初J2・FC琉球の「新戦力」として。三上昴さんが池田純氏から学んだこと。

初J2・FC琉球の「新戦力」として。三上昴さんが池田純氏から学んだこと。

 横浜DeNAベイスターズの前球団社長として、さまざまなファンサービスで球場を満員にし、ベイスターズを日本屈指の人気球団へと引き上げた一方で、横浜スタジアムを買収し球団・球場の一体経営を実現させた池田純氏。

 2016年10月にベイスターズを離れてからも、Jリーグやラグビー、Bリーグなどプロスポーツの世界はもちろん、さいたま市や明治大学のアドバイザーを務めるなど活躍の場を広げる中、「スポーツを文化として、産業としてより発展させていくための人材育成」を掲げ、『Sports Graphic Number』と共同で2017年に「Number Sports Business College(NSBC)」を開講し、後進の育成を行っている。

 このカレッジ、現在は第2期が開講中だが、第1期の受講生で2018年秋、プロスポーツビジネスの世界に飛び込んだチャレンジャーがいる。11月26日付で、クラブ史上初のJ2昇格を決めたFC琉球の常勤取締役(事業統括)に選任された、三上昴さん(31)だ。

千葉ジェッツ・島田社長の言葉に感銘。

「11月23日、ホームゲーム無敗の成績を残した今年のFC琉球の集大成をみて、来シーズンのJ2の舞台での戦いを、この素晴らしい選手たちやスタッフのみなさんと一緒に挑めるのが楽しみです。

 とはいえ僕は、まったくの新参者、これまで積み上げてこられた先人の方たちの歴史の上にどれだけ新しいことを加えていけるかがチャレンジです」

 NSBCでは、どのようなことを学んだのだろうか。

「NSBCでは、毎回スポーツビジネス界の最前線で活躍する講師のプレゼンテーションや、池田さんとのクロストーク、受講生との質疑応答などのプログラムを通じて、いろいろな学びを得ることができましたが、特に印象深かったのは、Bリーグ・千葉ジェッツの島田慎二社長のお話です(https://number.bunshun.jp/articles/-/828226)。

 コンサルティングや代理店業務など、スポーツとは関わりのないところで活躍してきた島田さんが、赤字だったジェッツをBリーグ1の黒字クラブ、人気クラブへと押し上げた話を聞くと、自分がこれまで培ってきたビジネススキルを活かせば、スポーツビジネスの世界でもやっていけるんじゃないか、と勇気をもらいました」

一流外資系企業で働いていたが……。

 三上さんは、筑波大学理工学群社会工学類、筑波大学大学院システム情報工学研究科(MBAコース)を経て、ゴールドマン・サックス証券株式会社に入社。営業チームの一員として7年、国内金融法人向けに債権の運用を提案したり、超一流のビジネスフィールドで奮闘してきたキャリアを持つ。

 だが、三上さんの心の中にはずっと、スポーツがあったようだ。

「もともとサッカー少年で、高校のサッカー部では10番をつけていました。Jリーガーになりたくて、筑波大学でもサッカー部に入り、関東リーグ時代のSC相模原に練習参加していたこともありました。でも、プロへの道は厳しかった。

 大学の卒論は『サッカーリーグにおけるチームパフォーマンスの決定要因を探る』でしたし、大学院でもJ2の水戸ホーリーホックさんとの接点ができたこともあって、修論は水戸の経営改善のための課題提案。

 クラブビジネスにも興味はあったし、その世界をほんの少し覗いてはいたんです。でも、社会人になるときにけじめをつけようと思って、一旦はサッカーから距離を置きました」

モチベーションをお金に置くか、大義に置くか。

 社会人となり、家庭を持ち、外資系証券会社でハードな業務をこなす日々。

 やはりその中で、サッカーをやりたい、サッカーに関わりたい、という気持ちがどんどんと大きくなっていった。

「社会人2年目に、つくばのOBチームを作って社会人リーグに参加するようになりました。やっぱりサッカー、本当に楽しいんです。一方で、筑波大学サッカー部がスポンサーを募集するにあたって、プロモーションチームを作ろう、ということで、その立ち上げも手伝ったりしていました。そうしていくうちに、やっぱりサッカーの仕事に関わっていきたいな、と思うようになって……。

 それにある日、ふと気づいたんです。社会人になってから、僕は涙を流していないな、と。

 これはもう価値観の問題なんですが、働くモチベーションをどこに置くか、ということを真剣に考えなきゃ、と思いました。モチベーションを、お金に置くか。あるいは、大義におくか。

『大義』という言葉は、池田さんもよく話の中で使っていた言葉ですが、自分の仕事に大義があるかないかで、人生の彩りは大きく変わってくる。僕はその時、感動を人に与えたり、自分でも感動できるような仕事をしたい。大義のある仕事をしたいんだ、と改めて気付いたんです」

もっと具体的に目標とスキルを確認!

