ルメールが語る'05年の有馬記念。最強ディープにあった「隙」とは。

ルメールが語る'05年の有馬記念。最強ディープにあった「隙」とは。

無敗の三冠馬ディープインパクトが
国内で敗れた唯一のレース、2005年の有馬記念。
その波乱の裏には、勝ち馬の鞍上にいた男の
緻密な分析と迷いのない騎乗があった。
本日発売のNumber967号、ハーツクライを導いた名手、
クリストフ・ルメールのインタビューを全文掲載します!

 今年、秋のGI戦線で圧巻の4勝(秋華賞、菊花賞、秋の天皇賞、ジャパンカップ)を挙げ、リーディング争いでも首位を独走するクリストフ・ルメール。

 いまや日本の競馬界を牽引するトップジョッキーにとって、日本での転機となった「忘れられない」騎乗がある。今から13年前の年末、「日本競馬史上最強」とも称されるディープインパクトを破ったレースだ。

 ルメールが、当時、抱いていた心境をこう振り返る。

「もちろん、ディープインパクトが強いことはよく分かっていました。ですが、自分で色々考えた結果、付け入る隙はある。こういう競馬ができれば逆転もできるんじゃないか?

 レース前、そういう結論に達していたんです」

当時GI未勝利のハーツクライ。

 2005年、有馬記念。

 この年、武豊を背に、シンボリルドルフ以来21年ぶりに無敗でクラシック三冠を制したディープインパクトは、ファン投票で当然のように1位を獲得。初めて古馬と戦うグランプリにおいても、レース当日の単勝オッズは1.3倍と、圧倒的な支持を受けていた。

 当時26歳のルメールは短期免許で来日しはじめて4年目。この年の秋、天皇賞からジャパンカップ、そして有馬記念で鞍上を任されたのが、ハーツクライだった。

 ハーツクライは、ディープインパクトのひとつ上の世代。前年の日本ダービーで2着に入るなど、その潜在能力の高さは知られていたが、秋の時点でGIは未勝利。オッズも4番人気で17.1倍と、あくまで有力馬の一角という評価にとどまっていた。

 他馬の調教師や騎手の中には戦う前からディープインパクトに白旗を挙げる人も多く、発走前の中山競馬場に波乱の兆候はまったく見当たらなかった――。

 ハーツクライの調教を担当していたのは鎌田祐一だ。鎌田は関東で騎手デビューした後、関西へ移籍。橋口弘次郎厩舎の開業に合わせ、同厩舎で調教助手となった。以来、橋口厩舎一筋。師の片腕として天皇賞馬レッツゴーターキン、菊花賞馬ダンスインザダークなどを育ててきた。

素質はあるが神経質。

 鎌田がハーツクライと出会ったのは'03年。同馬がデビュー前に入厩してきた時だった。

「厩舎に入ってきた当初はいわゆる“ゆるい”体つきでした。細くて、イライラする面もある神経質な馬だったので、『果たしてどのくらいやれるかな?』という思いで調教していましたね」

 ところが鎌田の想像以上に良い馬であることが分かっていく。翌年1月の2000mの新馬戦を難なく勝つと、3戦目にはオープンの若葉Sも制し、皐月賞に駒を進めたのだ。

「そこは完敗(14着)だったけど、その後、京都新聞杯を勝って、ダービーが2着。秋以降が楽しみになりましたね」

 しかし、秋になってもイレ込む気性は変わらなかった。馬房でつないでいても羽目板を蹴る、噛みつこうとするなど、常に神経を尖らせていたという。

「そんな性格のせいもあってなかなか本格化してくれませんでした」

 結局、3歳の秋は菊花賞7着、ジャパンカップ10着、有馬記念は9着に終わる。

 古馬になってからも春の天皇賞は5着、宝塚記念では直線、猛然と追い込んだが、先に抜け出したスイープトウショウを差し切れず、2着に惜敗していた。

天皇賞当日に初めて乗って。

 4歳の秋、ついにハーツクライは充実の時を迎える。放牧から厩舎へ戻った姿をみて、鎌田は驚いたのを覚えている。

「精神的にどっしりして、体のゆるさも感じさせなくなっていたんです」

 そして放牧後の初戦となる秋の天皇賞で、調教師の橋口がその鞍上を任せたのが若きルメールだった。

「当時、彼は橋口厩舎をメインに調教に乗っていました。半信半疑ではあったけど、これまでと違う面を引き出してくれれば良いな、と。天皇賞かジャパンカップ、どちらかを勝って欲しいと考えていました。なぜか? 有馬にはディープインパクトが出てくるからですよ」(鎌田)

