吉田沙保里が引退を決意するまで。「キャスターよりバラエティの方が」

吉田沙保里が引退を決意するまで。「キャスターよりバラエティの方が」

 来場者約200名、スチールカメラ34台、ムービーカメラ28台、記者数69名。

 1月10日、都内のホテルで行われた吉田沙保里の引退会見は報道陣でごった返していた。過去にアマチュアレスラーが引退会見を行った例はあるが、ホテルの大広間を使って行われた例はない。レスラーとしては異例とも思える会見の規模は、吉田の影響力の大きさを如実に物語っていた。

 戦後、日本のレスリングは“お家芸”と言われ続けてきた。オリンピックになると、メダル量産を期待できるからだ。しかしながらスポットライトが当たるのはオリンピックの時のみ。それ以外でレスリングが注目される機会はほとんどなかった。

 日本レスリングの父・八田一朗はライオンと睨めっこさせたり、夜中に叩き起こして練習させたりする破天荒な指導で話題を集めた。いわゆる“八田イズム”だが、それは八田の「どんな手段を使ってでもレスリングをマスコミに取り上げてもらおう」という計算もあったうえでのパフォーマンスだった。

 そんなレスリングが置かれた状況を吉田は劇的に変化させた。

「キャスターよりもバラエティの方が」

 ロンドンオリンピックでV3を達成したあたりからテレビのバラエティ番組へ頻繁に出演するようになり、気がつけば彼女の顔を見ない日はないと思えるほど露出度の高いスポーツタレントになったのだ。

 もちろんそれは吉田が本来持つ「出たがり」という部分にも起因するのかもしれない。会見でキャスターへの転身を薦められると、吉田はやんわりと拒否した。

「私は結構バラエティとかそういうのが好きで、結構テレビにも出させていただいている。とにかく笑顔でいることが好きなので、キャスターというよりもバラエティの方が自分には向いているかなと思います」

日本の五輪の象徴だった吉田。

 選手としてのピークは2012年のロンドンオリンピックで金メダルを獲得した時だったか。試合後、日の丸をマントのようになびかせながらスカイブルーを基調にしたシングレット(レスリングの上下一体型ウェア)に身を包んだ吉田はマット上を疾走した。この場面はロンドンオリンピックのハイライトとして我々の脳裏に刻み込まれている。

 吉田に初めて陰りが見えたのは、2015年9月、ラスベガスで行われた世界選手権に出場した時だった。

 ソフィア・マットソン(スウェーデン)に2−1で辛勝して通算16度目の世界一に輝いたあと、吉田は涙を見せながら本音を口にした。

「負けるんじゃないかと不安だった」

 優勝した大会でこんな吉田の姿を見るのは初めてだった。忍び寄る衰えを実感したのだろうか。

 そして迎えた翌年のリオデジャネイロオリンピック。準決勝まで無失点で勝ち上がってきた吉田だったが、決勝ではヘレン・マルーリス(米国)が見せた徹底したタックル封じ(吉田の手を掴んで離さないなど、吉田がタックルを狙える距離を殺していた)に攻めあぐみ、4−1で敗北した。

「勝って当たり前」と世間も思っていた。

 引退会見で最も印象に残る試合を問われると、吉田は結果的にラストマッチとなったこの一戦をあげた。

「もう組んだ瞬間、圧力と勢いが本当にすごかった。私も4連覇したいという思いが強かったけど、あの時はやっぱりヘレンの『どうしても勝ちたい』という思いの方が強かったのかと思います」

 個人戦では206連勝をマークするなど、吉田にはつねに常勝というイメージがつきまとっていた。

 勝って当たり前。

 少なくとも世間はそう見ていた。

負け試合を異様なほど忠実に再現。

 ただ、面白いもので吉田には勝った試合について鮮明な記憶は残っていない。会見で筆者が「最後に会心のタックルを放ったのはいつか?」という質問を飛ばすと、彼女は首を傾げた。

「えっ、誰(が相手の試合)ですかね。ちょっと記憶にないです。タックルし過ぎて。ヘレン選手が最後に闘った選手ですけど、会心のタックルはできなかったのでその前(準決勝で)闘った時かもしれない」

 対照的に2008年1月19日、中国で行われた国別対抗戦の『ワールドカップ』で吉田はマルシー・バンデュセン(米国)のタックル返しにひっかかり敗北。連勝記録を119でストップされた一戦については、克明に覚えていたことを記憶している。

 帰国後、中京女子大(現・至学館大)で行われた会見で、吉田はまるで会場の天井に特製カメラを備えつけたがごとく、詳細に自分がやられた攻防を実演してみせた。

 一流アスリートであればあるほど、攻防の捉え方や記憶の仕方が一般人とは基本的に違う。この時ほどそれを実感したことはない。

「若い選手たちが世界の舞台で勝つ姿を」

 そんな吉田も、ついにマットに別れを告げる日がやってきた。

 迷いがなかったといったら嘘になる。案の定、昨年まで吉田は東京オリンピックを目指すかどうか悩んでいたと打ち明ける。

 引退を決意したきっかけのひとつとして次世代の台頭があったことをあげた。

「若い選手たちが世界の舞台で勝つ姿を多く見るようになり、女子レスリングを引っ張ってもらいたいという思いになりました。そして改めて自分自身と向き合った時にレスリングはもう全てやり尽くしたという思いが強く、引退することを決意しました」

 昨年、レスリングの強化合宿で現役の第一線と吉田がスパーリングする場面を目撃した。

 最初吉田はキャリアにものをいわせ、互角以上の攻防を見せていた。しかし、スパーの本数を重ねるにつれ失速。スタミナの差で守勢に回る場面が目立っていた。

「もう自分はやりきったと」

 会見では気持ちが作れなくなってきたことも引退する理由のひとつにあげていた。

「歳をとるにつれだんだんと体力が落ちてきたり、衰えたりする中で、『本気になったら』という思いもあったけど、やっぱり気持ちの部分がもう追いつかなかった。

 その時やり尽くしたという思いの方が強くなったので引退を決めました」

 昨年伊調馨が電撃復帰。全日本選手権も制した時には「伊調の活躍に刺激を受け、吉田も復帰しないか……」という淡い期待を抱いたが、吉田は「人は人、自分は自分」というスタンスを貫いた。

「もう自分はやりきったという思いの方が強かったので、(伊調の復帰にも)心は動かなかった」

 もうこれで十分だ。

 吉田に彼女の代名詞ともなった弾丸タックルを教え込んだ父・栄勝さんも天国から「本当によく頑張った」と声をかけてくれるだろう。

文=布施鋼治

photograph by Asami Enomoto


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