 NSBCの席で、池田さんに自分のもやもやとした思いを打ち明けたこともあった。でも返ってきたのは、思いがけなくも厳しい言葉だった。

「池田さんは、『そんな漠然とした思いで、何も決まってない段階ではどうにもならないよ』と真剣にアドバイスしてくれました。

 もっと具体的に自分のスキルがどこにあって、何がしたいのかを考えなければならないし、そもそも自分で動き出さないと、前に一歩も二歩も踏み出さないと何も始まらないことに、改めて気づかせてもらいました」

 三上さんは動き出した。もちろん第一希望はサッカー界で、日本サッカー協会のスタッフになることも視野に入れてはいたが、他のスポーツ業界であっても証券会社で培った財務系のスキルが活かせる場所があれば、と積極的に動いていた。そんな中で、FC琉球の話が突然舞い込んできた。

「知り合いを通じて、現クラブ社長の倉林啓士郎さんから熱心にお誘いをいただきました」

「上を目指すため、力を貸してほしい」

 倉林さんは、東京大学在学中に会社を立ち上げ、サッカーボールをはじめサッカー用品のビジネスや施設の運営などを行うかたわら、2016年12月に無償で琉球FCの社長に就任。一時は債務超過でJリーグのクラブライセンス継続が危ぶまれたところからの再出発だったが、管理費削減のみならず、観客もスポンサーも飛躍的に増やし、クラブ創設以来初めてJ2ライセンスを獲得するなど、上昇気流に乗っている状態だ。

 そして今、さらなる改革のために、外部に人材を求めていたところでの“出会い”だった。

「選手たちは本当に頑張っていて、J2昇格という大きな目標を成し遂げました。クラブ経営面でいうと、劇的に数字はよくなっているけれど、J1からJ3までの全54チームの中で言えば、まだ下から2番目くらいの状況で、クラブはもっと頑張らなければならないし、ここからもっと上を目指していくために、力を貸してほしい。

 倉林さんが東京と沖縄の往復で、沖縄を離れることも多いので、社長室長として常駐してもらい、これまで培ったスキルを生かしてほしい、と」

'22年にはJ1基準のスタジアムが沖縄に!

 沖縄に常駐、という条件は、ハードルにはならなかったのだろうか。

「実は僕の妻は、沖縄の宮古島出身。今度の勤務地は沖縄本島になりますが、毎年3回は帰っていましたから、これも何かの縁なのかな、と。しばらくは単身赴任ですが、来年の春までには家族を呼び寄せるつもりです。

 もちろん、大きなチャレンジです。収入も、正直に言えば半分以下になりますが、さきほど話した大義や感動を得られる仕事には大きな価値があるし、やりがいがあります。家族も理解してくれているので、思い切りやりたいですね」

 Bリーグの琉球ゴールデンキングス、昨年10月に開幕したTリーグの琉球アスティーダをはじめ、沖縄のプロスポーツチームとの連携も、積極的に模索していくという。

「ゴールデンキングスの試合を先日観ましたが、会場は大きな盛り上がりで、学ぶところがたくさんありました。

 2020年には沖縄市に1万人収容のアリーナもできますし、彼らは確実に僕達よりも前を走っている。

 でも、2022年には奥武山公園にJ1基準のサッカー専用スタジアムが作られる予定です。そこをホームにしていければ、もっと上にいける。沖縄でサッカーがより盛り上がっていく機運が高まっているのです。

 まずはJ2でのファーストシーズンに向けて、現状をしっかりと把握することから始めて、J2でしっかり戦える体制を作っていきたいと考えています」

文=瀬尾泰信(Number出版部)

photograph by Sports Graphic Number


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