仏誌でハリルホジッチが独占告白。ナント復活の手応えと日本の思い出。

仏誌でハリルホジッチが独占告白。ナント復活の手応えと日本の思い出。

 10月頭にリーグ・アンの名門FCナントの監督に就任したヴァイッド・ハリルホジッチは、大胆なチーム改革を実行し、19位だったリーグ戦での順位を一気に10位にまで引き上げてみせた。50日の間にいったい彼は何をおこなったのか――。

『フランス・フットボール』誌(11月20日号)において、その模様がインタビュー形式で掲載されたので、ここに抄録として転載する。

監修:田村修一

――ナントに着任したときの最優先事項は何でしたか?

「状況の分析をできるだけ早くすることと、選手を理解すること、そして人々と話しあうことだった。正式契約の前に最初の練習を行った。好奇心と不安が入り混じった選手たちの視線をよく覚えている。私の様々な噂を聴いていたのだろう」

――具体的に何を言いましたか?

「私は現役時代、このクラブで5年間プレーし大きな成功を収めたが、クラブに対して精神的に負い目を感じている。今日の状況はとても容認できるものではない。一日も早く苦境を脱するためにここにやって来た。このチャレンジをやり遂げる気がないものは直ちに出ていって欲しいと言った」

――選手の反応はどうでしたか?

「彼らがどう考えたかはよくわからない。しかし私の話に注意深く耳を傾け、私も正直かつストレートに語った」

――とはいえ初戦は0対3の敗北でしたが。

「衝撃だった……7分間で2対0とリードされたのは、監督のキャリアの中で初めてだった。前半を終えて3対0となり、誰もがハーフタイムのロッカーで私が怒鳴り声をあげて騒ぎ立てるだろうと予想した。ところが私は逆に選手たちを落ち着かせ、自信を取り戻させるためにこう言った。

『今日は負けるだろう。だがそれは重要なことではない。われわれが勝つのは次の試合だ。君たちはもっと別の何かを見せてみろ』

 そして試合後には『前半は負けだったが後半は引き分けだっただろう』と」

――あなた自身は使命の難しさを実感しましたか?

「ホテルに戻って寝室のベッドの上でこう考えた。『ヴァイッド、どうしてお前はいつもこうなんだ。リールに始まりレンヌ、パリSG、アルジェリア、そして今度はナントだ。敢えて苦境に飛び込むのか? さっさと荷物をまとめて家に帰ったほうがずっといいぞ』と。

 同じような状況は幾度となく経験しているから、何が待ち受けているかも良くわかっている。私はマゾではない」

「今も私を忘れずにいてくれる人々」

「(初戦で負けた試合の)翌朝、“ジョネリエール(ナントの練習場の呼称)”に向かう車の中で再び考えて思い直した。『尻尾を巻いて逃げるべきではない。お前は弱虫ではないのだから。ここにやるべきことがある。前に進むんだ!』と、決意を固めたよ。

 共感できる人物や愛着を抱ける何かがあれば、私は自分の命とまでは言わないが、すべてのエネルギーと精力を捧げられる。かつて素晴らしい日々を私に与えてくれたこのクラブを救い、30年たった今も私を忘れずにいてくれる人々の力になろうと心から思った」

――選手たちはどういう状態でしたか?

「彼らを勇気づけ自信を回復させる言葉をかけた。加えてナントというクラブにどれだけの伝統と文化があり、フランスサッカーの中でどれほどのことを成し遂げてきたかを彼らに語った」

――言葉はしっかり伝わりましたか?

「彼らはとても真摯に受け止めた。それからは日々興味深いことが起こり私も手ごたえを掴んだ。熱心に練習に取り組みフィジカル面でも規律面でも進歩が目覚ましく、わずか4日後にはまったく別のチームになっていた。

 次のトゥールーズ戦では4得点をあげて勝利を得た。久々の大勝で、試合後や翌日のロッカールームは笑いと喜びに溢れていた。ジョネリエールのオフィスまで含め、クラブを覆っていた暗い雰囲気は完全に払拭された」

「私とともに働くことに喜びを」

――あなたが監督就任されてから、ナントは大幅に順位を上げましたね。

「私のスタッフは毎日12〜15時間をジョネリエールで過ごしている。私たちはチームのためにすべてを捧げている。どんなに疲れていても、選手に笑顔で応えられたら疲労も吹っ飛ぶよ(笑)。

 今のナントでは、勝利の文化を再構築しなければならない。

 相手が誰であれ、選手が勝利を求めてピッチに立つことを私は望む。相手の方が強くて負けたとしても、それは大したことではない」

――本当に選手全員が申し分のない態度だったのでしょうか?

