菊池雄星、10年前の涙を越えて。「やっと行けるという気持ち」

菊池雄星、10年前の涙を越えて。「やっと行けるという気持ち」

 西武からポスティングシステムを利用してのメジャー移籍を目指していた菊池雄星が、シアトル・マリナーズと契約した。日本時間の4日未明には入団会見が行われ、ほとんど英語を使っての記者会見に彼のメジャーへの熱い想いが垣間見えた。

「メジャーへの思いを改めて強くしたのはこの3年ですけど、でもやっぱり、目指してきて12年、やっと行けるという気持ちの方が強いです」

 メジャーを想って12年――。

 積年の希望が菊池にはある。記者会見のほとんどが英語だったのも、彼がどれほどメジャーという夢を描き続けてきたかの深さを表現した1つと言えるだろう。

 とはいえ、その道程は容易いものではなかった。

 やはり、思い起こすのはあの日の記者会見だ。

 2009年秋、高卒でのメジャー挑戦か国内残留かが世間を騒がし、結果、国内残留を涙ながらに表明したあの会見のことだ。

人生の財産になった球団面談。

 高校3年時に春夏の甲子園に出場した菊池に、日米のスカウトがこぞって注目した。最速154キロのストレートと打者の手元で鋭く曲がるスライダー。左腕からの強烈なボールで打者を圧倒していくパワーピッチングに、日米20球団が面談に訪れた。

「日本の球団はプレゼンみたいな資料を見せて話してくれた球団もあれば、手ぶらの球団もありました。どっちが良くて、どっちが悪いとかではなくてその違いを知れた。メジャーはメジャーで、現役のメジャーリーガーが花巻まで来てくれて、石川遼くんの写真を持って『彼と一緒に君も世界と戦うんだ』といってくれたり、当時レンジャーズにいたノーラン・ライアンとも話をすることもできた。日米球団との面談は人生の財産になりました」

 この時の菊池の気持ちは半分くらい、いや、それ以上にメジャーに傾いていた。だが実際、夢の実現に対して想像以上の逆風があったのもまた事実だった。

メジャースカウトの存在がきっかけ。

 そもそも、菊池がメジャーを意識するようになったのは、メジャースカウトの存在があったからだ。それも、絶好調時だけではなく、不調時にも見にきてくれるスカウトの存在が彼の夢を大きくした。

「元ドジャースの小島(圭市)さんが1年の冬くらいからグラウンドに来てくださって、その存在は大きかった。僕自身、1年夏に甲子園に出たことで注目されて、その後、岩手に帰ってから力んで、どん底状態になっていました。そんな時に小島さんは、花巻に来てくれて、それから毎月のように試合まで見てくれた。僕にとって心の支えでした」

 菊池が将来の目標に「高卒でドジャースに行く」という夢を描いたのはまさにこの頃からだった。

 花巻東の野球部員が入部後に必ず書くという81マスからなる「目標設定用紙」のど真ん中に、菊池はそう書いている。

「監督からも、高卒でメジャーって書くのがいいんじゃないというアドバイスをもらって、目標になりました。でも一番は、目標を高く設定したことが自分には大きかったのかなと思います。メジャーを目標にしていたからこそ、甲子園に春夏ともに出られたし、勝つこともできた。甲子園で勝つことが目標の真ん中に来ていたら、また違った人生になっていたのかもしれない」

 そんな菊池が、最後の夏の甲子園が終わってメジャーを意識しないはずはなかった。「メジャー(ドジャース)に行きたい」。それが彼の本音だった。

想像以上のバッシングが殺到。

 しかし、そんな夢を語ると、想像以上のバッシングが菊池やチーム、そして関係者に浴びせられた。

 学校にはたくさんの抗議を表するファックスが届いたし、ある高校野球専門の記者からは、「メジャーのスカウトは話題だけでお前を連れて行こうとしている」と暗に夢を諦めさせるようなメールが菊池本人に届いたこともあった。夢を語ることが許されない空気が当時はあった。

