羽生結弦、通訳への温かい心遣い。ロシア人大学院生が明かす舞台裏。

羽生結弦、通訳への温かい心遣い。ロシア人大学院生が明かす舞台裏。

 彼女に初めて会ったのは、2013年モスクワ世界陸上のことだ。もう5年も前になる。

 大会前日にプレスルームで働いていた私たちに、彼女はおずおずと近寄ってきてこう話しかけた。

「日本の記者さんですよね。私、日本語が話せますので何かあったら声をかけてください。なんでもお手伝いします」

 勇気を振り絞って話しかけたのだろう。緊張のせいか、顔は真っ赤だった。

 カリナ・ガレエワ。

 当時、彼女はモスクワ大学アジア・アフリカ学部日本語日本史学科で学ぶ1年生で、世界陸上の期間中、メディア担当のボランティアをしていた。ロシア選手のインタビュー内容を和訳してくれたり、必要な資料を探してくれたほか、おいしいランチの店も教えてもらった。オンオフでとてもお世話になった。

 それから5年。今は日本で学生生活を送っている。引っ込み思案だった面影はまったくない。

GPシリーズでは通訳も担当。

 今年11月。モスクワで行われたフィギュアスケート・グランプリシリーズ、ロシア大会。ソチ五輪で金メダルの羽生結弦やアリーナ・ザギトワをはじめ、ロシア人、日本人選手が多数出場し、日本からも大勢のメディアが訪れていた。

 カリナはそこで通訳という大役を担った。

「フィギュアスケートのGPシリーズでは2013年から働いています。モスクワ世界陸上の後に、メディア担当のスタッフから声をかけてもらったのがきっかけです。今年も一時帰国とタイミングがあったのでお手伝いする事になりました」と話す。

 日本での学生生活で日本語に磨きがかかったとはいえ、大勢のメディアが見守る中での逐次通訳はプレッシャーも大きい。カリナが訳した言葉が活字になって報道されるからだ。

世界陸上、ソチを経て日本へ。

「日本語、ロシア語に訳す時に、選手の思いがきちんと伝わるように適切な表現を選ぶのに苦労します。羽生選手は私がうまく訳せるように、言葉の選び方はもちろんですが、言葉の間の取り方やタイミングなども心遣いをしてくれたので、リラックスして仕事ができました」と振り返る。

 幼い頃から日本の漫画が好きだった影響で、高校は片道1時間半かけて日本語を学べる学校へ。その後、ロシア最高学府のモスクワ大学に進学したが、卒業後の進路は明確ではなかった。「将来はロシアに進出している日系企業に就職できれば」、そう話していた。

「ソチ五輪のボランティアには応募したので、その前年に行われたモスクワ世界陸上のボランティアにも声をかけられました。どちらもメディア担当だったので、人と接すること、相手の立場に立って仕事をする力、また通訳などの面白さ、難しさを学ぶことができました」

「TIAS」の修士に進学。

 カリナはその後、北海道大学に1年間留学。モスクワ大学を卒業後、スポーツの勉強をするために筑波大学に設置されたスポーツ・オリンピック学の学位プログラム、国際スポーツアカデミー「TIAS」の修士に進学している。このプログラムは2020年の東京オリンピックの開催決定に伴い、政府事業のプログラムの1つだ。

「知人が『TIAS』の短期プログラムに入ったのを見て調べたところ、奨学金制度があると知って、『これは絶対に行かなきゃ』と思いました。私の学年には世界各国18カ国から学生が来ていて、様々な文化、背景、交流から多くのことを学ぶことができました。

 障害のある学生、教授もいるので、彼らのニーズや考えを学ぶこともできました。柔軟かつ広い視野を持つ必要性もこのプログラムから学びました」と話す。

修士論文は日露解説者比較!?

 学業だけではなく、東京2020組織委員会などでもインターンを経験し、スポーツ界での研鑽を積んできた。

 現在、カリナは3月の修了に向けて修士論文に取り組んでいる。

 論文のテーマはずばり『フィギュアスケートのTV番組における日本とロシアの解説者比較』。

「日本では技術部分の解説がメインで、言葉の選び方、ジャンプやスピンなどの説明もとても深いですが、ロシアは選手のプライベートを話したり、感情論が多いんです。例えば、日本では『今のジャンプは高さも幅もありましたね』、『非常に軸が安定したジャンプです』というように視聴者の理解が深まるような解説が多いと思います。

 でもロシアではジャンプやプログラムの内容は一切なく、素晴らしさを表現するために『羽生は宇宙人みたいだね』みたいに話す解説者もいて、『いやいや、それ、解説じゃないよね』と突っ込んだりします」と笑う。

 フィギュアスケートが大人気の2カ国の文化を知り、日本語とロシア語を話せるカリナならではのテーマで、フィギュアファンならぜひ読んでみたい内容ではないだろうか。

ソチ、コンフェデにも関わって。

「モスクワ世界陸上でのボランティア経験がなかったら、今の私はいないと思います」とカリナは断言する。

 相手の気持ちを汲み取って、懸命に働く彼女の姿が世界陸上のメディア担当の目にとまり、フィギュアスケート、ソチ五輪、そしてコンフェデレーションズカップなどにも関わることができた。

「語学力とガッツが必要」

 ボランティアをする学生の中には、将来的にスポーツやメディアの仕事に関わりたいと思っている人もいるかもしれない。

 カリナは「ボランティアをしていると、メディアの方々の難しい要求を受けることもあります。そういう場面では、『相手が自分の家族や好きなアイドルだったら、どう対応するだろう』と考えるようにしています。そうするとイライラもなくなります」と言う。また「語学力は必須だと思います。それとこの世界は、前へ前へ行かないといけないので、ガッツも必要です」と続ける。

 卒業後は日本でスポーツ関連の仕事に就く予定だが、「これまでは大きな大会にボランティアとして関わってきましたが、将来的には責任ある立場で参加してみたいですね」。

 ごく普通の学生がボランティアを通じて、やりたい仕事、進むべき道を見つけたカリナ。彼女の今後、そして東京2020のボランティアスタッフから彼女のような存在が出てくるのか楽しみだ。

文=及川彩子

photograph by Ayako Oikawa


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