「その通りで、80%ではなく100%の選手がそうだった。私のキャリアを通して言えるのは、すべての選手が私とともに働くことに喜びを感じていた」

「私は聖職者ではない」

――チームの雰囲気は得点や失点の際のベンチの反応でわかるとあなたはよく言いますが、ナントの場合はどうでしょうか?

「それはあなた方が見るべきことだろう。私は試合の間中ベンチに背を向けているからね。ただ、ローラン・コシェルニーが言っていたけど、自分のチームが負けることを望んでいるベンチの選手がいるのも残念ながら事実だ」

――そうしたネガティブな感情は、どうすれば払拭できますか?

「私はグループのスピリットを作るように心がける。ハッキリしないのは嫌だから、選手にはこう言っている。『君らのチームメイトの中には真剣に練習に取り組んでいながら、プレーの機会が与えられていない者たちがいる。すべての選手を満足させられることは私にはできない』と。

 ただ、実際に選択するのは難しい。ベンチに置くことを心から申し訳なく思う選手もいる。

 しかし私は慈善事業活動の指揮をしているわけではない。

 私は聖職者ではない。

 ワールドカップの23人を選ぶ際には人間的に大きな苦しみが伴う。しかしその苦悩を表に出してしまったら、もはや監督とは言えない。単なるリーダーだ。

 その意味でディディエ・デシャンのやり方は理にかなっていた。彼が選んだのはどんなときでもチームのためにポジティブでいられる選手たちで、能力的には優れていてもコレクティブに戦えない選手は排除したからね」

「クラブを日本化したいと思っている」

――ただクラブでは違うのでは? 契約下にある選手だけで戦わねばなりません。

「その通りで、リーグカップ(モンペリエ戦、3対0の勝利)で私は、リーグであまり出場機会のない選手たちを起用したが、彼らは期待に応えてくれた。これこそ全員がプロジェクトの一員であることの証明だ。ここまでの最大の勝利で、誰もが同じ目的を共有して心をひとつにしている」

――すべてがうまく機能するように、選手たちの日常的な調整もしているのですか?

「実は、クラブを日本化したいと思っている。日本社会固有の価値観――勤勉さや他人尊重の精神、几帳面さ、意志の強さ、日本人の精神性といったものを、私はクラブにもたらしたい。

 練習に遅れる選手は試合にも遅れる。

 違いを作り出す微細な要素を欠いている。

 莫大な収入を得ながら遅刻を繰り返していては、高いレベルのプレーなどとてもできない」

――ナントでは遅刻はありませんか?

「あり得ない。全員で朝食をとるために、練習の1時間45分前に来なければならないからだ」

「ネイマールもムバッペもいないので」

――前任者であるミゲル・カルドソが実践していたポゼッションスタイルを、どんなふうにしてスピーディなスタイルに変えたのでしょうか?

「ベースは、ボールを持ったら全員攻撃、ボールのないときは全員守備だ。そこから先にボールを運ぶスピードとパス、呼びかけなどがある。

 このチームにはネイマールやムバッペのようにボールが持てる選手はいない。選手やチームに見合ったプレーを構築していかねばならない。

 われわれのDNAは、謙虚さや闘争心であり、そして無欲の精神だ。チームの枠を超えて特別扱いされる選手はいない。その点を尊重しない選手に居場所はない」

――着任した当時の総得点数はリーグ16位でしたが、トゥールーズに4対0、モンペリエに3対0、ギャンガンに5対0と攻撃力を爆発させていますね。

「私を守備的な監督だと分類する者たちもいる。だがそれは大きな間違いだ。私のキャリアと数字を見ればそれはわかる。

 例えば2014年のアルジェリアも、ひとつのワールドカップで最も多く得点をあげたアフリカのチームだった。ひと試合で4点を決めた(4対2韓国)のもアルジェリアだけだ」

ナントにはまだポテンシャルがある。

――ナントでの今後の進歩の余地はどこにあると思いますか?

