さらばハマの兄貴、ゴメス後藤武敏。楽天コーチで平石監督を男にする。

さらばハマの兄貴、ゴメス後藤武敏。楽天コーチで平石監督を男にする。

 秋季キャンプも終わり、球界が落ち着きを見せていた11月某日、横浜DeNAベイスターズの二軍施設の裏にある長浦港に面した岸壁に“ゴメス”こと後藤武敏はいた。

 手には釣竿を持ち、のんびりとキャスティング。狙いはシーバスだ。後藤の傍らには横浜高校の後輩である倉本寿彦がおり、初冬の冷えた海風の中、柔和な表情で談笑をしている。

 今シーズンをもって現役引退した後藤がこの施設を訪れるのは、この日で最後だという。2011年のオフに西武からDeNAにトレードで移籍して7年、晩年は長浦で過ごすことも多く、時間があれば好きな釣りに興じたという。しかし、それもこの日でおしまいだ。

 高校時代の仲間である松坂大輔も参加し、ともに涙を流した9月22日の引退セレモニーから約2カ月。後藤に現役を終えた今の心境を改めて訊いてみた。

「ここ2〜3年は一杯いっぱい」

「正直、ホッとしている気持ちの方が大きいんですよ」

 優しい表情で後藤は素直な気持ちを語ってくれた。

「ここ2〜3年ですかね。肉体的に一杯いっぱいで思うようなプレーができなくなっていた。ただ、若手と一緒にやっていて弱気なところは見せられないし、毎日葛藤しながら過ごしていましたね」

 加齢や度重なる故障で体の可動域が狭まったことにより、イメージ通りにバットが振れなくなった。

「頭と体がバラバラになって、後から映像を見ると描いていたものとのギャップが酷くて……。ポイントも違うし、スイングもぎこちなかった」

 とくに簡単にフライが上げられなくなっていた。後藤のような長打力が持ち味の打者にとって打球が上がらないのは致命的だった。

引退試合は勝負所の代打。

 後半戦、チームはAクラス入りに向けて厳しい戦いを強いられていた。以前であれば後藤は代打の切り札として一軍に昇格していたものだが、いくら戦況が苦しい状況になっても声が掛かることはなかった。

 後藤は身を引くタイミングだということを悟り、決断した。元々、開幕前から今季振るわなければ引退をすると家族には伝えていた。

「だから潔く、スパッと決められましたね」

 引退試合となった中日戦、後藤は7回裏に代打で打席に立った。横浜スタジアムに割れんばかりに響き渡るゴメスコール。中日とはまだ激しくAクラス争いをしていたシビアな場面だった。

 今季初打席であり、プロ野球人生最後のバッターボックス。忖度なしのガチンコ勝負である。ピッチャーの笠原祥太郎は、カットボールでカウントを稼ぐと、最後はチェンジアップで後藤を空振り三振に仕留めた。

「チームが大事なときにもかかわらず、また、たいした成績を残していない僕にああいう花道を用意してくれたことに本当に感謝ですよ。まあ、空振り三振で終わるのは僕らしかったのかなって。それに子どもたちに“もう俺は終わりなんだぞ”って示すこともできましたしね」

引退セレモニー後に長男が。

 この日は後藤の家族が招かれており、試合終了後のセレモニーの際には、長男と長女とともにリリーフカーに乗り、万雷の拍手を受けながらスタジアムを一周した。子煩悩な後藤が子どもたちに優しく寄り添う姿はとても印象的だった。

 じつはこの日を境に、後藤家にある変化が訪れたという。嬉しそうに後藤は語る。

「小学校4年生の長男が、家に帰ってから『キャッチボールしよう』って言ってきたんですよ。じつはそれまで野球には興味がなくて、やるかと聞いても首を振っていたのに、突然、野球をやりたいと言い出したんです」

 現在は野球チームに所属し白球を追っているという。子ども心に何があったのかは後藤も詳しくはわからないというが、あの現役生活を締めくくる渾身の空振り三振が長男の琴線に触れたことは間違いないだろう。

横浜には感謝しかないです。

 DeNAに移籍をしてからというもの、後藤が打席に入ると「(せーの!)ゴーメスーッ〜」とファンから大きなコールがかかる。それは生え抜きの選手に向けられるものと同質の盛り上がりを見せていた。