恩師の胸にいまも残る「後悔」。

 そして、あの日の会見で、菊池は大粒の涙を流したのだった。

 1年の冬から描いてきた夢を封印したことでたくさんの思いが去来したからだ。

「あの瞬間、子どもの夢を取ってしまったと思いました」

 そう語ったのは、菊池の恩師、花巻東の佐々木洋監督だ。

「今、メジャーに行く夢を実現するのは嬉しいですし、頑張って欲しいなと思いますけど、苦労をかけてしまった。そっちの想いの方が強い」と胸の内を漏らした佐々木は、9年前の出来事をこう回想している。

「雄星の3年後に大谷が『高卒でメジャーに行く』という会見を開きましたけど、正直に言って、あの時は扉を開けるのは軽かったと思います。1度扉を開けようとした雄星がいましたから。

 しかし、雄星の時は違いました。高卒でメジャーに行くという新しい扉を開けようとした瞬間にものすごい風が吹きました。本人には『好きな進路を選べ』と言いました。『俺は叩かれても構わない。行きたいところに行け、後押しする』と。

 当時は、常に人と違う道を行ってもらいたいという話をしていました。高卒からメジャーに選手が行く時代は必ず来る。やるなら先に行って新渡戸稲造のように太平洋の架け橋になれという話もしていたんです。でも、最後の最後、一番ビビったのは私でした。本人に夢を諦めてくれとは言わなかったですが、あの記者会見で泣かれた時、私が遠回しにそっちの方に導いてしまっていたのかな、と。子どもの夢を取ったと思いました」

 実はあの会見の時に菊池は、滅多なことで息子の進路に口を挟まない両親から「アメリカに行って欲しかった」と心情を伝えられている。「アメリカだと自由にやれるけど、日本だと1年目から結果を出さないと叩かれるから」だという。

現在は複数のトレーナーと個人契約。

 両親が想像したように、菊池はプロ入り後、苦労を重ねた。

 よく言われるコーチとのいざこざがクローズアップされるが、実際はそれだけではない。たくさんの苦労を重ね、一時はストレートの球速が135キロまで落ちたこともあった。それでも這い上がって夢を実現させるところまで立ち直れたのは、彼の地道な取り組みがあったからに他ならない。

 菊池はプロ2年目のオフからメンタルコーチの指導を受けている。その他、たくさんのトレーニングを体験した中で、現在はストレングス、コンディショニングのトレーナーとパーソナル契約。身体のケアやデータのアナリストの指導も受けている。さらにはメジャー移籍を実現するため、英会話の勉強も欠かさずに続けてきた。

消費せず、投資に徹する男。

 とかく自分を高めることに投資を惜しまない男で、それが彼のこの12年を支えてきたといっても過言ではない。

 佐々木はいう。

「今、私は指導する中で『投資と消費』の話をします。お金と時間の使い方はこの2つのどちらかであるということを話すのですが、雄星は高校時代からひたすら投資していました。両親からもらったお小遣いは(体を大きくするための)食べ物と本と勉強になるようなDVDに使っていました。つまり、将来への投資をしていたんです。

 それはプロに入ってからも変わらずいろんなことに投資して吸収しようとしていた。そして、必要なものは残す、不必要なものは削っていきました。その分遠回りしたかもしれませんが、彫刻のようにいらないところをどんどん削っていって、今の雄星ができてきたのではないかと思います」

 4日未明の入団会見にはいろんな過去がフラッシュバックした。

 それはおそらく、菊池本人だけではなく、佐々木らたくさんの人も同じ想いだったに違いない。

「高校1年生の時に佐々木監督から呼ばれて『メジャーリーグを目指そう』という話をしてもらって、その時からメジャーに行くことを目標にしてきました。やっと12年前の夢が叶って嬉しいです」

 入団会見では晴れやかな表情でそう語っていた。

 メジャーを志してから12年。菊池がついに夢の扉を開いた。

文=氏原英明

photograph by AFLO


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