「得点のほとんどは流れの中から生まれているが、統計によればサッカーの得点の30〜40%はセットプレーによるものだ。フランス代表チームも、CKやFK、PKといったセットプレーでふたつのワールドカップを制した。ナントももっとセットプレーから得点ができるようになれば……」

――今季はリーグでどこまで望めますか?

「お伽噺は語りたくないし、私はマジシャンでもない。'80年代とは状況もまったく違う。ただ、今はまだ何も成し遂げてはいないが、出来る限りのことをしているのも間違いない」

「日本という社会を私は大好きだった」

――66歳になった今もあなたを駆り立てるものは何でしょうか?

「私は勝つことが大好きだし選手を育てることもそうだ。金銭面だけならより条件のいいオファーはたくさんあった。情熱を掻き立てられるからこそ前へ進もうという気持ちになる。

 いつか……練習の準備をしたくないと思うときが来たら、それが仕事を辞める潮時だろう」

――ここ10年は主に代表監督として仕事をして、日々ピッチに立つクラブで働くのは久しぶりではありませんか?

「だが日本でも毎日働いていた。週に20試合は見ていたからね。週末にはJリーグがあったし、深夜には各代表選手が所属するヨーロッパの試合をテレビで見ていた」

――日本での3年間は思い出深いですか?

「日本という社会を私は大好きだった。すべてが秩序だっており、社会の隅々まで配慮がゆきとどいたその姿は、ほとんど理想的と言えるものだった。

 記憶にあるのは素晴らしい思い出ばかりだ。

 それがあんな酷い形で終わったのは、ビジネスが(サッカーの中に)割り込んできたからだった。

 とても嫌な思いもしたし、私は(田嶋幸三)会長を決して許せない。私が勝ち取るべきものを彼が奪ったからだ。そんなことはコートジボワールに続いて2度目の出来事だった。

 だからこの夏は、(この先の監督の仕事を)辞めることばかりを考えていた。オファーもすべて断っていたほどだ。とてもじゃないがその気になれなかったのでね。自分を偽りたくもなかったし」

コミュニケーションは得意じゃない。

――2005年2月にPSGを解任されてからナントに復帰するまで13年以上の時間が流れました。その間、フランスでは少し忘れられていたという印象はありますか?

「それもまた私のミスかも知れない。

 コミュニケーションは私が得意とするところではなく、問題はヴァイッドというパーソナリティーが監督よりも重視されてしまったことだった。

 私が得た結果や監督としての能力は無視され、信じられないことばかりが語られた。

 独裁者であるとか、“キャンデロージュ(PSGの練習場)”を収容所のようにしてしまったとか……」

「街の人達はいつも私の味方だ」

「しかし……私は選手を殴ったことも侮辱したことも一度もないし、彼らへの敬意を失くしたこともない。

 ドログバやパウレタ、ヤヤ・トゥーレといった選手たちとも何の問題もなかった。

 嫌いな選手と一緒に練習することは私にはできないのだが、そういう場合でも、私は選手に向かって直接どうして評価できないかを言うようにしていた。

 私は何事からも自立したひとりの人間だ。自立し続けるには常に対価を支払う必要がある。

 それに……家族は私がフランスに戻ったのを喜んでいるようだ。家族こそは最も大きな力の源だからね」

――現代サッカーにおける、所謂“ビッグクラブ”を指揮した経験がまだ一度もありませんが?

「その通りだ。チャンピオンズリーグ優勝を目指すクラブで指揮するのは私の目標だったし、自分にその力があるとも思っている。だがその経験がなくとも、今すでに1500ページの自伝を書くことができる。

 喜びのひとつは、リールでもアルジェリアでも街ゆく人々が私を呼び止めて感謝の意を示してくれることだ。レンヌではクラブのサポーターたちが私を祝福してくれた。街の人々はいつでも私の味方だし、評価してくれているよ」

文=レミー・ラコンブ

photograph by Bernard Le Bars/L'Equipe


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