C大阪有望株が小嶺先生の愛弟子に。鈴木冬一、1度きりの選手権挑戦記。

C大阪有望株が小嶺先生の愛弟子に。鈴木冬一、1度きりの選手権挑戦記。

 かつてU-21日本代表のMF神谷優太(現愛媛FC)、U-19日本代表のFW中村駿太(現ザスパクサツ群馬)が強豪Jユースから、高校最後の年に高校サッカーへと“電撃移籍”した(神谷は東京ヴェルディユースから、中村は柏レイソルU-18から→青森山田高)。

 2018年3月にもまた電撃移籍があった。関西の強豪・セレッソ大阪U-18からMF鈴木冬一(すずき・といち)が長崎総合科学大附属高に移った。

 鈴木は2人と同じく年代別日本代表で、2016年にはU-16日本代表としてAFC U-16選手権を戦い、一昨年は久保建英(現横浜F・マリノス)、中村敬斗(現ガンバ大阪)らとともにU-17W杯(インド)に出場。グループリーグ3試合と、死闘となった決勝トーナメント初戦のイングランド戦の全4試合に出場、うち3試合はスタメンだった、この世代のトップランナーだ。

 そして、2人と大きく異なるのが「2種登録選手」であることだった。Jクラブの下部組織の選手は、2種登録すればトップチームの公式戦に出場できる。現に鈴木はC大阪U-23としてJ3リーグに3試合出場している。

 そんな選手がなぜ高校最後の1年でこのような大きな決断をしたのか。そこには神谷、中村と同じように大きな葛藤と不退転の覚悟があった――。

J3の試合に出ているが……。

 彼の決断のきっかけとなったのが、年代別日本代表での活動とU-17W杯だった。

「正直、代表で同じチームメイトや、イングランドなど世界トップの選手の力を見て、自分が技術的にも精神的にも遅れていると感じた」

 自分の中で“停滞”の2文字が浮かんだ。そんなもやもやを抱えながら、彼は2017年を過ごした。

 世界を経験し、2種登録し、J3だがプロの試合に出場できた。だが、何かが違う。

 端から見れば順風満帆のサッカー人生に見えるが、逆にそれが自分の可能性を狭めているのではないかと疑念を抱いた。そう、彼の目には敷かれた人生のレールが少し見えてしまっていた。

「正直“このまま行ったら、僕はこうなるんだろうな……”と。それは僕自身だけでなく、周りの人が見ていても、多少あったのではと思います」

セレッソは最高の環境だが。

 彼にとってプロになることは目標ではなく、あくまで“過程”だった。その過程の先に、さらに成長してステップアップする自分の姿を真剣に思い描いていたからこそ、目の前にセレッソでプロになるまでのレールが見えても、“その先”が見えなかった。

 彼の性格は一言で言うと、まっすぐだ。サッカーに対して本気で向き合い、自分自身と向き合って会話できる選手だ。それゆえ「これでいいや」と割り切れない。

 着実に経験を積めているが、このまま漠然と同じ環境で過ごしていいのか。この疑問はすべて自分自身に向けられていた。

「セレッソは素晴らしい環境で、ジュニアから含めた8年間の経験は自分にとってすごく大きな財産になりますし、セレッソという素晴らしいクラブで学んだことは自分が今後、サッカー人生を歩むにあたり、かけがえのないものだし、凄く良い仲間とも出会えた。僕の土台すべてを作ってくれたのがセレッソだと思っています。でも、このままで良いとは思えなかった」

