慶應野球部の後輩視点で見た退任。高橋由伸、初めての「わがまま」。

慶應野球部の後輩視点で見た退任。高橋由伸、初めての「わがまま」。

「あれだけの実力があるのに、チームの意向に必ず従う……それが由伸さん」

 これは、僕たち慶應義塾大学野球部の後輩たちが共通して持っている、高橋由伸への印象です。

 学生時代から、スター選手として注目されてきた高橋由伸。チームの意向、監督の指示、支えてくれる方たちの想い……これらに常に向き合い、従ってきました。そして、与えられた場所で結果を残し、常に勝利の輪の中心にいました。

 桐蔭学園高校から慶應義塾大学に進み、1年生でレギュラーを獲得した時も、4年生で主将を任された時も、そして大学からプロの世界へ進む時も、さらに現役選手からそのまま読売巨人軍の監督に就任する際も「お世話になったチーム」「お世話になるチーム」の意向には必ず従ってきたのが、野球人・高橋由伸でした。

「わがままを言える立場じゃない」

「由伸さんは、わがままを言いたくなる時はないんですか?」

 食事の席で、僕が何気なく聞いた質問に、力を込めてこう返してくれました。

「わがままを言うも何も、その前に使ってもらえるかどうかが野球。使ってもらえないと始まらない。だから自分を使ってくれて、求められたら絶対に結果を残さないと。結果を残せないなら、野球人としては終わり。わがままを言える立場じゃないんだよ」

 この時、30代前半、選手として高橋由伸は全盛期でした。

 でも本当は、いろんな思いを抱えていました。

 アテネ五輪では「日本代表」という想像を絶する重責に耐えられるのか、自分に問いただし、出場するかどうか悩みもしていました。

 30代半ばで自分の腰が以前の状態に戻ることはないと覚悟し、引退と隣り合わせの苦しみも味わってきました。それでも、あと数年はやれるかもしれない……40歳にして心身ともに整い始め、いつになくトレーニングに力を入れていた時に、監督就任の要請がありました。

「プロでできるだけ長く現役生活を送る」という夢がある中で、高橋由伸はお世話になったチームの意向を速やかに受け入れました。

チームの想いを優先させ続けて。

「自分の想い」よりも、「チームの想い」を優先させてきた野球人生。

 しかし、今回は恐らく、いや間違いなく、初めて高橋由伸という男が、お世話になってきたチームに自らの「わがまま」を主張しました。

 慰留されながらの、監督退任。

 これまで自分の中にどんなに熱き想いがあろうとも、チームの意向に最大限応えてきた野球人・高橋由伸が、どれだけ慰留されても受け入れないという決断を下しました。

 背番号24がグラウンドで観られないことを想像するのは、僕にとっても非常に難しく、球団から発表があった時、力が抜けるような感覚がありました。

 ただ、それと同時に選手・高橋由伸が全盛期に言っていたことが蘇りました。

「結果を残せないなら、野球人としては終わり」

 世間が思っている以上に、本人は結果を求めていました。

 しかし、思い通りの結果は残りませんでした。

「結果を残す、これが野球人」

 巨人の監督に就任して3年。優勝を経験している主力選手たちがベテランの域に達し、若手を起用してチームの底上げを図らなければならないという、非常に難しい時期の監督就任でした。

 兼任コーチを除けば、現場での指導者経験もありませんでした。それでもこの3年間、グラウンドで言い訳の言葉は一切こぼしませんでした。

「結果を残す、これが野球人」

 高橋由伸の揺るぎないこだわりが生んだ「わがまま」。チームの意向に従ってきた人間が、初めて自分の主張を優先させました。

 まだ、43歳。

 背番号24は、再びグラウンドに帰ってくるはずです。

 今度こそ、結果を残すために。

文=田中大貴

photograph by Hideki Sugiyama


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