錦織圭対カレノブスタ、極上の陶酔。年に数試合しかない最高のテニス。

錦織圭対カレノブスタ、極上の陶酔。年に数試合しかない最高のテニス。

 四大大会では、1大会に2つか3つ、とんでもない試合がある。選手の心技体ががっちり噛み合い、格闘技のようなラリーが続く、いつ果てるとも知れぬ死闘だ。

 ある選手は黙々と、ある選手は喜怒哀楽をあらわすが、どちらもゾーンに入っている。なぜ、これほど強く自分を信じられるのか、その境地に達したことのない常人には到底理解不能な、ある種の陶酔状態でプレーしている。そんな試合だ。

 われわれ取材者でも、そんな試合を生で見る機会は多くない。登場人物はビッグネームとは限らない。舞台もセンターコートとは限らず、大会のクライマックスよりむしろ序盤や中盤にそんな試合が現出する。めったにないことだから、そんな試合にはやすやすとお目にかかれない。

激戦は静かにはじまった。

 幸運にも、そんな試合に出会えた。しかも一方の主役は日本選手。男子シングルス第8シードの錦織圭と同第23シード、パブロ・カレノブスタ(スペイン)の4回戦だった。

 最初は凡戦だった。錦織には序盤の逸機が痛かった。第1セットは第3ゲームと第5ゲームに相手サーブをブレークしたが、いずれも直後にブレークバックされた。錦織は正直に「もしも」を口にした。

「大事なポイントでうまくいっていれば、6−3か6−2くらいで(このセットを)勝てていたと思う」

 うまくいかなかったのは、必ずしも絶好調ではなかったからだろう。肩の力を抜き、リラックスを心がけているように見えたが、錦織は「焦りもあったのかな」とも明かした。

 立ち上がりに主導権を握れず、第2セットは序盤にブレークを許した。懸命に追いかけたが、ブレークポイントを生かせない。日本人の観客が多く詰めかけたマーガレットコート・アリーナに沈滞ムードが立ちこめた。まだ第2セットだったが、錦織自身に落胆の色が見えれば、巻き返しの難しさをファンも察知しただろう。

1セット取り返した後の小さなガッツポーズ。

 2セットダウン。上昇ムードの見られない錦織に対し、カレノブスタは次第に調子を上げていた。第3セットも第5ゲームでブレークを許した。いよいよこれまでか。

 だが、錦織は死んでいなかった。第6ゲームは40−15から追い上げ、ブレークに成功した。最初の2セットだけで約2時間を要し、錦織の足は重くなっていたが、それでも懸命にボールを追った。

 タイブレークで1セット取り返した錦織は、陣営に目をやり、握りこぶしをつくった。耐えた2セットのあとの宝物のような1セットだったが、感情を爆発させることはなかった。あと2セット取るぞ、という気持ちを小さなガッツポーズに込めているのが見てとれた。

相手の状態に感応、共鳴するのか。

 第4セットは錦織が取り、最終セットに入る。その最初の1ポイントが終わった瞬間、コート上のデジタルタイマーが「4:00」の数字を示した。これだけ死力を尽くして戦っても、両者の集中力が落ちないのが不思議だった。試合後、錦織が明かした。

「第5セットは、2人ともゾーンに入っていた」

 凍った湖のように滑らかで透き通るような精神状態、少しのぶれもなく、安定している状態だ。勝負の怖さとかおびえ、焦りを超越し、ボールと相手の動きに極限まで集中している。どちらか一方ではなく、両者ともそこに到達していた。

 こんな状況では、相手の状態に感応、共鳴するものなのかもしれない。冒頭に書いたように、四大大会ではごくまれに、こういうゾーンに入った者同士の戦いが見られる。

 第3ゲームでブレークに成功すると、錦織はジャグリングのようにラケットを放り上げ、落下してくる愛器のグリップを受け止めた。好調時に出てくるアクションだった。

 だが、勝利はまだ遠かった。5−4で迎えたサービスゲームでブレークを許してしまう。

「ちょっと落とすかもしれないっていうのは思っていたので、すぐに切り替えた」

 試合後、何ごともなかったように話したが、痛恨のブレークバックだった。この時点では、カレノブスタの気迫がやや上回っているように見えた。

ゾーンから転落したカレノブスタ。

 決着はこの大会から採用された10ポイント先取のタイブレークに持ち込まれた。タイブレークに強く、今大会の2回戦でも同じ状況でイボ・カロビッチを破った錦織だが、ここでは5−8と窮地に陥った。あと2ポイント失えば敗退。さすがの錦織も「やばいな」と感じていたという。

 ハプニングはここで起きた。カレノブスタのショットがネットに触れ、ライン際に落ちた。線審が「アウト」とコールするのと錦織がこれをクロスにたたくのが、ほぼ同時だった。ビデオ判定の結果は「イン」、線審の誤審だった。カレノブスタは主審にプレーのやり直しを求めたが、主審は線審のコールがプレーに影響しなかったとして、プレーは成立、錦織のポイントとした。カレノブスタは激高して抗議したが、主審は聞き入れなかった。

 カレノブスタには気の毒だったが、判定に瑕疵はない。錦織もカレノブスタも「イン」のつもりで動作を起こしており、「アウト」のコールは結果を左右していない。

 怒ったカレノブスタはこうしてゾーンから転げ落ち、結局、錦織が5ポイント連取でタイブレークを制し、8強入りを決めた。

 この場面を錦織側の視座に立てば、別の様相が見えてくる。運にも恵まれ6−8としてからのプレーは悪魔のようだった。絶対にミスをしてはいけない場面だったが、重圧のかけらも感じさせなかった。かえってリラックスし、楽にラケットを振った。

 そうして、7−8からのポイントでは、バックハンドのダウン・ザ・ラインという伝家の宝刀を抜くのである。心は熱く頭は冷静に。教科書のような、また、我々の心が躍るようなプレーだった。

テニスの陶酔を味わった。

 所要時間5時間5分は、この時点での大会最長となった。自身のキャリア最長試合でもあった。劇的な逆転勝利を振り返り、錦織はこう話した。

「タフになったなとは感じます。ラリー戦が多い中で、5時間、最後まで集中力を切らさずできた。5−8の場面はよく耐えた。経験や体の強さ、いろんなものが積み重なっている」

 よく知られているように錦織の最終セットの勝率はツアー歴代1位だが、この試合では、あとがなくなった0−2から3セット、時間で言えば約3時間も集中力を持続させた。耐えるだけではない。ゾーン状態のカレノブスタからポイントをもぎ取るには、最高のショットを続けなければならなかったが、それもやり遂げた。

 めったに見られない試合、そして、錦織のとんでもないプレー。テニスの陶酔を、見ているこちらも味わった。

文=秋山英宏

photograph by AFLO


関連記事

おすすめ情報

Number Webの他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

スポーツ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

スポーツ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る 動画一覧を見る

記事検索