 セレッソに対する愛着はとても深い。だからこそ、そこに甘えてしまう自分や、その先にある“停滞”から目を背けることが出来なかった。

「自分がこれから成長するためには、もう決断するしかない」

小嶺先生のもとで自らを磨く。

 2018年。彼は行動に出た。愛するセレッソを離れ、高校サッカーに進む道を摸索した時、彼の頭の中に浮かび上がったのが長崎総合科学大附属高だった。

「選んだ理由は小嶺(忠敏)先生がいたから。小嶺先生の下でなら自分が求める厳しい環境でサッカーに打ち込めるし、人間性も磨けると思った」

 小嶺監督はかつて島原商でインターハイ優勝1回、国見高でインターハイ優勝5回、選手権では戦後最多タイの6回の優勝を成し遂げ、2008年に長崎総合科学大附属の総監督に就任。すぐに全国大会出場を達成し、昨年度は安藤瑞季(現・セレッソ大阪)とJリーガーに送り出した。

 教え子には前橋育英・山田耕介監督、小林伸二(現ギラヴァンツ北九州監督)、高木琢也(現大宮アルディージャ監督)を始めとした指導者、大久保嘉人(現ジュビロ磐田)ら多くのJリーガー、日本代表選手がいる。

 この名将の下、高校最後の1年を過ごして、新たな発見をしたい――。その気持ちが強く、家族、C大阪の承諾を経て、3月に長崎総合科学大附属高へ電撃移籍した。

「長崎に行った当初は、いろんな人に自分から話しかけに行きました。自分は明るいキャラなので、それを活かして、どれだけ積極的に自分で入り込んで行って、みんなに認めてもらえるか。プレー面でも練習から貪欲に取り組む姿勢を見せることで、より認めてもらえると思いました」

名将を唸らせるほどの真摯さ。

 元U-17日本代表、C大阪U-18という看板を捨て、ありのままの姿でチームに飛び込んだ。その姿は名将を唸らせるほど真摯だった。

「冬一はすぐにみんなの手本になってくれた。トレーニング、私生活も含めて、すべて自分から率先して行動をする。技術的にも優れた選手がしっかりと目標を持って、一切手を抜かずに努力する。それは周りが刺激されるのは当たり前。選手の鑑だね。“良い選手とはこういう姿勢なんだ”と思わせてくれた」

 小嶺監督はすぐ鈴木に全幅の信頼を寄せ、厳しく指導するとともに、ゲームキャプテンを託した。鈴木は望んでいた環境で、新たな強さを磨き上げた。

「小嶺先生には“自分はどこでもできます”と言っていたのですが、小嶺先生は“お前が得点源になれ”と前線で使ってくれた。僕は攻撃が好きなので、前でやりたいと言う想いがあった。ここに来て自由にプレーできてよかった」

 DFラインから届くボールを、スピードとフィジカルの強さ、正確かつ強烈な左足を駆使して、ゴールに結びつける。これまでFW、トップ下、サイドハーフ、ボランチ、サイドバックと数多くのポジションをこなして来た彼だが、長崎の地ではゴールに対して獰猛なストライカーとしてノビノビとプレーした。

土のグラウンドでも楽しくて。

 C大阪U-18時代は綺麗な芝での練習は当たり前だったが、長崎総合科学大附属は土のグラウンド。照明もそこまで明るくない。環境はがらりと変わったが、心からサッカーを楽しめていた。

「僕が何をしたらチームが勝てるかとか、もっとチームのためにやるべきことがあるかどうかを優先的に考えるようになりました。自由だからこそ、逆に自覚とチームに対する犠牲心が生まれて、すごく新しい自分を見つけ出せた。本当に毎日が楽しかった」

 C大阪U-18や年代別日本代表では、周りのレベルが非常に高いために、“役割”をまっとうできる環境だった。しかし、ここでは1つや2つの役割をこなしているだけではいけなかった。

「ボランチ、サイドバック、FWの役目もやらないといけない。そこにおいては本当に自分が成長できたと思います。これまではいろんなポジションをその都度やっていた。でも、ここではそれを全部ひっくるめてのプレーしないといけない。それをやり続けられたことで、殻を破れた気がします」