 ルメールはハーツクライとの出会いをこう振り返る。

「初めて乗ったのは天皇賞の当日でした。レース前、(馬主で社台ファーム代表の)吉田照哉さんから『スタートが遅いので前半は後ろからになるけど、いつものことだから』と言われたのを覚えています」

 ところが、ハーツクライは絶好のスタートを切り、ルメールは「『話と違う!』ってビックリしました」と笑う。

JCのゴール直後に驚いたこと。

 スタンドから見守っていた鎌田もそのスタートには驚いたという。

「好スタート後も、1000m62秒台のペースに珍しく掛かり気味に走っていました。それまではゆるくて、押してもなかなか出ていかず、自動車に例えるなら、ディーゼル車で高速道路を走っている感じだったのに、この時の走りっぷりは全く違った。レース前の調教で跨っていても腰に力をつけているのを感じられたし、いよいよきたな、と」

 だが、最後の直線で前が壁になる場面もあったことも影響し、勝ったヘヴンリーロマンスから2馬身ほど離された6着に終わってしまう。

「最後の150mは良い伸び脚でした。負けたけどベリー・ストロング・フィニッシュでしたね」(ルメール)

 高いポテンシャルを感じたルメールが、「馬を知っていたら勝てたのでは」と少し後悔さえ覚えるほどの好感触だったが、続くジャパンカップでは一転してスタートで失敗。「『やっぱり下手なの!?』と、また驚かされた(笑)」このジャパンカップで、ルメールが本当の意味で驚いたのはゴールの直前、そして直後のことだった。

「道中はフランキー(アルカセットに騎乗のデットーリ騎手)が前にいたので、ついて行こうと考えていました。すると、息の入らない速い流れにもかかわらず、すいすいとついていく。勝負所でハーツの反応が一瞬遅れて、アルカセットから3、4馬身離されたのですが、最後は大きなストライドで追い上げてくれ、ゴールの瞬間は『勝ったかな!?』と思える脚でした」

とんでもない時計で反動が心配。

 ハナ差の2着。勝ち時計を見て、ルメールは目をむいた。

「2分22秒1の世界レコードでした。この速い時計によく対応してくれたな、と」

 鎌田は「悔しさ半分、サバサバした気持ち半分」だったという。

「デットーリはスムーズな競馬だったけど、クリストフは馬群をぬいながらの競馬でしたから、悔しかったですね。でもあの時計で走られたら仕方ない。逆にとんでもない時計で走って、反動が心配になりました。

 有馬記念直前の追い切りで反動もなく、ホッとしたのを覚えています。ハーツクライは好調な状態を維持していましたが、有馬で戦うのはなんといってもディープインパクトです。まだ3歳の秋で伸び盛りで、しかも古馬に対して2kg軽い斤量で走る。負かすのは容易ではないと思っていましたね」

徹底的なディープ対策開始。

 一方のルメールは、ジャパンカップの直後から、自身初となる日本でのGI勝利を掴み損ねた後悔に襲われたという。

「GIでは2着は何回もあるのに勝てない。僕は日本では大レースを勝てないのかな? と、2週間くらい気持ちが沈みました。でも落ち込んでいる場合ではない、と思い直したんです。

 世界レコードでの決着という、ベリー・ファースト・レースでタイム差無しの2着。ハーツクライはGIを勝てるポテンシャルを持っている。彼を勝たせるために自分がすべきこと、考えるべきことがあるんだ、と気持ちを切り替えるようにしました」

 ここからルメールは“ディープインパクト対策”を練り上げていった。

 まずは「敵を知る」ために、最強馬のレースビデオをとことん見直したという。

「直前の菊花賞はもちろん、ダービーも見ました。楽勝ばかりで強いのは良く分かった。ただ、3歳同士の競馬だったし、追い込み一手だったので、付け入る隙がないわけではないと思いました」

