米大学でプレーするテーブス海。「NBAが自分の視野に入ってきた」

米大学でプレーするテーブス海。「NBAが自分の視野に入ってきた」

 去年9月、日本代表の活動を終え、チームメイトより少し遅れて新天地ノースカロライナ大ウィルミントン校(UNCW)に到着したテーブス海を迎えたのは、文字通り“嵐”だった。

 ウィルミントンは9月半ばにハリケーン・フローレンスに襲われ、UNCWでも全校に避難命令が出されたのだ。

 テーブスはウィルミントンから250kmほど北にあるノースカロライナ州ダーラムの友人の家に避難した。当初は1週間ほどで戻れる予定だったが、ハリケーンによる洪水の被害が大きかったため、避難生活はさらに1週間伸び、その間、チームとしての練習をすることもできなかった。

 2週間たってもUNCWのコートが使えなかったため、チャペルヒルにあるノースカロライナ大のコートを借りて練習を再開。UNCWのヘッドコーチ、CB・マクグラスがかつてノースカロライナ大のアシスタントコーチだった縁のおかげだった。10月上旬にウィルミントンに戻ったときには、シーズン開幕がすぐ目の前に迫っていた。

 ほかのチームに比べて2週間出遅れてしまったわけだ。

 テーブスの場合は夏の練習に参加できなかったこともあって、この遅れは特に大きかった。波乱万丈の大学キャリアのスタートだった。

「プレーするよりも考えすぎてしまって」

「ここに来て避難しなくてはいけないなんて、まったく予想していなかったです」とテーブス。

「僕にとってはこれも、乗り越えなくてはいけないひとつのハードル。運が悪いのかどうかはわからないけれど、いつも何か乗り越えなくてはいけないことが出てくるんです。

 ただ、僕はそのおかげで成長してこられたと思ってもいます。いつでも練習しなくてはいけないこと、乗り越えなくてはいけないことがあったおかげで、満足することはなかったので」

 出遅れて時間が足りないなか、テーブスをチームのスターティング・ポイントガードに起用したいと考えていたコーチ陣は、テーブスにできる限りのことを教え込もうとしていた。

 チームのシステムを理解し、チームメイトを知り、さらに高校より一段高いレベルにも慣れなくてはいけなかった。

「最初のうちは、一度に色々と教えられて圧倒されてしまってました。プレーするよりも考えすぎてしまって、最初のころの練習ではあまりいいプレーができていなかったと思います。それでも、このときに多くを学んだことは、僕にとってプラスになりました。

 おかげで成長できたし、今の僕は、去年夏のジョーンズカップのときと比べても、まったく違う選手だと言えます」

開幕戦でスターターに抜擢!

 開幕戦前日、マクグラスHCから、開幕戦でスターティング・ポイントガードとして起用すると告げられた。その前のエキジビションゲーム(練習試合)2試合のうち、最初のクレムソン大戦では控えから出ていたが、スターターに選ばれるだけのプレーはできたという手ごたえはあった。実際に開幕戦のスターターに抜擢され、入学前から関係を築いてきたマクグラスHCが自分を信頼してくれているのも感じたという。

「(開幕戦に)スターターで使うとコーチから言われたときには、コーチが僕の能力を信じ、僕を信頼してくれているのだと感じられました。フレッシュマン(1年生)のときからスターターで出られることは、僕にとっても自信になりました。このチームでスターターになることは目標だったけれど、これだけ早く実現するとは思っていなかったので。コーチがそこまで全面信頼してくれるとも思っていなかっただけに、信頼してくれたことにはとても感謝している」とテーブスは言う。

 それだけの期待と信頼を担って始まったシーズンだったが、最初からうまくいったわけではなかった。

 開幕戦のキャンベル大戦で5本、2試合目のスタンフォード大戦では8本のターンオーバーを犯してしまい、チームは2連敗。テーブス自身、2試合で合計13本のターンオーバーは、いくら経験の浅い1年生選手だからといって、許される範囲を超えていると痛感していた。

「正直言って、スタンフォードの試合はきつかったです。あの夜、体育館を出るときは、本当に悔しくて。スターティング・ポイントガードとして8本のターンオーバーをしてしまい、敗戦の責任を感じていました」とテーブスは振り返る。

