“サッカー小僧”中島翔哉が日本の「10番」になるまで。

“サッカー小僧”中島翔哉が日本の「10番」になるまで。

「あちこちのフットサルコートへ“道場破り”」

「カバンのなかにはいつもミニサッカーボール」

「U-17代表時代、競技場通路の人混みでドリブル」

「プロになってからも近所の公園でシュート練」

「A代表ベンチでも暇さえあればリフティング」

 いずれも、日本代表の新10番が残してきた逸話だ。

『キャプテン翼』を読んで、枕元にボールを置き、学校までドリブルして、机の下でまたボールをいじる。そんな少年は全国を探せば珍しくないかもしれない。でも中学生になり、高校生になったとき、少年にその続きはあるのか。ましてやプロになっても続きをやっている選手なんているのだろうか。

 いま代表の背番号10を背負い、かつてないほどアグレッシブで魅力的なチームを引っ張っているのは、そんな漫画レベルのサッカー小僧だ。

 この類まれなキャラクターは、いったいどうやって育まれてきたのか。

中島を作った恩師たちがズラリ!

 Number967号「日本代表 僕らの時代」では、中島翔哉の成長過程をさぐろうと彼ゆかりの人物を訪ねた。

 中島が小学校低学年からスクールに通い、小5のセレクションからはチーム入りした東京ヴェルディには、永田雅人氏(現日テレ・ベレーザ監督)と冨樫剛一氏(現東京V強化部ダイレクター)たち。

 前者はジュニアからジュニアユース時代、後者はユース時代の中島の指導者だ。

 またFC東京では、中島がプロとなった後にカターレ富山の監督として、直後にFC東京のコーチとしても彼を見てきた安間貴義氏(現FC東京コーチ兼U-23監督)に話を聞いた。

海外でのプレーをイメージして練習。

 取材にあたったライターの海江田哲朗さんが“小僧エピソード”について尋ねると、恩師たちはすぐさま頬を緩ませて語ってくれる。

「よく覚えているのは、上半身を揺らしたり跨いだりしてフェイクかけて壁にシュートを打ってる姿。ずーっと1人で。こんなサッカー好きなやつがいたんだって。でもそれがずっと、結局いまも続いているのが翔哉」(冨樫氏)

「全体練習が終わって、ご飯を食べるとまた1人でシュートを打つ。いいところに入っても、この球筋じゃ入らないとか、ここは揺れないと入らないとかブツブツいいながら。全部、海外(でプレーすること)をイメージしているんです」(安間氏)

「昨シーズン後のオフに帰国した時はすぐにポルトガルに戻っていましたね。静かで飯がうまくて天気もいいって。きっと公園でサッカーしやすいんでしょうね」(永田氏)

 昔も今もサッカーに夢中な中島の様子は、自然とひとに教えたくなる。そんな雰囲気だ。

 恩師たちをそうさせるのは、教え子が代表で活躍するようになったから、というタイミングだけが理由ではないだろう。

「見てるとハッとさせられます」

 たっぷりと当時のエピソードを聞かせてもらったことで、明らかになったこと――。

 それは、特にクラブレベルでは必ずしも順風満帆とはいかなかったキャリアのなかで、つねに世界を見据えていたサッカー小僧が、ひとつひとつ武器を備えていき欧州でも注目のアタッカーへと成長していく詳細な過程だった。

 中島のブレない取り組み方と同時に、もうひとつ印象深かったことがある。

 それは、たとえ彼がチームの監督に認められない時期であっても、周囲からは誰かしら親身にサポートする指導者が現れてきたことだ。

 まるで中島が放つサッカー愛に引き寄せられるように。

「子供の頃の夢がそのまま残っている」

 ジュニア時代からいまも交流のつづく永田氏は、こう語ってくれた。

「彼を締めつけるような余計なことを言う人には会わなかったのではないでしょうか。翔哉みたいにサッカーに命かけてるヤツを見れば、指導者ならなにかこいつにプラスになることはないかと探すはず。

 サッカーにすべてをかけて、それでいて悲壮感なく楽しんでるところを見たらきっと誰でもそうなる。自分も初心に立ち返らなきゃと思う人だってたくさんいると思いますよ」

 冨樫氏も中島の“小僧ぶり”が指導者に及ぼす力を感じるようだ。

「子供の頃の夢が、あいつのなかではまだまだ残っているのでしょうね。だから、あいつを見ているとハッとさせられますよ。『そうだよね!』って。

 学問のように研究されているいまの時代でもサッカーにこれが正解というものはない。でも、時には正解があるようにも感じるし……本当に難しいです。行き詰まったときにあいつの映像を見たり、LINEしたりすると、なにかスカッとするところがあるんです」

 サッカー小僧が日本代表の10番をつけるに至った原動力とはなにか。

 それを探るインタビューの内容は三者三様だったが、終わりの言葉はみな「翔哉をよろしくお願いします」だった。

 彼と接してきた指導者たちの言葉は、最後まで温かさに満ちていた。

文=生島洋介(Number編集部)

photograph by TOKYO VERDY


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