渡邊雄太「ただの夢から目標に」NBAデビュー2年前の手記と決意。

渡邊雄太「ただの夢から目標に」NBAデビュー2年前の手記と決意。

2004年、田臥勇太は初のNBA選手として4試合でプレーしました。それから14年後……ついに日本人2人目のNBA選手が誕生! この記事は2016年春、Number900号に掲載された渡邊雄太の独占手記です。今回の偉業を記念し、Number Webで特別公開いたします!

 こんにちは。ジョージ・ワシントン大学所属の渡邊雄太です。僕がアメリカに行くことを考えだしたのは、高校2年生の冬に出場したウインターカップがきっかけでした。

 この大会に尽誠学園の一員として挑み、学校としても初めて準優勝をすることができました。

 当時無名だった自分は、そこで多くの人に名前を知ってもらうことができ、周りの人たちからアメリカに関する話を度々されるようになりました。それまではアメリカへ行くことを全く意識していなかったのですが、そこから少しずつアメリカに興味を持ち始め、親や高校の恩師ともたくさん話をし、自分自身でもすごく悩んだ結果、アメリカへ行くことを決意しました。

 それまでアメリカへは一度も行ったことがなく、英語も全く喋れませんでした。高校から寮生活をしていたので、親元を離れた生活に慣れてはいましたが、アメリカと日本というすぐに会えるような距離ではなく、ましてや文化が全く違うアメリカ人との共同生活なので、アメリカでの寮生活は想像もつきませんでした。

英語が下手でもすぐに仲良く。

 英語力がない自分がみんなと仲良くできるのか、食事はしっかりとれるのか、ホームシックになったりしないか、いろんな不安がありました。

 ただ、そんな不安をかき消すくらい、アメリカに渡りバスケットができるということがとても楽しみだったのを覚えています。

 小学1年生からバスケットを始め、昔からずっとバスケットと共に生きてきた自分にとって、アメリカというのは憧れであり、夢であり、そして目標でもありました。そのアメリカへ行き、プレーができるというのはとても幸せなことで、ものすごくわくわくしていました。

 僕が最初に通った学校は、コネチカット州にある、St. Thomas More Schoolというプレップスクールで、post-graduate studentとして入学しました。

 心配していた私生活の面では、英語が下手な自分にもみんながすごく優しく接してくれたので、周りとすぐに仲良くなることができ、楽しい毎日を送りました。

不安に打ち勝つための努力。

 バスケットの面では、いざ向こうのチームに入ってみると、想像以上の身体能力、高い技術力、そして、みんなの練習での激しさに圧倒されそうになりました。けれど、これからは自分もこういう環境の中で日々プレーができるんだと思うと、ますます楽しみが増しました。

 しかし、自分がその学校にいられる期間は1年間。その間にコート上で活躍をして、大学からスカラーシップをもらわなければいけなかったので、わくわくが増した反面、この短い期間で、周囲にすごいプレーヤーがいっぱいいる中、自分がやっていけるのかという不安も少しありました。そんな不安に打ち勝つには努力しかないと思い、毎日一生懸命努力をし続けました。

 そのかいあってか試合にはスターターとして出場し、活躍することができました。結果、いくつかの学校からオファーをもらい、その中のジョージ・ワシントン大学へ進学を決めました。

 ジョージ・ワシントン大学に入学してからの生活はとても楽しく充実しており、あっという間に2年生の終わりの時期が来ました。

特に大変だったのが勉強面。

 ただ、楽しい生活の中にもやはり苦労することは多く、様々な局面で奮闘してきました。

 まず、特に大変だったのが勉強面です。NCAA(全米大学体育協会)の規定では、標準以上の成績を取らないとバスケットをさせてもらえなくなるというルールがあるので、勉強には力を入れないといけません。

 シーズン中は平日でもアウェイでの試合がたくさんあり、試合をしてそのままバスか飛行機で数時間をかけて夜中に学校へ戻り、翌日すぐに授業に出なければなりません。まだまだ英語が下手な自分は他の人よりも勉強をしなければならず、そこは今でも苦労しています。

 バスケットに関しても、プレップスクールにいた時よりもさらにレベルが高く、なおかつ勉強との両立が大事になってくるので、大変だと感じることは多いです。

 でも、今本当に毎日が充実しています。より高いレベルでバスケットができるということは自分にとって何よりも嬉しく、こういった環境でプレーができるということに心から感謝しています。

2年生から主力の1人として。

 1年生の時はどれだけプレータイムがもらえるのか不安で、ほとんど出場時間がもらえないことも覚悟はしていました。けれど、シーズンが始まってみるとシックスマンとして試合に使っていただき、自分が想像していたより多くの出場時間を与えていただきました。活躍ができない試合もたくさんありましたが、本当に1年生から多くの経験をさせてもらいました。

 2年生となった今、スターターとして起用され、チームの主力の1人として試合に出させてもらっています。とはいえ、やはりものすごくレベルの高いカレッジバスケットでは納得のいかない試合が多く、まだまだ自分には成長が必要だと感じています。

 力のある選手を前にし、身体能力や体の強さで負けてしまう自分は、人よりも何倍も努力するしかないと思っています。そのため、ほぼ毎晩必ず体育館に行きシューティングをするようにしています。

父親との練習を思い出して。

 勉強もしなければならず、時にはしんどくて休みたくなる日もありますが、そういう時はいつも小さい頃に父親としていた練習のことを思い出します。特に、自分が中学生の頃は、学校の練習後に10km走り、その後家のリングを使い、1000本カウントを父親に手伝ってもらいながらやっていました。

 当時は本当にきつかったことを覚えています。しかし、思い返せば、僕が10km走る間は自転車で後ろを追いかけてくれて、シュート練習をしている時は、僕が1000本決めるまでひたすらリバウンドをとってパスを出してくれていた父親の方が相当しんどかったと思います。

 厳しい父親でしたが、僕のためにそこまで必死になってくれたことに感謝でいっぱいです。母親もまた僕のことを支え、励ましてくれました。練習でくたくたになって帰った僕をいつも笑顔で出迎えてくれたり、父親に怒られ落ち込んでいる僕に優しい言葉をかけてくれ、そのたびにまた頑張ろうと思えました。

 小さい頃からずっと努力をし続けてきた自分にとって、努力をするということは体に染み付いていますし、そういった経験を幼い頃からしているからこそ、今どんなにしんどくても乗り切ることができます。

自分ならできると信じて。

 小学生の頃から、自分の夢はNBA選手になることでした。アメリカへ来て、昔はただの夢だったNBA選手が今では目標に変わりました。このレベルの高いアメリカで、身近にすごい選手がたくさんいる中で、ほんの一握りの選手だけがいけるNBAに入るのは、当然簡単なことではありません。目標とは言っていますが、まだまだ遠いとは思っています。

 高校時代、進路のことで悩んでいた僕に当時の恩師は「失敗した人というのは成功しなかった人のことではなくて、諦めた人のことを言うんだ」という言葉をかけてくださいました。

 NBAはまだ遠いと感じてはいますが、確実に近づいていっているのは間違いないですし、うまくいかないからといって諦めるということはこの先絶対にしません。NBA選手になるというのは自分の目標であり、今まで僕を育ててくれた家族や恩師の目標でもあります。

 だからこそ、今後も努力を続け、どんな壁がこの先立ちはだかっても決して諦めずに、自分ならできると信じて頑張っていこうと思います。

(Number900号『渡邊雄太 僕のアメリカ奮戦記。』より)

文=渡邊雄太

photograph by Shizuka Minami


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