分でやらなければ、技術は身につかないと考えていました。だから自分を選手に置き換えて指導していた。放任ではありませんが、監督の仕事の基本は『見る』ことで、あとは選手たちに工夫させながら練習をしていた。また、何年計画と言ってメンバーから外す学年を造りたくなかったんです。かわいそうでしょう」

 やさしいんですね、とこちらが声をかけると、顔をほころばせる。「ただね……」と長澤は苦い顔をした。

中村剛也、岩田稔を擁した代ですら。

「'91年に初優勝して以降、甲子園にいけなかったのは、警戒していた強豪校には勝てるのに伏兵に簡単に負けていたためですね。なんというか、夏の大会に向けてチーム全体の調整の仕方を間違っていたのかもしれません。反省することもあります。監督の交代も突然だったのですが、まあ学校の決めることだし仕方がないかな、という思いもありました」

 コーチとして選手とともに寮に泊り込んでいた西谷は、監督になってからも選手との距離を縮め、指導に打ち込み、スカウトにも力を入れていった。その西谷が最も甲子園出場を期待したのが、2001年のチームだ。

 プロ球界を代表する長距離砲に成長した「おかわり君」こと中村剛也が4番に座るチームは、大阪大会でも本命と目されていた。だが、決勝戦で上宮太子に敗れてしまう。

「あの代の投手には阪神におる岩田(稔)もおったし、西谷は相当ショックを受けていましたよ」(長澤)

「このチームで行けるのか」

 さらに追い討ちをかけるように、2001年の秋に部内の暴力事案が発覚し、西谷はコーチへ降格。長澤が監督に復帰した。そして長澤によると「前年に比べればピッチャーも手薄で、攻撃力は明らかに落ちた」チームが、11年ぶりの甲子園切符を掴むことになったのだ。

「正直にいうと、このチームで行けるのか、と思いましたよ。大阪でも負けそうな試合がいくつもありましたから。巡りあわせでしょうかね。実は2001年のチームには中村の弟もいたんです。体格も筋力も兄に劣りましたが、運命というか、高校野球における“運”は弟のほうが持っておったのかもしれませんね」

 甲子園に出場したそのチームの顔は、主将の西岡剛(現・阪神)だった。

「僕がスカウトしたんです。本人はPLに入りたがっていたのですが、誰よりも野球が好きで、気持ちが強かったのが気に入りましてね。入学したてのころは体力がなかったけど、徐々に体もできてきて、ランチタイム特打をやらせると喜んでバットを振っていたのを覚えています。ショートの岩下(知永)との二遊間は野手の中でも頭一つ抜けていて、ほとんどエラーがなかったんじゃないかな。

 やんちゃなところもあって、言いたい放題だから周りから尊敬されるタイプではないけど、プレーでチームを引っ張るタイプでした」(長澤)

「大阪代表が初戦敗退はダメですわ」

 大阪桐蔭、11年ぶりの甲子園。初戦の相手は古豪・東邦(愛知)だった。

 初回に2点を先制される苦しい展開の中、西岡は2安打と気を吐くも、9回表の3失点が響いて結果は3対5――。これが大阪桐蔭が喫した夏の甲子園・初黒星だった。

「大阪の代表として、初戦で負けたらダメですわ。僕らは甲子園の近くですが、地元に帰れないという意識もありましたね」

 後悔する采配もあるというが、試合を思い出していると、長澤が冗談っぽく笑った。

「最後のバッターが一塁にヘッドスライディングをしたんですけど、間に合わずアウトになったんです。そうしたら普段はそんなことしない西岡が三塁ベンチから飛び出していって、そいつを抱きかかえるんです。ショーマンシップというか、演技派というかね(笑)、あいつらしい振る舞いで今も覚えていますよ」

西谷監督の采配は辛抱強い。

 その年の秋、新チーム発足後に再び監督の座を西谷に譲った長澤が、初黒星の意味について思考をめぐらせてくれた。

「これは西谷が感じることでしょうけど、悔しかったと思いますよ。そして、おそらく西谷の中で何かが変わったのでしょうか。あの初黒星に至る1年間、おそらく僕のいいところも、悪いところも、じっと見てくれていたはずですから。僕は監督を再び退いた後、ほとんどグラウンドには行かなくなりました。西谷が『まだ後ろに長澤がおるんか』と思われてしまうのはあれですからね」

 甲子園にいけると思ったチームで負け、監督を一時的に退いた直後に甲子園出場――。二重の屈辱が、名将・西谷を育んだのかもしれない。

 そして長澤は、常勝軍団を築いた西谷の采配をこう評した。

「辛抱強い、ですね。一度決めたらスタメンを簡単には変えません。信頼した選手を我慢をしてでも使っていく。僕にはできません(笑)。それに、ひとつひとつのプレーのレベルは高いけど、奇抜な作戦を使っているわけではないでしょう? オーソドックスです。そのあたりがいまの大阪桐蔭の野球のカラーになっていると思いますね」

 '04年春に甲子園で初めてチームを率いた西谷は、その大舞台においてこれまでに通算49勝9敗という驚異の勝率を誇っている。

 初黒星から16年。今年の夏、大阪の常勝軍団は、どんな戦いぶりを見せてくれるのか。西谷采配にも注目しながら、楽しみたい。

文=涌井健策(Number編集部)

photograph by Kyodo News


関連記事

おすすめ情報

Number Webの他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

スポーツ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

スポーツ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

記事検索