“左のおかわり”が引退を決意。西武・坂田「悔いはひとつだけ……」

“左のおかわり”が引退を決意。西武・坂田「悔いはひとつだけ……」

 2018年シーズンが終了し、今年もまた多くの選手が現役を退いた。大記録を打ち立て、華々しい引退セレモニーで見送られるスタープレーヤーが存在する中、ほとんどの選手は数行の「任意引退」の記事だけでひっそりと球界を去っていく。

 埼玉西武ライオンズの坂田遼もまた、静かに現役生活を終えた選手の1人である。10月4日、ライオンズから来季は契約しない旨を通告され、現役引退を決断。故障に泣かされた悲運のスラッガーは2018年、一度も一軍に上がることなくユニホームを脱いだ。

「今日(11月23日)の優勝パレードも、球団から声をかけていただいたときは僕が参加していいものかすごく迷いました。でも沿道にいるファンのかたから『坂田、ありがとう!』って何度も声をかけられて、本当にうれしかった。こちらこそ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。直接、ファンの方にお礼を言えて、参加してよかったと心から思えました」

 続いてメットライフドームで行われたファンフェスタの終盤には、壇上で挨拶する機会も与えられた。“プロ生活10年間”を、直前に挨拶した藤原良平に釣られて“11年間”と言い間違え、観客席からは温かい笑い声が起きた。「あれも自分らしいですね」と坂田は照れ臭そうに笑った。

数字以上に記憶に残る選手。

 生涯成績は255試合に出場し179安打、2割4分4厘、21本塁打。ただし、数字以上にファンの記憶に残る選手である。その長打力と体格から、2009年の入団時より「左のおかわりくん」と呼ばれ、大きな期待を寄せられた。

 しかし、レギュラーの座をつかみかけると故障で離脱するという不運が続いた。2013年5月19日の阪神タイガース戦では盗塁の際に左肩を脱臼。その翌年も同じ左肩を脱臼し、腱をつなぐための手術に踏み切った。

 度重なる故障に、一時はお祓いやゲン担ぎなどを頼ったこともあった。しかし「徐々にそういうものを信じるのをやめましたね。自分で何とかするしかない、解決するのは自分自身だと思った」と考えを改めたという。

「まだできる」と多くの人に言われても。

 来季の契約がないことが球団から発表された際には、「坂田なら他球団でも十分できる」という声がライオンズファンの間で広がった。まだまだ、そのプレーを見たいと願う人が多かった。しかし坂田は語る。

「そもそも『今年、もし結果が出なかったら戦力外だろうな』という思いはシーズン前からありました。だから、とにかく悔いなく終えようという思いでシーズンに入りました。でも、なかなか思うようなバッティングができずに、打率も2割前半で、これでは一軍の戦力にはなれないだろうという気持ちは自分にもありました。いろいろな人に『まだできる』と言っていただいたんですけど、自分では、これからまたイチから他の球団でやろうという気持ちにはならなかったですね」

 さばさばとした表情でこう続けた。

「悲しい気持ちはあったけど、心のどこかに『やりきった』という思いもあったんでしょうね。なぜか晴れ晴れとした感覚もありました。『よく、こんな故障だらけの体で10年も野球ができたな』という思いのほうが強かったです」

今も忘れられない「あの大歓声」。

 最も記憶に残る試合を尋ねると間髪入れずにこんな答えが返ってきた。

「2013年、肩を脱臼して登録抹消されて、故障が治って一軍に復帰した試合です。代打で打席に立たせてもらったんですけど、そのときのファンの方たちの歓声がものすごく大きくて……。

 あんなに大きな歓声は、今までの野球人生で聞いたことがないくらいの声援で、あれは本当にうれしかったですね。ぐっと来ました。あの大歓声をもう一回聞きたくて、頑張ってきたというのもあります。一軍に戻れば、またあの声援が聞ける。叶いませんでしたけど、もう一度、あそこ(メットライフドーム)でやりたいという思いはずっとありました」

 ゆったりとしたフォームから生まれる、美しい放物線を描くホームランが坂田の代名詞だった。選手人生の終盤には山川穂高、森友哉など同じように長打力を売りにする打者が台頭していた。坂田の一軍での出番はおのずと減った。

「そうですね。同じタイプの選手、パンチ力のある選手が大勢出てきた。『代打でもいいから勝負したい』と思っていたんですけど、特に今シーズンは、その代打の枠すら厳しいと感じていました」

山川の素質を入団時から認めていた。

 活躍する仲間と比較し、どこか冷静に自分自身を見つめていた。そして坂田の目から見ても2018年、パ・リーグ本塁打王とMVPに輝いた山川の実力は入団時から異彩を放っていたと振り返る。

「ファームにいたときからずば抜けていました。打席に立つチャンスが増えれば、絶対に一軍で成績を残せるだろうと思えるくらいの力がありましたね。自分のスタイルを持っているし、こうすればこういう打球が打てると理論的に考える賢さがある。決して力だけではなく、頭を使って打っている選手ですよ、研究熱心ですしね」

 ただし、やり残したことはないときっぱりと語る。

「僕はバッティングについては、西武にいる間、本当に自分の好きなように打たせてもらいました。監督やコーチ陣に、いつも『好きなように打て』と言っていただけて、何かを強要されたことはありません。そのことにも本当に感謝しています。充実した野球人生でした。ただ、ひとつ悔いが残るのは『ビールかけがしたかった』ことくらい(笑)。ちょうど日本一になった年のドラフトで指名されて入団して、今年は一軍登録がなかったので参加資格がありませんでしたから」

 今後は球団に残り、二軍スコアラーとして若手の育成や強化に取り組んでいく。サポート役での日本一を目指す坂田の第二の人生は、幸運続きであるに違いない。

文=市川忍

photograph by Kyodo News


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