「もう本当、感謝しかないですよ。あれだけの声援をもらえたからこそ頑張れたし、ここまでやれたんだと思います。正直7年前、トレードで横浜と聞いたときは『あ、戻れる!』って思ったんですよ(笑)。横浜は実家(静岡)から出て初めて生活した思い入れの深い土地ですし、僕にとっては第二の故郷みたいなもんですから」

 後藤はDeNA体制となった初年度からチームに所属しており、この7年間、球団のプロモーションにより年々増えていくハマスタの観客と、筒香嘉智を中心とした若いチームの成長を目の当たりにしてきた。

「これだけお客さんが増えたのは凄いことだし、応援が選手の背中を押してくれるんですよ。ゴウ(筒香)や桑原(将志)といった今の主力を若いときから見ていて、だんだんとスターになっていく。本当あいつらたいしたもんだなって。

 ゴウを中心にひとつの方向に向かっている元気のある、いいチームですよ。僕自身、このチームじゃなかったら選手生命はもっと短かったと思いますね」

「ゴメスさんは仏様」

 後藤もまた人望の厚い兄貴分だった。30歳を過ぎてからの移籍でチームに馴染めるか不安だったが、初めの春季キャンプのとき若手の中心選手だった石川雄洋と松本啓二朗との会話で、ひょんなことからニックネームが“ゴメス”となり、それを契機に自然に打ち解けることができた。

 奇しくも今シーズン、トレードでチームを離れたキャッチャーの高城俊人は、後藤について「ゴメスさんが人の悪口を言うところも怒っているところも見たことがない。みんなにいじられても笑って応えてくれますし、本当熱くて優しい、心が透き通っている人。僕にとっては仏様ですよ」と、笑って話してくれたことを思い出す。

知らない電話番号から……。

 そんな後藤は来季から楽天の二軍打撃コーチを務める。すでに仙台で行われた秋季練習では初めてクリムゾンレッドのユニフォームを身にまとい指導を行った。

 後藤のキャリアを鑑みると楽天との関係性は深いとは思えない。事実、後藤自身も突然の話でびっくりしたという。

「最初、知らない電話番号からかかってきて、話を聞いてみたらまったく想像していなかったことだったので……」

 単身赴任となるが、家族と相談して引き受けることを決めた。引退後、コーチとして球界に残れる人間は一握りしかない。後藤にとっては期せずして新たな挑戦の扉が開いたことになる。

「自分としては将来的に指導者としての夢があったし、現役を終えすぐに話をいただけるというのは本当に幸せなことだと思います。自分自身の修行のため、勉強のため飛び込むことに決めました」

松坂世代の平石監督を男に。

 楽天の指揮を執る平石洋介監督は、後藤と同じ“松坂世代”としては初めてのNPBの監督だ。甲子園では平石監督がいたPL学園と死闘を演じ、大学時代は日本代表でチームメイトにもなった。平石監督をなんとか男にしたい、という強い気持ちもある。

「ただ秋季練習で感じたのは、まだ自分が信じてやってきたことだけしか伝えられないということ。選手にはそれぞれ個性がありますから、もっといろんなことを勉強し、理解し伝えられるようにしていかないと。頑張りますよ」

 新任コーチに訊くのは大変失礼かと思ったが、いつかベイスターズに戻りたいという気持ちはあるのだろうか。

「もちろんファンや球団に恩返しをしなければいけないという気持ちはありますが、ただ今じゃなくてもいいのかなって。指導者1年生ですし、目の前のことに必死に向き合いながら、いろいろなことを勉強し、吸収し、成長していきたい。どんなタイミングになるかわかりませんが、多くの知識を身に付けて、戻れる日が来ればいいなと思っています」

悔いなく終えることができた。

 DeNAの二軍施設は来年夏に追浜へ移転してしまうので、もう釣りをすることはできないが、いつかまた横浜ブルーを身にまとう後藤の姿を見てみたい。

 現役生活16年、やり残したことは何もないと後藤はさっぱりとした表情で言い切った。

「悔いなく終えることができました。あのときこうしておけばということが本当にない。いつだって一生懸命バットを振ってきましたからね」

 さらば、ゴメス。また逢う日まで――。

文=石塚隆

photograph by Kyodo News


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