マリノスから浦和移籍、山中亮輔。「運命的」な挑戦はリスク承知。

マリノスから浦和移籍、山中亮輔。「運命的」な挑戦はリスク承知。

 2019シーズンの浦和レッズが欲した新戦力は、日本代表クラスのタレントだ。中村修三ゼネラルマネジャーは、「天皇杯を制したことでACL出場権も得られ、各ポジションに代表クラスの選手を揃えないといけない。

 同時に先を見据え、年齢構成も考え、外国籍選手も含め「20代」であることにプライオリティーを置いて補強をしました」と新体制発表会で説明した。ACLと国内3冠を狙う、と口にするのは容易い。現実的に目標を達成しうる戦力を整えた。

 その1人が横浜F・マリノスから完全移籍で加入した山中亮輔だ。

 3バックと4バックに対応できて、日本代表クラスで左利きのサイドバック。宇賀神友弥や槙野智章が担ってきたポジションでもある。

年明けに届いた大型オファー。

 年明け、山中のもとに大型オファーが届いた。横浜残留が基本線だったが、浦和からの契約条件に本気度が示されていた。同時に横浜に対する誠意を示すために、「横浜の始動日」までに決断を下した。

「F・マリノスの始動日が早かったので、それまでには決めようと思いました」

 正式発表はまさに横浜の始動日の1月10日朝だった。

 山中が浦和行きを決断した理由は挑戦だ。あらゆる挑戦の連続によって現在の自分がいる。不安もリスクもあるが、ゼロからの挑戦によって這い上がってきたという自覚があった。

「F・マリノスに残れば、ある程度、試合に出られることが計算できました。ただ、そういった環境では自分の場合はプレーが良くなくなると感じてきました。厳しい環境で毎日、少しでも気を抜いたら(ポジションを)取られるとか、最初から試合に出られると決まっていない環境に身を置いたほうが、選手としてレベルアップできると感じました。

 簡単に試合に出られるとは思っていません。厳しい競争が待っています。それに勝って、しっかり活躍できるように頑張ります」

浦和で活躍してJで突き抜ける。

 その先には、Jリーグで突き抜けた存在にもなれるはずだという自分自身への期待を膨らます。

「レッズでしっかり活躍できれば、Jリーグでは突き抜けた存在になれると思っています。そういったレベルのプレーヤーまで行きたい」

 浦和のオズワルド・オリヴェイラ監督は4バック採用の可能性についても示唆していた。1月17日の始動日のあとの記者会見で、次のように語っている。

「(4バック採用の)可能性はあります。(山中をはじめ)新たな素材、ピースが加わり、彼らがどのように順応していくかを見ながら、4バック、3バック、あるいは使い分けていくのかを考えていきます」

 横浜での2シーズン目だった2018年、山中は「ゼロからの挑戦」のスタンスによって、急速に進化を遂げている。

山中に「やられた」浦和の記憶。

 浦和は昨季、山中にかなり痛い目に遭わされた。

 2018年3月18日のJ1リーグ4節、埼玉スタジアムでの浦和対横浜F・マリノス戦。この年に就任したアンジェ・ポステコグルー監督が「5レーン理論」に基づくポジショナルプレーに取り組んできた横浜だが、開幕から3試合勝てずにいた。

 一方、前年にACL制覇を成し遂げた浦和もまた開幕から2分1敗と勝ち星なし。どちらもシーズン初白星を掴むために必死だった。

 蓋を開けてみると、横浜はその新スタイルで“行ける”と手応えを掴む勝利を収めた。

 ボール支配率は横浜が62%対38%と大きく上回り、決定機も数多く作り出した。試合を決定づけたのが山中だった。

 81分、5レーン戦術でいう「ハーフスペース」を山中が突いて攻略。浦和の選手たちを引き出しウーゴ・ヴィエイラにスルーパスを通して、決勝点がもたらされた。

マリノスで得た新たな思考。

 一方、浦和にとっては痛恨の1敗だった。「スタイル=形」のなさを痛感させられた完敗だった。試合後、淵田敬三前社長は「私たちはサポートしていきます」と堀孝史前監督の続投を明言。しかしチーム状態は一向に改善されず、1カ月後、堀前監督は解任、強化体制も一新されて、現在のオリヴェイラ監督招へいに至った。

 山中の左足が浦和に激震を走らせた、とまでは言わないが、あのスルーパスは確かに新鮮なインパクトを残した。

 その試合後、山中は言った。

「2017年にたくさん試合に出ていたとはいえ、新たに監督が就任して、レギュラー争いは白紙に戻りました。監督の求めることができなければ試合に出られない。まず挑戦しようという気持ちでやってきました。監督を信じて取り組んできたからこそ、こうして成長を実感できています」

 ポステコグルー監督のもとで、山中は新たな思考を獲得したとも言っていた。

「試合中、常に1人ひとりの動きを見て考えています。今までになかった考え方。目が合ったからとかではなく、1つの動きに、自分も合わせて動こうと」

 未知なるスタイルとの遭遇と葛藤。そこを乗り越え山中は突き抜けていった。

トルコ行きを断念し、代表デビュー。

 夏にはトルコ1部リーグのバシャクシェヒルから完全移籍でのオファーが届いた。ただ山中と切磋琢磨し合っていた左サイドバックの下平匠がジェフ千葉に期限付き移籍していた。しかもチームはJ1残留争いに巻き込まれ、戦術にフィットしてきた山中を放出するわけにはいかなかった。山中はクラブからの強い慰留に応えた。

 さらに11月のキリンチャレンジカップ・キルギス戦で日本代表デビューを果たし、開始2分に代表初ゴールも決めた。

 ただ、その試合で負ったケガも、浦和移籍に少なからず影響したと言う。左ハムストリングを痛めて、その後、リーグ戦の欠場を余儀なくされた。

「もしも……ケガをせず、日本代表に選ばれ、アジアカップに参戦していたとしたら。多分、この移籍はしていなかったのではないかと思います」

6番といえば僕となれるように。

 たら、れば、ではある。ただ、そこがターニングポイントになった。山中は「運命的」だと言う。

「そういった運命的なものも、正直なところ感じています。再びあの舞台にまた戻れるように、レッズでしっかりやります」

 クラブから提示された背番号6は、柏ユース時代と柏のトップチームに復帰した2015、2016年につけていた番号だ。

「小さい頃からつけてきた番号なので、縁を感じています。『6番』といえば僕だと思ってもらえるように頑張ります」

 4月で26歳になる。浦和にはリオデジャネイロ五輪を目指した年代別日本代表で気が合った岩波拓也がいる。鈴木大輔は柏時代からの良き先輩で、千葉出身の長澤和輝とはともに食事してきた仲。「心強い限りです」というチームメイトとともに、「浦和 山中亮輔」が新たな戦いに挑む。

文=塚越始

photograph by Hajime Tsukakoshi


関連記事

おすすめ情報

Number Webの他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

スポーツ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

スポーツ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る 動画一覧を見る

記事検索