ロッテ根元俊一、35歳での引退。その原点は花咲徳栄時代にあった。

ロッテ根元俊一、35歳での引退。その原点は花咲徳栄時代にあった。

 ベンチから空を見上げると蒼穹がそこに広がっていた。

 2018年10月7日、ZOZOマリンスタジアム。

 千葉ロッテマリーンズ・根元俊一が、13年に及ぶ現役生活に別れを告げた。

「本当にあっという間でしたね。色々ありましたけど良い野球人生だったんじゃないかなって思います。その中で1日、1日を無駄にしないようにという意識でやらせてもらって、その意味では、自分の中で小さな後悔で済んだのかなって思います。『ああしておけば良かった』と思う後悔も自分の中ではあまりないので……」

 澄み切った空のように、一点の曇りもない、そんな面持ちで現役引退の心境を語った。

 プロ生活13年の通算成績は838試合、583安打、204打点、31本塁打、打率2割5分。2012、2013年には規定打席にも到達した根元だが、球団史に名を残すほどの名選手だったかと問われたら、決してそうではなかった。

 それでも「なぜ、彼は引退セレモニーを開いてもらえたのか?」と問われれば、その答えはこうだろう。

 多くの後輩たちから慕われ、自身の背中でどんなことがあっても諦めない、腐らない、そんな野球人としての生き様を彼が見せてきたから。

 また、いつでもレギュラーの穴を埋められるバイプレイヤーとして、チームに欠かせない存在だったからだと思う。

 だからこそ入団時から彼を見続けてきた筆者としては、引退式に何の違和感もなかった。

普通の都立高に行くはずが。

 入団2年目のオフ。とある取材で彼はこんなことを話してくれた。

「プロに来ることができたのは、人との出会いが大きかったというか、本当に運が良かったんだと思うんです。もともと僕は普通の都立校に進学を決めていて、野球も『遊び感覚でやれればいいかな』くらいの気持ちだったんです。

 だけど僕の同期に10校ぐらいの高校から誘いが来るほど凄い選手がいて、彼を(当時の)花咲徳栄の監督が見に来ていた。そのとき一緒に来たコーチが僕に『どこで野球をやるの? セレクション受けに来ない?』と言ってくれたのがきっかけだったんです。その後『うちに来ないか』って話になって、自分も単純だからやる気が出ちゃったんですよね。『ようし、やってやろう』って」

 それが彼の本格的な野球人生の始まりだった。

飛躍を促したロングティー。

 しかし、高校進学後の根元は、同校に集まった選手たちのレベルの高さに愕然としたという。

「同学年の選手たちが練習でバンバン打っていて、その一方で自分は内野も越えないような打球ばかり打っていて滅茶苦茶恥ずかしかったです。でも、僕を誘ってくれたコーチがそれからも付きっ切りで僕を教えてくれたりして……」

 このコーチこそが花咲徳栄の現監督である岩井隆だった。

 当時、岩井コーチは根元と同じ寮で生活をしていた。

「グラウンドのすぐ横が寮みたいなところで、何時でも練習ができる環境だったんです。自分は全体練習が終わってからボロボロになったボールにテーピングをグルグルに巻いて、その重くなったボールをロングティーしていたんです。バットもヘッド部分に釘を打ち付けて重たくした状態で……。それを毎日欠かさず続けていたら、一冬越した紅白戦でいきなりホームランを打ったんです。そこから急にバッティングが楽しくなって、練習もさらにするようになりました」

 ひとつの成功体験が、少年を大きく変えたのだ。

 高校3年時には主将と併せて生徒会長も任されるほど、思いやりとリーダーシップに長けた選手へと成長、その夏には甲子園出場も果たした。

「井口さんに勝つ。それだけ」

 その後、彼は東北福祉大に進学し'05年の大学生・社会人ドラフト3巡目で千葉ロッテに入団するのだがプロ入り後も野球に対する貪欲な姿勢は変わらなかった。

 プロ3年目の'08年には110試合に出場し、打率2割9分6厘と好打率を残した根元。そのオフにはアメリカから凱旋帰国した井口資仁(現千葉ロッテ監督)とセカンドのポジションを争うこととなったが、いわゆる芽が出かかっている状態で井口とポジションを争うことになった過酷な状況について、彼はなんの不満も漏らさずこう言った。

「僕が井口さんに勝つ。ただそれだけのことじゃないですか」

 その壁の大きさがどれほどのものであるか、彼自身が十分に分かっていたはずである。それでも根元はポジティブに考え、自身の気持ちを奮い立たせ、グラウンドに立ち続けた。

 二軍降格となっても、ロッテ浦和の室内練習場で遅くなるまでバットを振る。高校時代に成り上がった当時の経験が彼を支えた。

30歳以降の自分との向き合い方。

 その後数年間、レギュラーに定着。2013年には背番号も2に変更となり、副選手会長にも就任した。年齢が30歳を超えても「ベテラン」と呼ばれることを嫌った。

 13年目の今季、根元は開幕前にこんなことを話した。

「衰えとか全然感じないですし、むしろ今年が入団してから一番良いと感じているくらいです。もちろん本当に若い頃と比べたら走るスピードは分からないですけどね。体のコンディションは本当に良いし、年齢とか関係ないと思ってやっているので。そこでちゃんと練習をして、自分のやるべきことを分かってやっていれば、衰えも緩やかなスピードになるじゃないかなって思うんです。僕はまだまだこれからだって思っているし、自分で『ダメ』とか『限界だ』とか思わないようにしています」

