由伸巨人は革命的に面白かった。ありがとう、またいつか必ず。

由伸巨人は革命的に面白かった。ありがとう、またいつか必ず。

 高橋由伸、巨人監督辞任を表明。しかし……。

「形式上は“辞任“。だが球団内の見解は“解任”で一致している。山口オーナーは先月のオーナー会議後に続投を要請する意思を示していた。だが、その一方では後任探しにも着手していた。その動きが由伸監督の耳にも入ることを計算の上で、青年監督の決断を静かに待っていたのだった。」(東京スポーツ10月4日発行)

 ああ……。オーナーによる早々の「続投要請」は怪しいと思ったんだよなぁ。アリバイづくりにも見えた。

 巨人のために現役引退して監督に就任した高橋由伸。そんな「功労者」に対して解任はしづらい。使い捨てにしたら世の同情はヨシノブにいく。

 それを回避するためには「え、辞める!? 私どもとしては続投してほしかったのですが……」と言えるように予防線を張っておくしかない。先月のオーナー会議後の続投要請は巧妙な大人の知恵だったのだろう。

「事実上の解任劇」と書いた新聞まで。

 各紙の担当記者は今回の「辞任劇」をどう見たか。巨人と距離が近くない新聞のほうがシビアに書くはずだ。

 東京中日スポーツは『事実上の解任劇』と書いた。

「もはやなりふり構っていられない。読売本社による勝利至上主義が垣間見える事実上の解任劇だった。」

 デイリースポーツは『配慮なき公表……あまりにも酷だった環境』。

 スポニチは『新人監督のやりたい野球はできたのか 強行「引退即監督」にフロントの支えないまま』。

 これら論評に共通するのは、球団は「選手・高橋由伸のユニホームを無理やり脱がしてまで、監督に据えた」(スポニチ)にしてはバックアップができていなかったという指摘である。

 いくつも例がある。現場の希望とは違うちぐはぐな補強、コミュニケーションのなさ。ただでさえ経験のない監督には酷な環境。

 東スポは「若さゆえの未熟な面もあったが、寂しいのはそんな青年監督の気概を買い、真剣に支え、育てようという姿勢が球団側に見られなかったことだ。」とズバリ。

“仇敵”さえヨシノブを支える姿勢を問う。

 さらに興味深い記事も紹介しよう。今年巨人から“出禁”を食らっていたという夕刊フジの記者が書いた「前略、高橋由伸様」(10月4日発行)には、

「耳の痛い助言もひるまずできる人材を球団が配置してやるべきだった」

「無理を言って監督を引き受けてもらったのに、十分に支えてあげなかった球団や親会社に、一番の責任があると思っています」

“仇敵”でさえ高橋由伸本人よりヨシノブを支える姿勢を問うていたのだ。

ここで、もう一度思い出してみよう。

 そういえば夕刊フジと言えば、高橋監督の最初のシーズン前に印象に残る記事があった。

 開幕まで1カ月を切った2016年3月8日。あの頃巨人を揺るがしていた野球賭博の関与者がまたも発表された。巨人はオープン戦で福岡遠征中。報道陣に問いかけられた高橋監督は「何もないよ」とコメントする。ソフトバンクの王球団会長や他球団の監督のコメントがきちんと出る一方で、当事者としてそっけない言葉に受け取られた。

「新指揮官が現場の指揮で手いっぱいなのは仕方ないとして、球団側が取材対応の段取りをつけるなど未経験の役割をフォローすることはできたはず。だが広報機能の大半が東京の球団事務所に集中し、現場までは行き届かなかったようだ。」(夕刊フジ・2016年3月10日発行)

「現役続行への強い思いを断ち切らせ、一度も外から巨人を見ることもなく、本格的な指導者経験もないまま指揮官に就任させた経緯を考えれば、球団が高橋監督の船出をしっかりと支え守る体制が不可欠といえる。」(同)

 高橋由伸は、福岡で一人ぼっちだった。記事のタイトルは『由伸監督 不憫すぎる船出』であった。

 ここで、もう一度思い出してみよう。なぜ高橋由伸は巨人の監督になったのか?

