釜石は「ラグビー人口100%」。W杯開催地とラガーマンたちの絆。

釜石は「ラグビー人口100%」。W杯開催地とラガーマンたちの絆。

「震災の時に日本、そして世界中の皆さんから支援、そして応援をいただきました。元気になった姿をお見せしたいと思います」

 こう話すのは、釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局の長田剛だ。

 東日本大震災から約8年。被災した場所はきれいに整備され、人々には笑顔が戻ってきた。釜石市民の『心の復興』を担った一つがラグビー、そしてラグビーワールドカップ招致だった。

 開幕まで残り約8カ月。事務局、そして釜石市民は最後の準備にラストスパートをかけている。

3.11とシーウェイブスの力仕事。

 2011年3月11日。岩手県沿岸の釜石市は甚大な被害を受け、死者993人、行方不明者152人。多くの人が住居や学校、働く場所を失った。

 笑顔が消えた。

 目を背けたくなるような光景に長田の心もズタズタに引き裂かれた。だが、下を向いてはいられない。当時、釜石シーウェイブスの副キャプテンだった長田をはじめとした選手やスタッフはすぐに支援活動に取り掛かった。被災地での瓦礫の撤去などは諸事情で加われなかったが、避難場所での救援物資の搬入など力仕事を一手に引き受けた。

「今まで応援してくれた市民のみなさんのために、僕たちができることをしたい」

 その一心だった。それはチームの外国人選手たちも同じだった。心配した各国の大使館の職員が釜石を訪れ、外国人選手たちに退去を命じても、彼らは頑なに固辞し続けた。

「僕たちはここでやるべきことがある」

「One for all, all for one(1人はみんなのために、みんなは1人のために)」のラグビー精神が彼らを奮い立たせせた。

 毎日、毎日、力仕事を行う日々。チームの今後の活動など不安を感じる選手も少なからずいた。

「早くラグビーをしてくれ」

 震災から1カ月ほどが経ったある日、長田やほかの選手たちはこんな言葉をかけられる。

「もう支援活動はいいから、早くラグビーをしてくれ」

「あなたたちがラグビーをしている姿をみたい」

 被災し、多くを失った人たちからの言葉に、メンバーは心が震えた。

「ラグビーをしてもいいのかな、と思わせてくれたと同時に、釜石の人にとってラグビーがどれだけ大きな存在なのか再確認した瞬間でした」

 当時を振り返って話す長田の目は、心なしか潤んでいる。

「この街にシーウェイブスがある意味を感じたし、この街はラグビーで復興するんだ。そう強く感じました」

釜石でのプレーを決めたが。

 奈良県出身の長田が釜石に来たのは、ラグビーのためだった。

 天理高校からラグビー強豪校の帝京大学へ進学し、その後、関西のワールドファイティングブルに所属。しかし、2009年に経営状況などの理由からチームは休部になった。新たなチームを探していた長田に真っ先に声をかけてくれたのが釜石シーウェイブスだった。

 ラグビーの町、釜石には以前、新日鉄釜石という全日本7連覇を果たした名門チームがあった。だが経営状況の見直しにより2001年にチームはなくなり、その意志を引き継いだクラブチーム・釜石シーウェイブスが誕生していた。

 同チームについて長田はこんな印象を持っていた。

「将来性、そして可能性があるチームだと思ったので、迷わず釜石行きを決めました」

 釜石に向かう在来線で、長田は軽いカルチャーショックを受ける。

「電車からの風景が『世界の車窓から』みたいで。台風じゃないのに強風が吹くと電車が止まるんです。思ったよりも田舎でびっくりしましたね」

 街中をランニングすれば、手を振ってくれたり、「がんばってね」と声をかけてくれる。シーウェイブスの試合の応援には毎試合、市民が駆けつけてくれた。やっていけるんだろうか、という長田の心配は杞憂に終わる。

釜石の国技はラグビー。

 長田は釜石をユニークな言葉で表現する。

「もし釜石が1つの国だったら、国技はラグビーです」

 ケニアといえばマラソン、ジャマイカなら陸上の短距離のように、国を代表するスポーツがあるが、長田は「釜石=ラグビー」だと言う。そして、こう続ける。

「釜石のラグビー人口は100%です」

 市民全員がラグビー経験者というのは、さすがに無理があるのでは、と疑いの視線を向けると、長田は「釜石市民の100%が、ラグビー経験者を家族や親戚に持っています」と真顔で答える。

被害のあった場所にスタジアム。

 シーウェイブスに加入するまで、釜石についての知識はほとんどなかった。

「僕は自然、おいしい物、仲間がいるところに住みたい、ずっとそう考えてきました。でもそれまで住んだ場所には、その3つが揃ったことがなかった。釜石にはそれがあるんです」

 海と山に囲まれた自然あふれる土地、新鮮な海産物、そしてラグビーを通じて出会った仲間。「ラグビー人口100%」の釜石では、その仲間は一気に増えた。

 釜石の仲間は、長田が良いプレーをした時だけではなく、苦しい時も支えてくれた。長田は2012年に試合中に相手選手と衝突し、頭部に大きな怪我を負っている。危険な状態にあった際、釜石の人々は長田の回復を願ってくれた。釜石は、長田にとって運命の場所だった。

 昨年8月には試合会場となる釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムが完成し、釜石シーウェイブスの試合などがすでに開催されている。海と山、川に隣接した、風景と一体化した素朴なスタジアムだ。ワールドカップ終了後はラグビーだけではなくサッカーなど多目的に使われる予定だ。

「支援への感謝の気持ち」

 鵜住居地区は津波で壊滅的な被害を受け、悲しい思い出を持つ人も多い。しかしラグビー、そしてスポーツを通して、その場所に笑顔や明るい声が上がることを長田は心から願っている。

 同時に長田は釜石市民の気持ちを代弁する。

「ラグビーワールドカップという機会を通じて、震災の時にいただいた支援への感謝の気持ちを皆さんにお伝えしたいんです。そして釜石市民が元気になった姿を皆さんに見てほしいと思います」

 開幕まで約8カ月。事務局スタッフ、そして釜石市民は全力で走り続ける。

文=及川彩子

photograph by Ayako Oikawa


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