『Learn and advance(学んで、前に進むんだ)』

「試合が始まってすぐに最初の2本のターンオーバーをしてしまったんですけれど、今から思うと、そのために、その後のプレーを躊躇してしまっていました。受け身になって、『ターンオーバーをしてはだめだ』と考え続けてしまったんです。僕の場合、そうなると大抵、さらにターンオーバーをしてしまう傾向があるので……。そういったことを忘れて、自分の本能に従ってアグレッシブにやったほうがうまくやれるんです」

 試合後、テーブスは去年春まで所属していたノースフィールド・マウントハーモン高校(NMH)のコーチにテキストメッセージを打った。アドバイスを求めたのだった。

「(NMHの)コーチからは『Learn and advance(学んで、前に進むんだ)』と返ってきました。1年のときはすべてのことが新しいことばかりで、あまり考えすぎるわけにはいかない。学んで、次の試合に向けて前に進むように、次の試合では向上できるように努めればいいと言われました」とテーブス。

 テーブスにとってありがたかったのは、マクグラスHCが、ミスに対して我慢強いコーチだったことだ。最初の2試合で13ターンオーバーをした1年生ポイントガードを、マクグラスHCはスターターとして起用し続けた。

いつも以上に安全なプレーを。

 マクグラスHCはその理由をこう説明する。

「シーズン序盤の彼のターンオーバーは、いくつかのことの組み合わせだった。自分でやろうとしすぎていたり、ディフェンスしている選手の運動能力が高かったことなどが理由だった。だから、ターンオーバーについては、そこまで心配していなかった。数は減らしてほしいと思っていたけれど、時間をかけて、試合の経験を積めば自然と修正されるだろうと思っていた。実際に、その後の彼はターンオーバーの数を減らすことができている」

 シーズン3試合目のUNCグリーンズボロ戦で、テーブスはいつも以上に安全なプレーを心がけた。

「試合前、自分に『少し安全なプレーをしたほうがいいかもしれない。前の試合ほど攻めこまないほうがいいかもしれない』と言い聞かせていました。3試合続けてターンオーバー5本もするわけにはいかないので。その試合では全体的なスタッツはそれほどよくなかったけれど、ターンオーバーを3本に抑えることができました。それは僕にとって大事なことだったんです。必要なときにはボールをきちんと扱えることを証明する必要があったから」

2〜3本のターンオーバーは仕方がない。

 とはいえ、チームの戦力となるには、ずっと安全なプレーばかりしているわけにはいかなかった。

「UNCGの試合後、今度は『この試合ではターンオーバーを抑えることができたから、またアタックする姿勢に戻らなくてはいけない。賢く、それでいてアグレッシブにプレーしなくてはいけない』と考えました。誰でもその気になればボールをケアすることはできる。ただパスするだけなら、誰でもできる。でも、フルスピードでアタックして攻め込みながらも、それでいてターンオーバーを低く抑えるというのは、高いレベルのスキルと自信が必要なんです。

 この経験でひとつ学んだことは、アグレッシブにプレーしている限り、毎試合2〜3本のターンオーバーはするだろうし、それでも構わないということ。たとえば2点、5アシスト、0ターンオーバーよりも、10点、8アシスト、3ターンオーバーのほうがいいと、僕は思っています。チームが勝つためには僕がアグレッシブにプレーしないといけないんで」

 そこで、マクグラスHCにどんなターンオーバーならコーチにとって受け入れられるのかを尋ねてみた。

 すると、マクグラスHCは「アンセルフィッシュなターンオーバーなら気にならない」と言ってくれた。

 たとえばボールが滑ってコントロールを失ったり、チームメイトにパスをしたけれどキャッチできなかったというターンオーバーは気にすることはないが、ダブルチームされながら中に突っ込んでいってボールを失ったり、チャージングを取られるようなターンオーバーはいけないターンオーバーだというわけだ。

 そのことだけを意識してプレーするようになって、ターンオーバーを気にしすぎないようになった。と同時に、アシストの数も増えていった。

 1月27日現在、テーブスの平均アシストは7.8本。これは、NCAAディビジョンIにおいて、全米2位の数字だ。

チームメイトは「1年とは思えない」と。

 開幕からわずか3試合ほどの適応期間で、ディビジョンIのレベルに慣れて活躍するようになったテーブスを見て、チームメイトの中からも「1年とは思えない」との声もあがっている。適応に時間がかかる選手が多い日本人選手のなかでも特例のようにも思える。