 そもそも前任の原辰徳監督から一気に若返りしたのは、球団の「意地」だった。

「2006年から、10年間の長期政権を築いたのが原前監督。その輝かしい実績によって指揮官に集中した権限を、球団の手に戻す一手として、白羽の矢を立てたのが高橋監督だった。」(東京中日スポーツ10月4日)

「新人・由伸」はドキュメントだった。

 しかし各紙の記者たちの目には、ヨシノブはうまくサポートされていなかったという3年間。その結果が「原復帰」である。

 つまり「球団はわずか3年でフロント主導で進めてきたチーム再建を諦めたということになる。」(東スポ)。

 このビジョンのなさは一体何なのだろうと思う(それにしてもこういうときの東スポのシビアな切れ味は相変わらずだ)。

 さて、私は高橋監督の最初の年にNumberWebで「2016年の高橋由伸」を連載した。いまいちばん未完成で不安定で一寸先がどうなるかわからないものは何だろうと考えたら、高橋由伸しかないと思ったのだ。

 やり手の原監督より、予測不能の由伸巨人のほうが面白いと感じた。未完成なアイドルを応援する人の気持ちがわかった。「新人・由伸」を観ることはドキュメントであると気づいた。

高橋由伸のおかげでご飯が食べられた日々。

 高橋由伸には恩返しもしたかった。

 私が芸人として新人のころ、1999年にある仕事がまわってきた。リアリティーショーを地でゆく番組の「新・熱狂的巨人ファン」という企画に抜擢されたのだ。「拉致された」といったほうがいいかもしれない。

 その番組企画はペナントレースの半年間をテント生活し、巨人の試合を観て応援するだけの生活。巨人が負けたら絶食し、もし優勝したら名前と顔がテレビで発表される。それまで顔にはボカシが入る。

 その年は星野中日が開幕から独走し、巨人は夏場から猛追。2年目の高橋由伸が面白いように打った。軽やかに初球からポンポン打ち返す。由伸のおかげで文字通りメシを食えた。

 天王山といわれた9月14日のナゴヤドームでの中日戦で、由伸は大飛球を追ってライトのフェンスに激突し骨折する。巨人の優勝も、私の任務も、この瞬間に終わった。それほど彼のシーズン離脱は衝撃的だった。

 あのとき、高橋由伸を最後まで応援したかった。最後まで観たかった。唯一の心残りだった。

 それなら!

 巨人の監督という重荷を選択した高橋由伸を応援しないでどうするのだ。「2016年の高橋由伸」を観ないでどうする。そんな気持ちから半年間の連載をやらせてもらった。

今年の巨人の面白さは革命的だった。

 結論から言うとこの3年間は面白かった。とくに今年の由伸巨人の面白さと言ったら! 革命的ですらあったと思う。

 2016年のコラムを読み返すと、若手が育たない現状に私は嘆いていた。そんなとき、いつも思い直していたのは「今年の巨人の最大の若手は高橋由伸じゃないか」だった。ルーキー監督・由伸よ、伸びろ! 不思議な楽しみ方をさせてくれた。

 あれから2年、今年は岡本和真がブレイク。吉川尚も台頭した。彼らのはつらつとした姿を見るだけで楽しかった。そして由伸と誕生日が同じの上原浩治が帰ってきた。ようやっと由伸巨人の物語が始まったのだ。

 夢のようなワクワク感。野球場にも多く足を運んだ。そのうえで「できれば勝てばいい」と思うようになった。こんな境地にさせてくれたのは高橋由伸監督である。巨人史上初ではないか?

 未完成で、不安定で、一寸先は闇。だから「今」と「過程」を楽しもう。そんな気持ちで「2016年の高橋由伸」を書き始めたわけだけど、成長を観る喜びを由伸監督は本当に与えてくれた。負けに慣れてはいけないが、巨人ファンはうれしい価値観を由伸にもらったと思う。

またいつか必ず。

 スポーツ報知の名物コラム「仙ペン」は「来年は絶対強い。もう1年待てなかったか。」とし、「どうしたって38年前を思い出す。」と書いた(10月5日)。

 長嶋茂雄さんは最初に監督をやったとき(75-80年)、終盤は3年連続でペナントを逃したが若手を鍛えて監督を辞めた。翌年巨人は優勝した。あのときに似ていると書いたのだ。

 現役引退からのいきなりの青年監督という点でも「長嶋茂雄と高橋由伸」は同じだ。この両者は天才という選手キャラだけでなく監督キャラも似ている。波乱万丈で、選手は過渡期で、長嶋さんの第1次政権時も広島カープが強かった。

 長嶋さんは雌伏の時を超え、再び監督となり日本一に2度なった。それなら高橋由伸もまたチャンスがあるに決まってる。

「2018年の高橋由伸」よ、ありがとう。心から礼を言いたい。

 またいつか必ず。

文=プチ鹿島

photograph by Kyodo News


関連ニュースをもっと見る

関連記事

おすすめ情報

Number Webの他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

スポーツ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

スポーツ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

記事検索