青山敏弘の心からトゲは消えた。W杯の後悔と、広島での独走と。

青山敏弘の心からトゲは消えた。W杯の後悔と、広島での独走と。

 ロシアで見た、柴崎岳のパスにシビれた。

 三ツ沢で見た、青山敏弘のパスにシビれた。

 ワールドカップとJリーグ、相手も場所も大会の規模も違えど、放たれたパスの光沢に比較はない。あのときに感じたものと似たツヤ、似た色気があった。周りを躍動させる、力があった。

 8月1日、横浜F・マリノス−サンフレッチェ広島戦。

 前半途中、ハーフウェーライン付近だった。青山はボランチの相棒である稲垣祥が奪ったボールを受け取って、すぐさま斜め前にまさに「ポーン」と送る。狙いどおりの角度、速度、パスの質。相手GKとDFのちょうど間に落とすいやらしさ満載でクリアさせず、今季のトップスコアラーであるパトリックにシュートを打たせた。ポストに弾かれたとはいえ、脅威と魅了の放物線であった。

 ロシアで見た、柴崎岳のディフェンスにシビれた。

 三ツ沢で見た、青山敏弘のディフェンスにシビれた。

 パスカットあり、タックルあり、スライディングのシュートブロックあり。粘着と気迫の警戒線であった。

唯一のサプライズでメンバー入り。

 三ツ沢の夜に、想像する。ロシアワールドカップでもし青山に出場機会があったら、どのようなプレーをしていたのか、を。コロンビア相手に、どんなプレーでリベンジを果たそうとしていたのか、を。

 唯一のサプライズだった。

 2カ月半前、ロシアに臨む日本代表候補メンバー発表にその名はあった。首位を走るサンフレッチェ広島でその中心にいるとはいえ、3年ぶりの代表復帰を予想した人は皆無に近かったはずである。

 中断前のラストゲーム、セレッソ大阪戦を終えて取材エリアにあらわれた青山の周りには人だかりができていた。敗戦に悔しさを浮かべつつ、代表への強い思いを口にした。

「最後がホームだったんで、できれば勝って“行ってきます”と言いたかったんですけど、まあ自分らしくていいんじゃないですか。気を引き締めて代表に行けます。ここまでチームがやってきたことは素晴らしいこと。そこで選ばれたことは誇らしいこと。自信を持って代表に行きたい」

ハメスを止められなかった一瞬の後悔。

 コロンビアに借りを返すとき――。

 4年前のブラジルワールドカップは、青山の心に大きな傷あとを残した。

 1分け1敗で迎えた第3戦のコロンビア戦、これまで出番のなかった彼は負の流れを変えるべく先発に起用された。灼熱のクイアバ。期待に応えるべく、前のめりになる彼がいた。持ち味の縦パスには冷静の要素が欠けていた。

 後半、彼にとって忘れられないシーンが訪れる。

 満を持してピッチに入ってきたハメス・ロドリゲスに勝ち越しゴールを許した、あの一瞬のこと。軽やかにゴール前に入ってきたところに青山は構えていた。行くべきか、行かざるべきか。その躊躇を見透かされ、食い止めることはできなかった。間接的な責任ではあったとしても、彼は自分を責めていた。

 ワールドカップから4カ月経って、彼に話を聞く機会があった。まだ「あの瞬間」を引きずったままだった。

「今でもあそこはなんで行けなかったのか、なんで下がったのか。もう1個前でボールを獲らなきゃいけなかった。後悔しかない、悔しさしかわかない」

 ブラジルから時間が止まっていた。少し間を置いてから、自分に語り掛けるかのように小さく声を発した。

「ワールドカップは悔しい思いしかないです。でも遠藤(保仁)さんだってドイツW杯で出られず、悔しい思いをしている。ワールドカップの悔しさは、そこでしか晴らせない。僕も立ち止まっているわけにはいかないですから」

初のJリーグMVP、そして残留争い。

 立ち止まることなく、前へ。

 その固い決意を示すように、翌2015年シーズンのサンフレッチェは滅法、勝負強かった。シーズンを通して最多の73得点、最少の30失点と他を圧倒した。年間1位の座を勝ち取り、ガンバ大阪とのチャンピオンシップを制して2年ぶりの優勝を決める。そして青山は、初のJリーグMVPを獲得した。

 しかしながら昨年は一転して、残留争いの続く厳しいシーズンとなり、恩師である森保一監督も7月にチームを離れた。それでもしぶとく残留を決めたことも、青山の新たな経験値となった。

合流することなく終わった2度目のW杯。

 苦しんだ分だけ、人は成長できる。

 試練と突破を繰り返してきた青山の生きざまが、それを証明してきた。今季の彼はチームの池田誠剛フィジカルコーチのもとキャンプから徹底的な走り込みと下半身強化で、1年間走り切る、闘い切る体づくりにこだわった。

 その成果を感じつつ、アップダウンを経て人間的な成長も得た。その対価こそが代表復帰であった。リベンジに向かうロシア行きのチケットは手に届きそうなところまで来ていた。

 しかしながら、青山がロシアの舞台に立つことはなかった。

 メンバー発表から1週間後、右ひざ痛のために代表を離脱することが決まった。中断前に悪化させており、代表チームの判断によって一度も合流することなく彼の2度目のワールドカップは終わったのだった。

「いや、すぐに切り替えました」

 4−1と快勝した三ツ沢での試合後、そのときの思いを聞くことにした。

 気持ちを切り替えるには、大変だったのではないか、と。

 青山は首を振った。

「いや、すぐに切り替えました。痛みをずっと抱えたまま試合をやっていましたけど(ワールドカップまで)あと1カ月あるから、やりながらとは思っていたんです。ただ、ドクターストップがかかった以上、もうそこは切り替えないと。ケガを治さなきゃいけないというのが先にありましたから」

 チームがリベンジを果たしてくれたことは「応援していました。すごいと思います」。その喜びの表情を見るにつけ、心に刺さったトゲが抜け落ちたんだなと思えた。ロシアの舞台に立てなかったとはいえ、中身の濃い4年間を過ごしてきたからこその感得なのだ、と。

トゲが落ちた32歳は走り続ける。

 円熟の32歳は、絶好調チームの先頭に立つ。

 走る、走る、走る。

「前半戦はずっと走ってきたのに(最近は)ちょっと落ちていた。ホームでレッズに叩きのめされて(7月28日、1−4)チームとしてもう1回、そこから入っていかなきゃいけない、と。きょうはめっちゃ走りましたね(笑)」

 トゲが落ち、後ろを振り返ることもない。

 今は前だけを見て、シビれるほどに全力で走る、走り切ろうとする青山敏弘がいる。

文=二宮寿朗

photograph by J.LEAGUE PHOTOS


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