「アマボクシングに命懸けとる」山根明の書かれざる素顔。

「アマボクシングに命懸けとる」山根明の書かれざる素顔。

 今やすっかり時の人となってしまった山根明・前日本ボクシング連盟会長。最初に取材してから30年以上にわたって長く接してきた中で、筆者なりに感じた彼の人物像を記しておきたい。

「俺はアマチュアボクシングに命懸けとる」

「法人のために体張って生きてきたからな」

 これまで山根明氏の口からこんな言葉を何度聞かされてきたことだろう。

 法人とは「一般社団法人日本ボクシング連盟」のことである。「命懸けとる」とはなんと大げさな、なんと物騒なと思われるかもしれないが、本人は大真面目で、山根氏の半生、特に後半、ボクシングに関わるようになってからは、まさに命懸けで日本アマチュアボクシングのために戦ってきた。その挙句が「会長辞任」。

 AIBA(国際ボクシング協会)の理事として8年間活動する中で、押しの強さと独特のキャラで国際的に顔を売った。この間、「ジュリー(審判委員)」として参加したアジア圏の国際大会では、日本代表選手に下された敗北の判定が不当だとして猛烈に抗議し、判定を覆させたこともあった。

とんでもないワルの印象だが。

 週刊文春は最新号(8月16・23日号)で、「山根明『悪の履歴書』」と掲げて特集を組んだ。他のメディアの記事タイトルにも「悪行」「マル暴交際」の文字が躍っている。山根氏を知らない人はやくざの親分のようなこわもての風貌と重ねて、とんでもないワルとの印象を受けたかもしれない。

 しかし私がこれまで取材で接してきた山根氏の印象は異なる。

「俺は曲がったことなどひとつもしとらん」と言うのが口癖だった。

 実際、そう信じて生きてきたことは間違いない。

「いい人」だという関係者も。

 例えば、今回問題となったJSC(日本スポーツ振興センター)からの助成金の分配などがまさにそれである。「助成金不正使用」と追及されたが、本人の懐に入れたわけでもない。3選手に助成金を受けさせたいのに、JSCからは1人のみと指定されたので、勝手に配分した。

 自ら「親心からしたこと」と言うように、これが山根流の“常識”なのである。のちに「助成金の主旨を知らなかった」と謝罪したが、今でも悪いことをしたとは思っていないはずだ。

 今回の騒動で山根氏の評判を取材して回った複数のテレビ関係者が「いい人だという意見もありました」と言っていたが、番組や記事ではこうした声はほとんど取り上げられることがなかった。

 多くのスポーツ競技団体の幹部たちはほとんどが大学・高校など教育関係を出身母体にして出てくる。日本ボクシング連盟も山根氏の登場以前はやはり大学の指導者たちが仕切っていた。山根体制以前も同じように独裁型で、当時から疑惑の判定が横行し、学閥の弊害も指摘されていた。

村田、清水のメダル獲得で涙。

 そんな中、極めて特異なコースを歩んでのし上がってきたのが山根氏だった。奈良県連の会長を足掛かりにこの道をスタート。当時ボクシング不毛の県だった奈良の強化を依頼されてこれに取り組み、優秀な指導者を育て、五輪代表になるようなボクサーを養成した。

 こうした実績を背に、近畿(現関西)連盟の会長となり、やがては日本連盟のトップの座につく。

 この間、5年ほど病に伏していた時期があり、一部からは“死に体”とみられていたが、不死鳥のようにカムバックし、'11年に日連会長に就任する。

 翌年のロンドン五輪での、金(村田諒太)、銅(清水聡)の複数メダル獲得はボクシング史上初の快挙だった。村田と清水の2人がメダル確定となった時点で山根氏が現地から電話をかけてきて、感激のあまり泣き出し、会話ができない状態になったこともあった。激情型の人なのである。

電話するとゴッドファーザーの曲。

 今はあらゆるメディアが山根氏を追い、出自の問題にも触れている。

 さすがにこれは過去にも面と向かって山根氏に尋ねるようなことはしなかったが、「大阪・堺の出身」と言っていた。週刊新潮の本人手記では、一度韓国に渡り、10歳の時に密航して日本に戻ったとある。

 私の周りにも「帰化する際に力を貸した」という人物もおり、これが事実なら、波乱万丈の半生を送ってきた人で、我々が想像もつかない過酷な苦労をしてきたのだろう。

 若い頃は“一匹狼”として喧嘩を重ねて生きてきたと告白していた。大阪・十三では暴力団からも一目を置かれる存在だったという。本人は「傷害で捕まったことはあるが、前科はない」と言い、その証拠として、前歴の審査が厳しい猟銃所持の許可を30年近くも所持していることを挙げていた。

 筆者はいわゆるやくざ映画の類を一切見ないが、世にこの世界にあこがれを持つ人々が少なからずいることは分かる。山根氏に電話すると、初めに「ゴッドファーザー」のテーマ曲が流れてくるように、義理人情の世界や“その筋”の物語が好きなのである。もしアマチュアボクシングと出会うことがなかったら、おそらくそういう社会で才能を発揮していたことだろう。

見栄っ張りで目立ちたがり屋の面も。

 人情家の面もあり、人から頼まれるとお節介なほど尽くそうとする。どこか人を惹きつけるものがあり、そこはやはりこの人独自の「カリスマ」なのだろう。見栄っ張りで目立ちたがり屋の面もあり、メディアの取材を率先して受けるのはいいが、昔のやくざの親分との付き合いをばか正直なほどあけすけに語り、今回の会長職辞任の事態に至ったわけだ。

 言わなくてもいいことを口にしてしまうほど正直な人だと感じたのは、数年前に判定疑惑を山根氏にぶつけて議論した時だ。「10−10のラウンドは、好きな方に(ポイントを)つけろと指示している。人間誰しも依怙贔屓はあるだろう」と山根氏は主張したのだ。

日大・田中理事長から客員教授委嘱。

 好き嫌いが激しいのは、食事の嗜好だけでない。人事の面でも抜擢するのはいいが、起用されなかった人たちの反発もある。今回も一時は側近だった元近大ボクシング部総監督とのもめごとが発端となり退陣要求の動きが起き、途中から「日本ボクシングを再興する会」に山根退陣キャンペーンが引き継がれた。

 今春山根氏は昵懇の日大・田中理事長から「客員教授」を委嘱された。日大ボクシング部の祝勝会の場で田中理事長から明らかにされると、来賓の山根氏が感涙にむせぶ光景を目撃している。本人にはこの上なく名誉なことだったろうが、ほとんど教育を受けていない山根氏が「客員教授」になることに、学校関係者の反発も強かった。

 高体連ボクシング専門部は一昨年あることからトップの2人が日連から除名処分を科された。処分はやり過ぎとの声も根強く、山根日連と高体連との水面下の緊張関係が続いていた。今回「日本ボクシングを再興する会」の告発に賛同した333人の多くが高校ボクシングの指導者だったことからも、その反発の強さが推察できよう。

 山根氏は8月8日、7年間君臨してきた会長職を辞した。告発内容を認めたのではなく、昔のやくざとの付き合いを口にしたことの責任を取ったという。

 後継問題を含めて、まだアマチュアボクシングの混乱は続いている。ボクシングが被ったイメージダウンははかりしれない。

文=前田衷

photograph by Kyodo News


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