同姓同名の「田中大貴」と再会。バスケ界勝負の2019年が始まる。

同姓同名の「田中大貴」と再会。バスケ界勝負の2019年が始まる。

「初めまして、田中大貴と言います」

「初めまして、田中大貴と言います」

 こんな挨拶で始まったインタビューでした。男子バスケットボール日本代表・田中大貴選手。ファーストコンタクトは彼が東海大学3年生の時でした。

 2012年の冬、どこかあどけなさも残る、自分と同じ名前の大学生バスケットボーラーを目の前にして、不思議な感じがしました。

 あれから6年が経ち、名前を目にしたときの不思議な感じはまだありますが、あの時と絶対的に違うのは彼の名前の前には常に「日本代表」という言葉が付くようになったことでした。

 6年前、フジテレビでスポーツニュース番組のキャスターを担当していた僕は、インカレの優勝候補に「同じ名前の選手がいる」ということで番組が企画し、会いに行きました。

 同姓同名が目の前にいる。しかも漢字も同じ。長年、スポーツキャスターを担当してきて初めての体験は不思議な感覚以外の何物でもありませんでした。

6年前は遠慮気味だったが。

 このときの田中大貴選手はインタビューにも慣れておらず、とにかく謙虚に、どこか遠慮気味に話してくれました。

 ただ、そのインタビュー中で唯一、強く主張していたのが「いつか日本を代表するような、五輪へ導けるような選手になりたい」という言葉でした。

 あの時、自らの目標だけは明確に答える青年だったことを覚えています。

 インタビューの後、「田中大貴君がいつか代表選手になって、日本のトッププレーヤーになって、もし僕がまだ伝え手の世界にいたら、もう一度、インタビューをさせて下さい」と伝えた僕に、「宜しくお願い致します」と言ってくれた彼。

 そして、この冬、その言葉が実現しました。田中大貴は東海大のレギュラーの1人ではなく、日本代表、そしてBリーグファイナルのMVPプレーヤーとなっていました。

「日本にいないような選手に」

 6年ぶりのインタビュー。あの時は名前だけだと思っていたけれど、血液型も、長男で、兄弟の数も、好きな食べ物も、地方の公立高校を卒業後に関東の大学で体育会に所属してプレーしていたことも同じだということがわかりました。

 2020年東京五輪を翌年に控え、まさに大学時代に掲げていた目標に辿り着こうとしている田中大貴選手。今、何を思うのか。

「五輪に出場するという目標はもちろんです。プレーヤーとしては、今までの日本にいなかったような選手になりたい。オフェンスもディフェンスも両方できる、ゲームメーカーもポイントゲッターもこなせる、今までにないかたちの選手を目指していきたいです」

 6年前と変わらず、目標を明確に答えてくれた田中大貴選手。今度は彼がコート上で活躍する姿を、Bリーグで、代表戦で、僕が実況できた時、3度目のインタビューをお願いできればという言葉を伝えて別れました。

 バスケットボール界にとって、そして田中大貴選手にとって勝負の2019年が始まります。自分にできないことは決して言わない田中大貴選手が、必ず日本バスケットボール界を明るき未来へ導いてくれるはずです。

文=田中大貴

photograph by Getty Images


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