 インターハイ予選で初戦敗退、プリンスリーグ九州では県リーグ降格こそ免れたものの、7位で終わるなど、最初で最後の高校サッカーは決して平坦な道ではなかった。

湘南内定という新たな未来。

 だが、新たな仲間と過ごす日々は毎日が刺激的だった。“最強のハードワーカー”へと変貌したことで、2019年の湘南ベルマーレ入りも内定。新たな未来を掴み取った。

 そして迎えた最初で最後の選手権。インターハイ予選の反省を胸に、3年連続の選手権出場に導いた。そして同校にとって初戦となる2回戦の浜松開誠館戦。会場となったNACK5スタジアム大宮のスタンドにはC大阪U-18の盟友・瀬古歩夢と、菅原由勢(名古屋グランパス)、宮代大聖(川崎フロンターレU-18、トップ昇格)、久保の4人のU-17日本代表のチームメイトが応援に駆けつけた。

「本当に嬉しかった。応援に来てくれたということは、これまで自分が築いた彼らとの信頼関係があったからこそ。そういうのをこれからも大事にしていきたいと思いましたし、本当に良い仲間を持ったなと思いました」

 瀬古には「頑張れよ」と短い声をかけられたが、「アイツはあまり深く語らないタイプの人間なので(笑)。でも伝わりました」と、かつての仲間の想いを持ってピッチに立った。

全国大会初ゴール、そして敗戦。

 この試合、鈴木が決勝弾の起点となって1−0で勝利すると、迎えた3回戦・帝京長岡戦、20分に待望の瞬間がやってきた。

 CB大切達矢のクリアボールに鈴木が真っ先に反応し、ドリブルを開始。帝京長岡のCB小泉善人が寄せに来るが、フィジカルコンタクトで相手の体勢を崩してから、余裕を持って左足一閃。ボールはゴール右隅に吸い込まれた。

 長崎総合科学大附属での全国大会初ゴール。応援団が陣取るスタンドの前に駆け寄り、胸のエンブレムにキスをして渾身のガッツポーズを見せた。この1年間の想いと、受け入れてくれた仲間たちへの感謝の気持ちを示すゴールパフォーマンスだった。

 しかし、その後チームは逆転を許す。鈴木はスプリントを繰り返して帝京長岡ゴールに迫ったが、わずかに届かずタイムアップ。3回戦敗退に終わり、同時に長崎での1年が幕を閉じた。

 試合後、彼はゲームキャプテンとして涙を見せることなく、気丈に振る舞った。だが、「グラウンドの中では堂々としていたのですが、ロッカールームに戻って、小嶺先生からは特に言葉をかけられていないですが、顔を見た瞬間に涙があふれ出てきた」と、恩師の顔を見て泣き崩れた。

プロというステップでも。

「小嶺先生は僕が一番感謝しないといけない存在だと思います。小嶺先生の下でメンタル、フィジカル、人間力の面で、まだまだではあるのですが、成長できたと思っています。本当にここに来て良かったと思いますし、決断した時の自分に“お前は良い決断をしたぞ”と言いたいです。この経験を無駄にしないためにも、次のプロというステップで力を発揮していく必要がある」

 清々しさを感じさせる表情と、まっすぐに前を見つめるその目には、自信と未来への期待感があふれていた。

「プロになってもこの先、移籍はあるもの。そういう部分でもこの年齢で経験できたことは大きいですし、新しいチームに対してどうとけ込むべきなのかは学ばせてもらいました。それに……賛否両論ある決断を下すことはこれからもあるし、そこでまた壁にぶち当たる思うのですが、この経験を生かして、何事にも屈しないで、決断し続けたいと思います」

 一度大きな決断を下した者は強い。鈴木は高3という若さで人生を変える決断を下し、それを信念してまっすぐに歩いていくはずだ。

 だからこそ、この先どんなことがあっても、この1年間に“立ち返る”ことができるだろう。それこそ彼がこの決断を下した意義でもあるのだから。

文=安藤隆人

photograph by Takahito Ando


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