高校球児の人生が変わる秋の熊野。全国の強豪と地元校が出会い……。

高校球児の人生が変わる秋の熊野。全国の強豪と地元校が出会い……。

「秋の熊野」の練習試合フェスティバルは、熊野市近隣の5カ所のグラウンドを使って行われる。

 一応、メイン会場は「くまのスタジアム」ということになっているようだ。

 両翼100m、センター122mの広々としたグラウンドに、6000人以上を収容するスタンドに照明設備。三重県下最高の設備とうたわれる堂々たる球場なのだが、私には、この「秋の熊野」の原風景は、紀南高校のグラウンドをおいて他にない。

 熊野市の隣りの御浜町(みはまちょう)にある紀南高は、ひと口に言って、田舎の普通の高校である。

 7キロ以上も一直線に伸びる海岸線に沿った真っすぐな国道を、熊野市から20分ほど走って右に曲がると、静かな家並みが続く御浜の町で、その中に、紀南高校がひっそりとたたずむ。

 控えめな校門があって、ちょっとした駐車場があって、3階建ての校舎と体育館への渡り廊下。その向こうに、バックネットとグラウンドが見える。

 ネット裏にやって来れば、校庭がそのまま野球のグラウンドになっていて、両翼は100mほどもあろうか。外野には高いネットが巡らされ、その向こうはすぐ緑の山の斜面になっている。

まさに、百聞は一見にしかず。

 そんな田舎の高校(何度も失礼!)のささやかな駐車場に、創志学園と、健大高崎と、敦賀気比の野球部バスが、いっぺんに駐まっている。そんな“景色”を想像してみてください。ある意味、甲子園の横に駐まっているより、もっと胸おどる光景ではありませんか。

 頭下げて頼んだって、練習試合など叶うべくもなさそうな強豪たちと、自分たちが毎日練習しているグラウンドで試合ができる。そんな奇跡のような経験を、紀南高校の選手たちは、自分たちの野球の歴史の中に刻みつけられる。

 それこそが、「秋の熊野」のかけがえのない事実であろう。

 立派な理論を100ぺん聞くよりも、それを体現している者の“実際”を直接目の当たりにすることのほうが100倍実感できる。

 これ以上の「自己啓発」が、他にあるだろうか。

 一方で、そうした夢のような情景を、紀南高校野球部保護者の方たちが用意してくださる取れたての甘い紀州ミカンを頬張りながら観戦できる幸せが、この先何年も続くように、願わずにはいられない。

甲子園でも投げた2年生が変貌。

 この夏の甲子園でもマウンドに上った敦賀気比高・木下元秀投手(2年・182cm84kg・左投左打)が、「秋の熊野」にチームの大黒柱としてやって来た。

 甲子園での投手・木下は、強打線の木更津総合を相手に5回まではシングル3本1失点の大健闘だったが、6回にヒット5本を集められて6点を失い、そこでマウンドを降りていた。

 エースで4番。甲子園からわずか3カ月。立場が人を変えるというのもあるのだろう。すっかり大黒柱の貫禄を漂わせて、ゲームに臨んでいた。

 ネコもシャクシも“140”だ“150”だとなびく中、オレはこの線で行くから……そんなオリジナリティを感じるピッチングがかえって新鮮に感じる。

 目測135キロ前後の速球に落差の大きなカーブを交え、捕手が構えたミットを丁寧に狙っていく。

 時に打たれはするが、そのあとがねちっこい。隆々たる体躯なのに、スピード競争に振り回されていないのが、むしろ毅然として見える。

毎年3割を狙えるセンスと気質。

 驚いたのは、そのバッティングだ。

 甲子園では、9番だったり1打席しか立たなかったのでわからなかったが、敦賀気比高・木下元秀の“将来性”は、むしろバッティングのほうかもしれない。

 関東一との一戦。最初の打席の打球に驚いた。

 一塁手正面の痛烈なゴロに、一塁手が圧倒されてライト線に抜けた。

 ……実際は「抜けた」と言ったのは“知ったかぶり”で、打球がライト線を転々としてからやっと見えた、というお粗末。

 軽く振り抜いたように見えたスイングなのに、ものすごい勢いで一塁手を粉砕した打者・木下元秀の打球。

 その腕の振りで、どうしてこんなに猛烈な勢いの速球が……。投手の逸材を占うときと同じ“方程式”だ。

 さらに2打席目には、カーブをしっかり呼び込みながら、わずかにボールの下をこすったセンターフライがフェンスぎりぎりまで届くと、3打席目には、まったく同じ方向へ今度は楽々フェンスを越える雄大な放物線を描いてみせた。

 ホームランにしたのもたいしたものだが、それ以上に打球の方向がよい。1つ前のわずかな打ち損じに、「このやろー!」と燃えすぎないのもいい。

 まるで、「今度こそ、さっきの所を越えてみせよう」という狙いを実現できるボールをじっくり待って、今度は打ち損じないように……と丁寧に捉えて運んだように見えた。

 クールでフラット。それでいて、体の中ではほどよく“内燃”できている。毎年コンスタントに3割をクリアできるような「アベレージヒッター」の資質を垣間見た思いだった。

「安倍さん」と声をかけられ……。

 紀南高のネット裏で、思いがけずこんなことがあった。

「安倍さん」と声をかけられて振り返ったそこに立っていたのは、紀南高3年生・岡秀俊君。実は、去年の熊野で、私は彼の“3番・遊撃手”としてのプレーに惹かれ、このコラムで文章にしていた。

「……捕球→送球のスピード感がすばらしい。ポン、ポン! でボールを出せる手のひら感覚と指先感覚。

 打席で構えた姿が大きい。スタンス広め、グリップの位置も高く、背中もまっすぐ立っている。大きく構えられるのは、『さあ来い!』の気持ちの表れだ。自信持ってるな……と思っていた」

 しなやかな動きのフィールディングとスイング、さらにストライドの大きなランニングフォームに、私はすごい伸びしろを感じたものだ。

 179cm67kg(当時)のスリムな体型はそのままに、野球部の秋らしく、髪型だけは今風のスポーツ系の青年になっていた。あのコラムのせいで、彼は一躍学校の“有名人”になってしまったという。

「それも嬉しかったんですけど、それより、こんなボクなんかでも見ていてくれる人がいるんだっていうことが嬉しくて。あれ以来、一生懸命やってれば必ず見てくれている人がいるってことを信じられるようになりました」

 大学からもいくつも声をかけていただいたらしいが、トヨタ自動車の関連会社に就職して、軟式野球を続けるという。

 岡君が嬉しく感じてくれたその100倍も、こっちのほうが嬉しかった。

熊野は、人生が変わる場所である。

 同じ夏までの紀南高のチームで、エースとしてマウンドを守った横辻海投手(180cm83kg・右投右打)も「プロ志望届」を提出してドラフト指名を待ったが、今回は叶わず甲賀健康医療専門学校に進んで、2年後のドラフトに再度挑むという。

 彼もまた、「秋の熊野」で強豪相手に互角の勝負ができたことで意欲を触発され、前を向いた。

 秋の熊野にやって来た強豪、名門たちによって“全国”の洗礼を受け、それをきっかけにして、「秋の熊野」を人生の転機にした紀南高の2人。

 今回私が知り得たのは彼ら2人だったが、2人いれば見えない所で10人いたっておかしくないのが「世の中」というものだろう。

 秋の熊野は、単なる野球の腕試し以上の成果を見えない所に残しながら、ある意味、かけがえのない「教育の場所」としてこの先も続いていくことだろう。

文=安倍昌彦

photograph by Shinichi Hatanaka


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