菊池雄星を変えた炭谷銀仁朗の言葉。「奪三振王と最多勝、どっち?」

菊池雄星を変えた炭谷銀仁朗の言葉。「奪三振王と最多勝、どっち?」

「メジャーリーグを目指そうと思った15歳のときから、12年間ずっと夢に見てきたことです。毎年毎年、その思いは膨らむばかりでした。今はまずスタートラインに立った。でもゴールではなく、これからが本番だと思っています」

 シアトル・マリナーズへの入団を発表した菊池雄星が1月7日、挨拶のために埼玉県所沢市の球団事務所を訪れた。

 岩手県から埼玉へやってきて9年。願い続けた夢の第一歩を踏み出した。

 菊池は2010年、花巻東高校から鳴り物入りで西武に入団した。ドラフト1位で菊池を指名したライオンズは、6球団競合の末に交渉権を獲得。入団が決まった直後から注目を集め、連日、所沢市にある二軍施設には多くの報道陣が集まった。菊池の一挙手一投足にメディアは注目した。

「雄星は、どっちになりたい?」

 しかし、なかなか結果がついてこなかった。1年目は故障のため、一度も一軍に上がることなくシーズンを終える。

 2017年、最多勝を獲得した直後のインタビューで、菊池は当時をこう振り返っていた。

「2年目から一軍で投げるようになったんですけど、なかなか勝てなくて。特に3年目から5年目くらいのときは、ただただボールを投げているという感じだったんです。ただ、ガムシャラに投げていて、打たれたら『ああ、打たれてしまったな』で終わっていた。自分のピッチングについて、あまり考えていなかったと思います」

 高校生とは次元が違うプロのバッターに、苦戦する日々が続いた。

 そんな菊池を叱咤し、変えたのは入団2年めからバッテリーを組んできたキャッチャーの炭谷銀仁朗だった。

 炭谷は菊池に言った。

「もっと意図をもって投げないとアカンやろ」

「10勝10敗のピッチャーになるの? それとも15勝5敗で、勝ち星を貯金できるピッチャーになりたいの?」

「雄星は、どっちになりたい?」

 幾度も菊池に問いかけた。

両極端な投球を繰り返していた菊池。

 炭谷の目には、菊池は素晴らしい才能を持っているにもかかわらず、それを生かし切れていないように見えた。菊池の能力を買っているからこそ、もどかしく、厳しい言葉が炭谷の口をついた。

「当時は『今日は球威があったから抑えられました』とか『今日は球が行かなかったから打たれました』という、両極端なピッチングを繰り返していました。それで、ギンさん(炭谷)は、僕にそう言ったんだと思います」(菊池)

 遠征先での試合のあと、2人で話し込む機会も多かった。

 炭谷とのミーティングの成果もあって、菊池は徐々に「調子が悪いときにどう抑えるか」という、先発投手にとって重要な投球術を身に着けていった。

150キロへのプライドが邪魔をした。

 同時に炭谷との会話は、菊池が知らず知らずのうちに抱いていた自分に対する思い込みにも気づかせてくれた。

 それまでの菊池のセールスポイントは、150キロを超える速球だった。高校時代、甲子園では当時自己最速の154キロをマークし、ベスト4進出の原動力となった。当然、誇りもあった。

 炭谷は振り返った。

「雄星の本心はわからないですけど、高校の時のピッチングの名残もあるやろうし、せっかく速球という武器も持っている。だから『三振が取りたい』とか『スピードを出したい』という思いがあるんちゃうかなって思ったんです」

 その思いが菊池本人の足かせになっているのではないかと指摘した。

「2016年やったと思いますけど、一時、勝てへん時期があって、そのときに初めて雄星に『勝てるピッチャーになるにはどうしたらいいと思う?』と言いました。『奪三振王と最多勝、どっちが欲しいんや?』と言うと、雄星は目に涙をいっぱいためて僕の話を聞いていました」(炭谷)

 菊池は言う。

「いいときはいいけど、悪いときには試合を作れない。心のどこかに『僕はそういうピッチャーだからしょうがない』とか『今さら器用なピッチャーになんてなれない』という思いがあったんだと思うんです。半分諦めもあったり、一方で『150キロのボールが投げられるんだったら、そっちを武器にしていくしかない』という変なプライドもあった。

 でも、ギンさんにそういう話をたくさんしていただく中で、ひとつの投球の意図を考えるようになった。そうしたら不思議なことに自然とコントロールもよくなったんです」

 結果、菊池は2016年に12勝。2017年には16勝を挙げて最多勝利投手賞を獲得。炭谷とともに最優秀バッテリー賞にも輝いた。

苦しんだ時期こそが糧になっている。

「1試合の中にはターニングポイントが1度か2度、ありますよね。先制してもらったあととか、味方にファインプレーが出たあととか……。そういうときに『絶対に抑えるんだ』と力を振り絞ることができるようになりました」(菊池)

 武器である速球はそのままで、試合の中の『ここぞ』という勝負所に集中し、勝機を手繰り寄せる“コツ”のようなものを身に着けた。

 メジャー行きが決まった直後でも、思い返すのは「ライオンズで苦しんだ日々」だと菊池は語る。

「9年間、決して順調にステップアップしてきたわけではありません。最後の最後に優勝できたことはいい思い出ですが、勝った喜びより、結果が出なかったときに、もがきながら練習をしたこと。ケガしているときに周囲の人と励まし合いながらリハビリをしたこと。苦しんだ時期、もがいた時期のほうが不思議と強く心に残っています。いろいろなことがあったなぁ、と……。今となってはいい思い出ですが」

 順風満帆ではなかったと振り返る9年間が、決して回り道でなかったことを自らの活躍で証明してほしい。

「もちろん1年目から勝負ですし、今までの実績や経験は関係なくて、とにかく0からのスタートになります。アピールしなければいけない立場なので、開幕からローテーションに入れるよう、とにかく必死でアピールします。1年間通して日本の皆さんに僕のピッチングを見ていただけるように、ケガをしないでがんばりたいです」

 メジャーに憧れ続け、夢の舞台に挑戦する左腕の活躍を楽しみにしたい。

文=市川忍

photograph by Kyodo News


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