 昨年のオフには右肘を手術してその経過も良好だった。気持ちの部分で少しだけ若くなったのも多少影響していたのだろう。

「朝起きて肘を気にして、今日はどうなのかなって思っている。その時点で嫌な気持ちにもなるじゃないですか。五体満足の選手なんていないと思いますけど、そういうものを抱えて野球をするよりも、できればそれを取り除いてやってみたいなと。球団に相談したら『やっていいよ』ということだったし、そこも勿論大きかった。『やっていい』ということはまだまだ自分にもチャンスがあると思いましたし、その気持ちにもこたえたいと思ったので、本当に周りに支えられているなと感じましたし、感謝する部分は強いですよ」

ロッテ以外でプレーするイメージはない。

 それでも2年連続Bクラスに低迷し、若返りを図るチームの方針には逆らえなかった。

 9月中旬に球団との面談で現役生活にピリオドを打つことを決め、第二の人生を歩むことにした。

 正直、トライアウトを受けて他球団でもう一花を咲かせても、筆者は思っていたが、根元は首を横に振ってこう言った。

「ロッテのユニフォーム以外でプレーするイメージも湧かないし、ここにいる仲間と僕は野球をやっていたいというのがずっと頭にあったので……。これも良いタイミングなのかなって思ったんですよね」

 自分のわがままよりもチームへの愛、そして家族を守る気持ち。それを優先した根元らしい決断だと思った。

高校の後輩からの感謝。

 引退を表明した翌日に行なわれた9月28日。イースタンリーグの埼玉西武対千葉ロッテでは、相手チームの愛斗と西川愛也が、引退する根元への餞(はなむけ)にと胴上げに参加した。2人は花咲徳栄高で根元の後輩にあたる。チームメイトの伊志嶺翔大が気を利かせてのことだった。

「2人(西川と愛斗)はまだ1年目と3年目だったから、最初は『えっ!?』って感じになっていましたけど、僕は来てくれて本当に嬉しかったですよ」

 根元は毎年、シーズンオフになると母校の花咲徳栄に練習に訪れていた。その際に歳がひとまわり以上離れている後輩たちとも交流を持ち、相手からも良い兄貴分としてよく慕われてもいた。

 横浜DeNAの楠本泰史も、根元が引退を表明した9月27日に自身のTwitterでこんなことを書いた。

「僕が高校2年生のときに頂いたバットです」

 そのバットは彼の部屋で現在も宝物のように保管されているという。彼も花咲徳栄高出身。よほど良い思い出として捉えていたのだろう。

同期の細谷が語った思い出。

 根元と同期入団の細谷圭も彼との思い出をこう語っている。

「寮部屋も隣だったし、高卒で入って社会が何たるかも分からない自分が入って来て、本当にお兄さん的な存在だったから本当に寂しい。本人よりも俺の方が涙腺崩壊しそうでね。それをネモさんに伝えたら『それを見て、俺ももらうから泣くなよ』って言われてね。

 その中で思い出すのは自分が初めて一軍に昇格したときのことだよね。自分が同点タイムリーを、ネモさんがサヨナラ打を打って、(渡辺)俊介さんと3人でお立ち台に上がった。今日の朝も、そんな話を2人でしていたんだけど、『よく覚えているね』って言ってくれて。それが自分にとって一番の思い出。自分が一軍に上がる前にネモさんたちと一緒に飯に行って『いつかみんなでベンチに入って、ワーワー言えたらいいね』とかも話していたから……。

 だからこそ自分の初めての一軍昇格で、一緒にお立ち台に上がるなんてね。まさか夢にも思わなかったし、凄く嬉しかった。選手として唯一残っていた同期だったし、ネモさんから『最後の同期になるから、頼むよ』って言われて、改めて気持ちが奮い立ったというかね、もう1回チームに貢献できるようになろうって思いましたね」

 そんな根元が、来季から一軍の内野守備・走塁コーチとして入閣する。

 まだノックバットも上手く扱えないが、きっとこれまでと同じ努力の積み重ねで名コーチと言われる存在にいつかなってくれるに違いない。なぜなら彼には佐藤兼伊知、松山秀明、そして現ヘッドコーチの鳥越裕介ら千葉ロッテの歴史を支えた名コーチ達の教えが染みついているから。

「できっこないをやらなくちゃ」

 彼が現役最後に使っていた打席登場曲のタイトル。これに尽きる。

文=永田遼太郎

photograph by Kyodo News


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