過去20年を見て得た“結論”。

 次に「地の利を知る」ため、過去の有馬記念のレースビデオにも目を通した。

「グリーンチャンネルで流れていた過去20年分くらいのレースを全部観ましたよ」

 その結果、一つの事実を確信した。

「中山競馬場が少しトリッキーなコースであることは分かっていたけど、実際に有馬記念のビデオを見て、前で競馬をする馬にかなり有利なことが分かりました」

 最後に「己を知る」ため、ハーツクライのレースぶりを思い起こした。

「皆がハーツクライは追い込み馬だと思っていたようですが、天皇賞では好スタートを切っていたし、僕は先行する力を充分に持っていると感じていました」

 今だから話せるのですが、とルメールは作戦の内容を明かしてくれた。

「道中、ディープインパクトより10馬身前にいること。東京ならそれでもかわされちゃいそうだけど、中山でその差をつけられれば、ディープ相手でも粘り切れる。この時のハーツはその力を持っていると確信していました。オンリー・ポイントは前で競馬をすること。作戦通りに乗れれば勝てる自信があったんです」

先行策で得ていた手応え。

 中山競馬場につめかけた大観衆が待ちに待ったゲートが開く。

 ハーツクライは集中してスタートを決めると、すぐにルメールは作戦通りに先行、3番手にいざなった。作戦を知らされていなかった鎌田はそれを見て驚いたという。

「スタートしたら前にいるから『え!?』って思いました。その後はずっと『大丈夫かなぁ……』と見つめていましたよ」

 道中、タップダンスシチーが逃げ、オースミハルカがそれに続き、ハーツクライは3番手集団を進む。ディープインパクトは最後方から外を回り、少しずつ位置を上げていった。鞍下から伝わってきた感触を、ルメールはこう表現する。

「終始良い手応えで、気持ちよく走っていましたね」

 結局、その手応えは鈍ることなく、直線へ向いた。鎌田は言う。

「直線に向くとハナに立ったけど、ディープインパクトが3コーナーから徐々に来ているのが分かった。大歓声が上がったし『やっぱり……』と思いつつ、『頑張ってくれ!』と、もう願うように見ていましたね」

チラッと豊さんが見えた。

 ルメールの耳にもそのスタンドの声は聞こえていた。

「歓声がひと際、大きくなったのでディープが来たんだと思いました。その後、実際にチラッと豊さんが見えたんです。後はハーツに『彼が来ているよ!』と伝えながら必死で追いました」

 結果は、ご存知の通り。半馬身差でハーツクライが押し切り、ルメールが描いた打倒ディープインパクトのシナリオが見事に完結した。

 ルメールは今、レースをこう振り返る。

「当たり前のことですが、強い馬を破ろうと思ったら、相手の弱点と自分の馬が優っている点を考えるのは大切。それがとてもうまくいったんです。この有馬記念は僕にとって、大きな自信になりました」

ハーツクライは今でも特別。

 史上最強馬を相手に勝利を挙げ、大きな自信を手にしたルメールは、'15年にJRAの騎手免許試験に見事合格し、ミルコ・デムーロと共に外国人として初めて通年免許を取得する。昨年は199勝を挙げてリーディングジョッキーの座を獲得。今季も前述のような快進撃で、GI勝利を21に積み上げている。

 ハーツクライも翌'06年にはドバイへ遠征し、ドバイシーマクラシック(GI)を逃げ切って制覇。同年に現役を引退すると、種牡馬としても、ジャスタウェイ('14年ドバイデューティーフリーほか)やワンアンドオンリー('14年日本ダービーほか)など次々とGI馬を輩出しているのは周知の通りだ。

 ディープインパクトに乗っていた'05年の武豊以来、2人目の年間200勝を目前に、トップジョッキーはこう言った。

「初めて日本のGIを勝たせてくれて、『ここでもやっていける』自信をくれた。だから、ハーツクライは今でも自分にとって特別な馬なんです」

(Number967号『クリストフ・ルメール 最強ディープを倒した秘策。』より)

文=平松さとし

photograph by Katsutoshi Ishiyama


関連記事

おすすめ情報

Number Webの他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

スポーツ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

スポーツ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

記事検索