北京五輪の落選ショックから10年。青山敏弘が森保Jで巻いた赤い腕章。

北京五輪の落選ショックから10年。青山敏弘が森保Jで巻いた赤い腕章。

 開口一番、青山敏弘は「なにもできなかったね」と試合を振り返った。しかし、ネガティブな言葉とは裏腹に、その表情は充実感に満ちていた。

 確かに立ち上がりの青山は、何かがおかしかった。普段は味方の足下にぴたりとたどり着くはずのインサイドパスが、まるで精度を欠いてしまう。

 スピードが足りず、あるいは角度を狂わせ、ビルドアップもままならない。そんなシーンが、2度、3度。らしくないプレーが続いた。

「緊張しましたね。久しぶりに代表でやって、慣れるのに時間がかかっちゃいました」

 冗談めかして答えたが、ポーカーフェイスの新たなキャプテンが、ひそかに重圧を感じていたのは間違いない。恩師の大事な初陣で、偉大なる前任者から腕章を引き継いでピッチに立つ。

 キャリア充分のベテランであり、チームでも主将の大役を長く務めるが、やはり日本代表という場所は別格なのだろう。思い通りにプレーができなかったことで、冒頭の言葉を発したのだ。

日本代表と縁遠かった10年間。

 それでも後半には立て直し、持ち味であるサイドチェンジやダイレクトの展開、試合終盤には得意のロングフィードで、かつての同僚、浅野拓磨とのホットラインを開通させている。

 もっとも充実の表情の背景は、決して自身のプレーにあるわけではない。「後ろから見ていて頼もしかった」という若きアタッカー陣の躍動に、チームとしての手応えを得られたからだろう。若手の活躍に目を細めるその表情からは、ベテランの貫禄がにじみ出た。

 今年で32歳。このチームでは最年長となる。しかし、Jリーグで3度の優勝を成し遂げ、2015年にはJリーグMVPを獲得した青山も、日本代表でのキャップ数はこのコスタリカ戦を含めても、2桁には達していない。

 日本代表とは縁遠い男の負の歴史は、2008年までさかのぼる。

「岡山で新幹線を降りたくらい」

 予選では主軸として活躍しながら、北京五輪代表から落選。この悲劇が結果的に、青山のキャリアを青いユニホームから遠ざけた。

「あんなに落ち込んだのは、今までなかったかもしれない。大阪から広島に帰る新幹線のなかで落ちたことを知って、あまりのショックに実家に帰ろうと思って、岡山で降りたくらいだから。結局実家には行かなかったけど、ホームで1時間くらいボーっとしてた。

 チームに帰っても周りの目が気になって、どうしようもなかった。同情されてるのかなとか、気を遣ってしゃべってこないのかなとか。そんなわけはないのに……」

 後に当時の想いを青山はこう振り返っている。アンダーカテゴリーの世界大会の経験がなかった青山にとっては、初めて世界を知り得るチャンスだった。すべてをかけていた分、落選のダメージはあまりにも大きかった。

「国内では良い選手」という評価。

 一方で、同年生まれの本田圭佑、岡崎慎司、長友佑都、あるいは年下の香川真司や内田篤人がこの大会をきっかけに、日本代表の主軸へと上り詰めていく。

 海外移籍を実現する選手も次々に現れていくなか、青山はサンフレッチェ広島という中堅クラブで不動のレギュラーとなってはいたものの、スポットライトを浴びる同世代との差は広がるばかりだった。

「刺激になるよね。俺らの年代がそこまで来てるんだと、リアルに感じられるようになった。もうちょっとパフォーマンスを上げて、注目を浴びるような位置までレベルアップしていきたい。そういった新たな楽しみが生まれてきたのは間違いない」

 悔しさをモチベーションに変えて成長の糧にした一方で、なかなか彼らに追いつけないという焦りもあったはずだ。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督に才能を見出され、森保一監督の下で逞しく鍛えられたボランチは、2012年、2013年とリーグ連覇に貢献。それでも、「国内では良い選手」という程度の評価を受けるに過ぎなかった。

ブラジルW杯メンバー入りも……。

 2013年、27歳の時に遅まきながら日本代表デビューを果たすも、国内組で臨んだ東アジアカップのメンバーであり、“真の日本代表”とは認識されなかった。それでもそこでのパフォーマンスが当時のアルベルト・ザッケローニ監督に認められ、2014年のブラジルW杯メンバーに滑り込んだ。

 しかし、代表ではほとんど一緒にプレーしたことのないメンバーばかりのチームに青山の居場所はなく、コロンビア戦に出場したものの、世界との差を見せつけられるだけの結果に終わった。

 青山にもスポットライトが当たるチャンスがなかったわけではない。2015年3月のウズベキスタン戦で豪快なミドルを突き刺し、代表初ゴールをマーク。この得点だけでなく、鋭い縦パスで多くの好機を演出し、就任したばかりのヴァイッド・ハリルホジッチ監督の「縦に速いサッカー」というコンセプトを見事に体現した。

 この好パフォーマンスから、代表の主軸となると見込まれたが、なぜかその後、青山が代表に招集されることはなかった。

ロシアW杯落選後のメッセージ。

 さらに不運は続く。西野朗監督の初陣のメンバーに招集され、ロシアW杯出場のチャンスが巡ってきたが、直前合宿で負傷が判明し、アピールすることすらできずに日本代表を離脱している。

 年齢を考えれば、ロシア大会が青山にとっての最後のW杯となると思われた。そのチャンスを不慮の事態で逃したのだから、ショックは相当だろう。ブラジル大会のリベンジを期していただけに、なおさらだ。これまでに大きな怪我に何度も見舞われ、悔しい思いを繰り返し味わってきた選手である。

 そんな男にまたしても訪れた悲劇。筆者は代表離脱の報を聞いたとき、いてもたってもいられず、青山にメッセージを送った。すると気丈な言葉が返ってきた。

「お気遣いありがとうございます。期待にそえず悔しいですが、またJリーグで頑張ります!!」

森保さんのサッカーは一番自分が。

 その言葉通りに青山は、W杯後に再開したJリーグで好調を維持し、首位を独走するチームをキャプテンとしてまとめ上げている。そして恩師が就任した新生日本代表にも招集され、赤い腕章も託された。

 本田が代表引退を表明し、その他の同世代も年齢的な衰えを隠し切れなくなっている。そんななか青山は、一歩ずつ階段を上り、時に踏み外しながらも、再び這い上がってきたのだ。

 もちろん青山自身「森保さんだから呼ばれているというのは自覚しないといけない」と、自身の立場を理解している。一方で、このチームを牽引していくという自負もある。

「森保さんのサッカーは、自分が一番分かっていると思う。気負わず、やれる範囲でやりたいと思います」

 遠回りした男にスポットライトが当たる時が、ようやくやってきた。

文=原山裕平

photograph by Getty Images


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