10.8前夜の特濃ミスター伝説。槙原・斎藤・桑田の証言がバラバラ?

10.8前夜の特濃ミスター伝説。槙原・斎藤・桑田の証言がバラバラ?

「今年はジャイアンツが優勝できませんでしたので、後半の景気がかなり落ち込むと思われます」

 '90年代に放送された人気テレビドラマ『ラブジェネレーション』の中で、木村拓哉と松たか子が働く広告代理店の中で交わされた会話である。一応断っておくと、ギャグではなくガチの会議シーンでの台詞だ。

 かつてニッポンには「巨人が優勝できないと日本の景気が悪くなる」とまで言われていた時代があった。その象徴が24年前のあの“国民的行事”だ。1994年10月8日の中日対巨人戦。シーズン最終戦、同率首位の勝った方が優勝という子どもでも理解できる大一番である。

 もちろんスマホもネットもないあの頃、結果を知りたければテレビで見る。もしくは「radiko」アプリもないので、ラジオならリアルタイムで聴く。今となっては信じられないことだが、打率や防御率の個人成績も翌朝のスポーツ新聞で確認するしか方法がなかった。

 例えば'94年ジャイアンツ優勝記念号の雑誌裏広告は三洋電機の“テ・ブ・ラ・コードるす”で、「電話しながらホカのコト。」のコピーが確認できる。携帯電話以前に、家の電話をコードレスにという時代だった。クラスメートの女の子に電話するときは、家族に聞かれないようにテレホンカード片手に家の近くの電話ボックスまでダッシュ。途中の自販機で買うのはなぜかデカビタC。そんな汗だくの青春を送った人も多いのではないだろうか。

驚異の視聴率48.8%!

 さて、24年前の10月8日中日対巨人戦のテレビ中継は平均視聴率「48.8%」を記録。ちなみに2018年サッカーロシアW杯の日本対コロンビアの視聴率は48.7%である。つまり、あの頃の巨人戦は世間的にサッカーW杯の日本代表クラスの注目を集めていたわけだ。

 なお、10.8決戦は2010年に日本野球機構が現役の監督、コーチ、選手858人を対象に行ったアンケートで、「最高の試合」部門の1位に選ばれた。

 なにせ、この大一番に先発した巨人・槙原寛己は引退後に発売した自著に『プロ野球 視聴率48.8%のベンチ裏』(ポプラ社)とそのまんまのタイトルをつけ、あの夜のこともたっぷり振り返っている。

「おぉ、槙原。明日は先発で頼む」

 試合前日に長嶋茂雄監督からホテルの自室に呼び出された槙原は、肩を優しく叩かれこう言われたという。

「おぉ、槙原。明日は先発で頼む」

 さらに「待ってなさい。もう2人呼ぶから」と続けざまに斎藤雅樹と桑田真澄も部屋に招集され、三本柱に試合を託すことを告げられる。この年の彼らは、31歳の槙原が12勝8敗、防御率2.82。29歳の斎藤が14勝8敗、防御率2.53でリーグ最多の5完封を記録。26歳の桑田は14勝11敗1セーブ、防御率2.52、185奪三振はリーグ最多とそれぞれ年齢的にも投手として最も脂の乗った時期だった。

「明日のピッチャーは、お前たち3人しか使わない。だって、お前たち3人で勝ってきたんだからな。先発は槙原。後ろに斎藤、桑田だ」

 そんな監督の決断が嬉しかったし、心強かった。もし自分がダメでも、後ろにはさらにいいピッチャーが2人もいるのだから……槙原の心の不安は、一気に吹き飛んだという。Number790号には、10月7日午後8時半すぎにミスターの部屋に呼ばれた槙原のインタビューが掲載されている。

「話はものの10分でした。“分かりました”と言って部屋を出た。それからは自分の部屋で資料をみたり、シミュレーションしたり……。眠れるかなと思ったけど、翌日の11時ぐらいまでぐっすり寝ました」

なんだか話が違うわけだが……。

 しかし、だ。多くの関係者に取材して構成されている『10.8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』(鷲田康著/文藝春秋)の中で、当事者のひとりでもある斎藤雅樹は、こんな証言をしているのだ。

「(7日に)僕は監督の部屋に呼ばれていないんです。そもそも名古屋の宿舎の監督の部屋には一度も入ったことがないですから」

 斎藤は前日の10月6日のヤクルト戦で先発して6回112球を投げ、古傷の右内転筋痛を悪化させていた。無理をすれば投げられないこともなかったが、ナゴヤ球場での練習を終えて宿舎のホテルに戻ると、人づてに槙原と桑田が監督に呼ばれたことを聞いたという。

