中日・荒木雅博は、なぜ「さよなら」を言わないのか。それぞれの引き際。

中日・荒木雅博は、なぜ「さよなら」を言わないのか。それぞれの引き際。

「さよなら」を言うのはいつだって難しい。

 もちろん、感傷的になってしまう自分を見られたくないという照れや恥じらいもあるのだが、それよりもタイミングだろうと思う。

 もう辞めよう。心の中でそう決めることはできても、それをいつ口に出すのか。それが難しいのだ。おそらく、そのひと言が自分や周りの人たちを変えてしまうからだと思う。

 今年はプロ野球の大きな転換期だったのだなあ、という気がする。1000試合登板、歴代最多セーブの鉄腕・岩瀬仁紀、トリプルスリーの松井稼頭央、カープに愛された新井貴浩、育成から巨人のリリーフエースとなった山口鉄也、そして杉内俊哉、後藤武敏、小谷野栄一ら松坂世代を代表する選手たち……これほどの大物が続々と引退を決めたシーズンもないのではないか。そして、それぞれのプロがどんな引き際を選択していくのかを興味深く見ている。

「辞める」と言ってしまったら。

 そんな中、シーズンもほぼ終わり、秋風が肌寒くなったこの10月5日現在、まだ「さよなら」を言っていない選手がいる。

 荒木雅博。

 中日ドラゴンズの黄金期を支えた内野手で、2000本安打達成、ゴールデングラブ6度の名選手だ。

 すでに今季限りで引退するという報道は出ている。ユニホームを脱ぐのは間違いないだろう。ただ、彼はまだ自分の口から「辞める」と言っていない。同じチームの岩瀬も、浅尾拓也も引退会見をしたのに、荒木だけは別れを口にしていないのだ。

 その姿を見て、いつだったか、荒木がこんなことを言っていたのを思い出した。

「みんな、いろいろな引き際があるけど、俺は『辞める』って言ってしまったら、グラウンドに立てないような気がする。これは自分の性格かもしれないけど、相手も辞めると言った自分と戦うのはやりにくいんじゃないかって思ってしまうんだよね」

外れ外れ1位の原点は15歳の冬。

 1996年、外れ、外れの1位でドラゴンズに入団した。抽選の運によってはからずも「ドラフト1位」の看板を背負ったが、ファンの期待や注目とは裏腹に最初は打撃ケージから打球が出なかった。過大評価と線の細さのギャップにスカウトまでが「気の毒なことをした。悪いことをした。いつ身投げするか、心配だった」と言うほどだ。

 そんな男が、名球会に入り、23年間も駆け抜けてこられた理由はなんだろうか。

 原点のように思えるのは、荒木雅博、15歳の冬のことだ。

 すでに中学時代から熊本県内では知られた存在だった荒木のもとには、強豪校から野球特待生としての話がいくつか来ていたという。さらには名門・熊本工からも本人が希望すれば、野球部に欲しいという誘いがあったという。

 ただ、中学の指導者を通じて、これらを聞いた父・義博さんはあえて息子にそれを告げなかった。

「別に大したことのない選手だと思うとったし、高校っていうところは、ばってん、スポーツするところじゃない。勉強するところやと考えとったから。熊工に行きたいなら、勉強でいったらええ、と。それだけですよ」

一般入試まで灯った部屋の明かり。

 熊工から甲子園、プロ野球へと夢を描いていた荒木は、自分が野球で評価されていることを知らずに、その冬は勉強に打ち込んだ。

 2月。学業推薦の試験に落ちた。

「しょぼんとして帰ってきたから『まだ一般入試がある。それが本番や』と。そんなに熊工に行きたいんなら、それは応援しようと思うっとったんです」

 それから3月の一般入試までの間、菊池郡菊陽町の実家2階の荒木の部屋には、いつも夜中まで明かりが灯っていたという。

 しんしんと冷える冬の夜。たまに階段を「トントントン」と降りてきては、庭に出て、素振りをしていた。

 父は居間で、その音を黙って聞いていた。

「別に美談なんかじゃない。プロ野球選手なんかになってしもうたら、あとで苦労すると思ったただけ。本当に普通の子やったからねえ」

落合博満が口にしていた評価。

 そして、熊本工に入学し、本当に甲子園に出て、プロ野球選手になってしまった息子を、父はこう言って送り出したという。

「決して有名選手にならんでもええよ。人として立派になってくれれば、それでええよ――」

 荒木が自分に野球特待生の話があったことを知ったのは、プロに入って、しばらくしてからだったという。

 今から振り返ってみれば、これは荒木という選手を象徴するエピソードだ。

 あらためて、ドラゴンズ黄金期の指揮官だった落合博満がこう言っていたのを思い出す。

「俺を一番困らせたのはあいつだよ。自分のことを過大評価する奴の多いこの世界で、あいつは過小評価しているんだから。『お前、自分がどんだけの選手かわかっているのか。この俺が認めてるんだぞ』って言っても、ダメなんだ」

 決して自分を過大評価することなく、適正評価すらせず、ひたすら走ってきた。止まったら負ける。そんな恐怖感が彼を突き動かしてきたのだろう。

 それは血筋でもある。

緊張感を失ってしまえば……。

 荒木が「さよなら」を言わない理由がなんとなくわかる。

 きっと口にしてしまえば、走れなくなる。キリキリとした勝負の中にしか存在しない緊張感を失ってしまえば、自分は止まってしまう。そんな思いなのではないだろうか。

 それは美学とも言えるし、性分とも言える。

 各球場のファンに拍手を送られながら幸せな花道を歩む者もいる。ひっそりと仲間に労われながらバットを置く者もいる。

 引き際はそれぞれ美しい。

 ただ、最後の最後まで別れを告げない者には、秘めた分だけ胸に迫るものがある。

 中日にはあと1試合。本稿執筆時点でまだ、日程の決まっていない本拠地最終戦がある。

 荒木はいつ、どんな「さよなら」を告げるのろうか。

文=鈴木忠平(Number編集部)

photograph by Kyodo News


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