荒木雅博引退に思う。中日黄金期を支えたアライバの「最高傑作」とは。

荒木雅博引退に思う。中日黄金期を支えたアライバの「最高傑作」とは。

 合わせて4000安打近く打っているのに、なぜか今でも2人で1人かのように語られる。現役引退を表明した中日の荒木雅博と、内野守備走塁コーチとして巨人を支える井端弘和。打っては俊足と巧打でかき回す1・2番、守っては鉄壁の二遊間と攻守にコンビを組んでいたからなのか。

 中日ファンにとって「アライバ」は強かったドラゴンズを思い出させるキーワードだ。

「井端さんがどう感じていたかはわかりませんが、僕はライバル視していました。この人が練習しているうちはまだ僕もやめない。横に井端さんがいたことは、僕の成長に欠かせなかったんです」

 10月6日の引退表明会見で、荒木は井端のことをこんな風に語った。年齢は井端が2歳上。入団は荒木が2年早い。二軍でともに鍛えられ、ほぼ同時期から一軍に定着した。独身寮を出た後も、一時は同じマンションで暮らしていた。

 仲がいいのかと言われればそうでもない。では悪いのかと聞かれれば、そんなことはない。絶妙の「間」をもつ漫才コンビは、プライベートで時間を共有することはほとんどないという。荒木と井端の関係もそれに近いのかもしれない。

あの好守備以上のコンビプレー。

 動画サイトでおなじみの「アライバ」の好守がある。センター前に抜けようかというゴロに、圧倒的な守備範囲を誇る荒木が追いつく。ジャンピングスローではなく、グラブでトス。それを井端が右手でつかみ、一塁で刺す。荒木は「そこに井端さんがいるってわかっていますから」と言い、井端は「待っていたら来るのがわかるんだから」と言う。

「言葉をかわさなくても何を考えているか、わかりますから」

 井端のこの言葉に、アライバの熟練度が表れている。

 しかし、荒木に言わせると「それ以上」のコンビプレーが存在する。引退会見で「最も心に残っている走塁は?」と問われたときのことだ。

「ヤクルトと優勝争いしたときの走塁ですね。あれが僕の中ではナンバーワンだと言えます」

超前進守備での井端のヒット。

 球団史上初の連覇を達成し、それを置き土産に落合博満監督が退任した2011年。9月23日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)だ。

 2対2の8回。2死走者なしから荒木が左翼線への二塁打で出た。

 首位をいくヤクルトは、ひたひたと追ってくる中日になんとしてもこの試合で引導を渡したい。浅尾拓也、岩瀬仁紀がいる当時のリリーフ陣は盤石で、勝ち越されたら9回の攻撃はないも同然だ。

 そこでヤクルトベンチは外野手に超前進守備を命じた。俊足の荒木といえども単打での生還は許さないという陣形だ。井端の打球はわずかしかない内野と外野の間に落ちた。いや、正確には落としたのだ。

「荒木がかえってこられるのはどこかなと(考えた)。あとはもう、あいつなら何とかしてくれる。そう思っていました。だってそんな走塁を5回は見てきましたから」

 まるでゴルフのアプローチショットでもするように、井端は中堅の青木宣親のやや右前に落とした。ここに落とせば荒木は生還できるだろうという位置だった。

荒木の宙を飛ぶようなヘッスラ。

 井端がねらったところに落としたのだから、そこから先は荒木の仕事だ。本塁クロスプレー。荒木の体は宙に飛んでいた。ヘッドスライディングで勝ち越し点をもぎ取った。

「そうそう。(打者から見て)青木の左よりは右の方が投げづらいですからね。井端さんはああいうときに必ずやってくれる人。そう思って塁上にいたんです。僕、あのプレーのことはすごく鮮明に覚えていて、どうやって塁に出た、どうやって帰ってきた……。今でも頭に思い浮かびます」

 そこから打線はつながり、一挙4得点。ヤクルトとの差を2.5に縮め、いよいよ逆転優勝への気運が高まった意義深い勝利だった。そして2人の言葉からもよくわかるのだが、互いにどんな打撃をし、どんな走塁をするかがプレーの前にわかっていたようだ。

 こう打てば、あいつはこう走ってくれる。こう打ってくれるはずだから、自分はこう走ろう……。

「スタート、中間の加速、スライディング。走塁そのものもベストのものが出せた。そういう思いがあるから、引退の会見でもすぐに答えられたんです。それに優勝争いをしていたヤクルトとの直接対決だったこと、同点の終盤……。いろんな条件も重なっていたのでより強く覚えているんです。井端さんとの最高傑作……そうですね。そう思います」

罰金と紙一重だが落合監督は。

 荒木が二塁打で出るまで、中日は19人連続で凡退していた。しかも直前に追いつかれたのは押し出し四球。得意だったナゴヤドームで、何とも重い試合展開だった。止めたのは荒木。続いたのが井端。まさしくアライバの「最高傑作」と呼ぶにふさわしいコンビネーションだった。

 しかし、実はこのプレーはペナルティ、罰金と紙一重でもあった。

「あのころはコリジョンがまだなかったでしょ? だから本塁に限らずヘッドスライディングはやるなって監督に言われていたんですよ」

 捕手はブロックできた。荒木に長期離脱されれば、それこそ連覇が難しくなる。落合監督に禁じられていたヘッドスライディング。「この1点」を取りに行くために、リスクを冒した。「試合後、怒られたってことはなかったです」と振り返る荒木。当時の報道を調べると、落合監督は勝利の後に一言しか発しなかったようだ。

「やっと選手が動き始めた」

ヤクルトに必死にくらいついて迎えた9月。東日本大震災の影響で、開幕が2週間遅れたシーズンだったとはいえ、大詰めを迎えてなお3.5ゲーム差つけられていた。ペナントを左右する決戦での「最高傑作」。

 中日は強かった。わずか7年前なのに、あのころの「熱」が懐かしい。

文=小西斗真

photograph by Kyodo News


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