 ならば、明日の自分の登板はないなと緊張することもなく早めにベッドに入って眠りにつく。なお、同じくぐっすり寝た槙原は翌8日11時過ぎに起きると、自室でのんびりテレビをつけて『笑っていいとも!』を見ていたという。

 それぞれ背景は違えど、意外なほど普通の精神状態であの伝説の試合に臨めていたわけである。

「桑田か? すぐ俺の部屋に来てくれ!」

 さて、三本柱で最も若かった桑田真澄はどうだったのだろうか? 『10.8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』によると、7日午後10時過ぎに長嶋監督からの電話が鳴った。

「桑田か? すぐ俺の部屋に来てくれ!」

 最上階のスイートルームを訪ねた桑田は長嶋とふたりきりで話す。……って、槙原が自著で書いていた「三本柱が一緒に呼ばれて監督から試合を託された」という有名なエピソードは、どうやら「呼ばれたのは槙原と桑田だけ。しかも別々に1時間ごとに入れ替わりで」というのが真相のようだ。

 勘違いしないで欲しいが、マキさんマジかよと突っ込みたいわけではない。過去とは美化された嘘だ。人の記憶というのは、それぞれ時間とともに無意識に変わっていく。なにせ、槙原の著書も'94年から17年後の2011年3月発売である。それだけ、あの決戦から長い時間が経ったのである。

「ケンちゃん! 判るだろ?」

 桑田に話を戻そう。

 2日前の5日ヤクルト戦で見せた8回1安打11奪三振の快投をねぎらうミスターの言葉に、桑田は小さく頷く。まだ右肘手術前、PL学園時代から数々の修羅場をくぐってきた全盛期バリバリの26歳は、もちろん中2日でも投げる覚悟だった。いったい明日はどんな場面で起用されるのだろう? その瞬間、長嶋の部屋の電話が鳴る。

「ハイハイ。ああ、ケンちゃん! 明日はやるよ。俺たちは絶対にやるから! ……ありがとう……うん、ありがとうね!」

 例のハイトーンボイスが部屋中に響きわたり、桑田がそんな会話を聞くともなく聞いていると、受話器を置いたミスターが目を見開いてこう尋ねてきた。

「ケンちゃんだよ、ケンちゃん! 判るだろ?」

「ケンちゃん?」

 当然、桑田は絶望する。誰やねんと。それでも「志村……けんさんですか?」なんつって言葉を絞り出す18番。すると長嶋は驚いたようにかぶりを振った。

「ケンちゃんって言ったら高倉の健ちゃんだろう!」

 知らんがな! もしも自分が会社の社長に夜10時に呼び出されて、こんなケンちゃんトークに付き合わされたら転職を考えるかもしれない。肝心の起用法は「明日は国民的行事だから、痺れるところで行く」一辺倒のミスターワールド。それでも「痺れるとこっていうのはどこなんですか……」と粘る野球の求道者・桑田。

「痺れるとこで、ね。頑張ろう!」

「うん? もう痺れるところですよ。クワタ! 痺れるとこで、ね。頑張ろう! よし!」

 無茶苦茶である。

 しかし、ある意味三本柱それぞれが、結果的に大一番の緊張から解かれ、長嶋茂雄の掌の上で転がされているようにも思える。部屋に呼ばれた者(槙原)、呼ばれなかった者(斎藤)、なんだかよく分からない起用法を示唆された者(桑田)。だが、その翌日には彼ら3人の投手リレーで中日打線を3点に抑え、天下分け目の決戦を制することになるのだから、野球は面白い。

 プロ野球史上最高の視聴率を記録した24年前の10.8決戦で主役を張った男たち。斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己、全員が通算150勝以上を挙げた平成球界を代表する三本柱が過ごした「10.7の夜」の真実は、数十年後も語り継がれることだろう。

『ジャイアンツ80年史 PART.2』(ベースボール・マガジン社)のインタビューで斎藤はこんな言葉を残している。

「僕らは3人でエースの仕事を分担し、ケガや不調のときはカバーできた。チーム内のライバルでありながら、助け合いながら投げた、信頼できる仲間。そういう三本柱だったと思います」

文=中溝康隆

photograph by Koji Asakura


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