 マクグラスHCはリクルートした当初、英語を流暢に話せるテーブスがアメリカ国外から来ている選手だとは知らなかったという。それぐらい、アメリカのバスケットボール・シーンに溶け込んでいた。

 しかしテーブスは、ここまでの道は簡単ではなかったと言う。

「ここまでくるのはまったく簡単ではなかったです。むしろ、自分では適応するのに長い時間がかかったと思っています。アメリカに来て最初の年、ブリッジトン・アカデミー高校での1年は、僕にとってひどい年でした。適応できなくて、うまくできない試合がたくさんありました。日本に帰ったほうがいいんじゃないかと思ったことも何度もあったくらいです。あの頃はこのレベルでプレーするのに十分な実力もパワーもなかったんです。

 それでも、我慢して続けました。何があろうとやり続けなくてはいけないと言い続けて。やり続けなければ次のレベルに行くことはできない。やめたら、それで終わりですからね。やり続けることで、少しずつ慣れていくことができました。

 アメリカに出てきてからの3〜4年の期間があったおかげで、この大学に1年生として入学した時点で準備が十分にできていたのだと思います。その前の3年で学んだことのおかげで、前よりは早く適応することができました。つまり、2〜3試合ではなく、3年と2〜3試合かけて適応したようなものです。まったく簡単ではなかったです。最初から英語を話すことはできていたけれど、それでもこのレベルに適応するのは大変でした」

「NBAに入れるように頑張ってみたいと決めた」

 開幕から3カ月近くたち、2月4日時点でテーブスは24試合に出場、そのうち23試合でチームのスターターを務めている。平均出場時間は30.3分と、すっかりチームに欠かせない存在だ。アシストは平均7.8本に増え、ターンオーバーは平均3.4本に下がった。試合は勝ったり負けたりで、まだ課題も多いが、それでも、テーブスはシーズンの目標は「カンファレンス優勝してNCAAトーナメントに出ること。このチームならそれも可能だ」と断言する。個人的には、カンファレンスの新人王を取ることが目標だ。

「新人王はシーズンが始まる前からの目標です。もし自分の仕事ができれば、そしてこのチームが勝つために貢献できれば、新人王の候補になれると思っています」

 大学の先の進路についても、最近になって大きな決断をした。

「これまで口に出して言ったことはなかったけれど、NBAに入れるように頑張ってみたいと決めました。前は自分がそんなことを言うとは思ってもいなかったし、そう言う自信もなかったけれど、今は、それが僕の目標だと言えます。最初にアメリカに来た時にはNBAはまったく目標ではなかったんです。アメリカで成長して、いつかBリーグでプレーできればと思っていました。今もBリーグでプレーしたいと思っているけど、でも、今アメリカで、アメリカの選手たち相手に自分がどれだけできるかを見て、NBAが自分の視野に入ってきました。

 誤解してほしくないのは、今の自分はまだ全然そのレベルにはないということ。でも、このペースで成長することができれば、チャンスがあると思えるようになりました。そう考えるようになったことで、自分の考え方や姿勢まで変わってきました。NBAに入りたいというのなら、これまでとはまったく違うレベルの努力やメンタリティ、自分に対する期待が求められるようになります。これまでとは違うレベルです」

「日本人でもできる!!」

 去年11月下旬、テーブスはツイッターに一言、「日本人でもできる!!」と書き込んだ。このツイートの意味をテーブスはこう語る。

「僕の経験を、日本のみんなにも伝える必要があると思ったんです。アジアのバスケットボール選手ということで、アメリカで多くの偏見や差別にもあったけれど、日本のみんながいつも応援してくれていました。

 あのツイートをすることで、どこから来ても、どんな人種であっても、自分自身の恐れを乗り越えることさえできれば、僕らはみんな自分のやりたいことをやれるだけの力を持っているんだと伝えたかったんです。

 僕は日本人であることに誇りを持っているし、コートに足を踏み入れるたびに、まわりから思われている以上にいい選手であるということを証明したいと思っています」
(『宮地陽子のGO FOR 2020 〜海外日本代表候補選手奮闘記〜』より(c)AKATSUKI FIVE plus+)

文=宮地陽子

photograph by Yoko Miyaji


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