原巨人の知られざる的確な補強。メジャーで学んだ敏腕の履歴書。

原巨人の知られざる的確な補強。メジャーで学んだ敏腕の履歴書。

 1月の終わり、都内某所。

 空っ風から逃げるように待ち合わせのビルに駆け込むと、原辰徳氏と菅野隆志氏が待っていた。

 原氏は言わずと知れた巨人の監督、そして菅野氏は巨人のエース菅野智之の父である。東海大相模高野球部で筆者より1年先輩である原氏と、3年後輩の菅野氏との野球談議は、オフの帰国で最も楽しみにしていることだ。

 そんな「プチOB会」に、今年は1人の顔馴染みが招かれていた。黒のスーツに身を包み「読売巨人軍 国際部・統括部」と記された名刺を差し出したのは、アントニー鈴木(40)だった。

 通訳として2005年にパドレスで、2006年から昨年までマリナーズで、米国で計14年の研鑽を積んだアントニーに原氏が電話を入れたのは、昨秋に3度目の監督就任を公にした直後だった。原氏は将来を見据えたチーム作りの一翼を担える人物として、アントニーを球団に推薦している。

原が高校球児だった頃からの縁。

 原氏とアントニーの縁は、原氏が高校球児だった頃まで遡る。原氏は高校3年の夏の甲子園大会終了後、全日本選抜チームの主軸選手として米国遠征に参加。親善試合でハワイを訪れた際、ワイキキのホテルでギフトショップを営んでいたアントニーの父・淳氏と出会う。以来、巨人軍の優勝旅行やプライベート旅行の度に鈴木家と親交を深めてきた。

 巨人入団1年目の1981年オフ、原氏は日本一の優勝旅行でハワイを訪れた際にある物をアントニーにプレゼントしている。その時、彼は3歳だった。

「当時、日本で流行っていたファミコンをプレゼントして頂きました。(原氏が)僕を抱いたツーショットの写真と一緒に、今も大切に保管しています」とアントニー。

 時は経ち、2人は2009年の第2回WBCで侍ジャパンの監督とスタッフの1人として、ともに世界一を目指すことになる。

WBCで様々なアドバイス。

 原氏は10年前をこう述懐した。

「相手選手の情報はもとより、(メジャーリーグの)審判の癖やアピールすべきタイミングなど、幾つものアドバイスを受けてとても助かった。国際大会での不安はなくなり、自分の指揮に集中できた」

 原氏がWBCでアントニーに好印象を抱いたのは確かだが、これが直接、今回のオファーに結びついたわけではない。大会後も現場で知見を広げていたアントニーの歩みが、巨人軍の組織を構築する上で有益になると判断したからだった。

「これからのチーム作りやフロントの在り方において、アントニーがアメリカで培ったノウハウは必ず活性化を生むはず。だから、配属先を1つに決めずに動いてもらうことで球団とも一致している」

 アントニーと話をしていると、いささかも日本語の不自然さを感じない。単に流暢というだけではなく、湿気を帯びた日本の風土に根づく特有の理屈や態度などを十分に咀嚼し、理解している。

「野球を通じて日本独特の上下関係や礼儀を学びました」

日本の高校、大学野球部に所属。

 アントニーは幼い頃から日本のプロ野球選手たちと接する機会が多かったことで、「自分も日本でプロを目指したい」との思いが芽生えていった。

 高校1年の終わりに一念発起し、翌'94年に帰国子女の編入枠を設ける暁星国際高校(千葉県)に合格。ピントはずれの日本語が時にあだとなり、上級生の逆鱗に触れてしまうこともあったが、親を説得して来た異国の地で挫折するわけにはいかない。

 その負けん気はやがて、父と同じ浜松出身で親交のあった太田誠監督が率いる、駒澤大学野球部の門を叩く決心につながった。

「大学では外野のポジション争いと利き手の左手の指の怪我で試合にはあまり出られませんでしたが、日本の社会でやっていける自信がつきました」

 夢に描いたプロ野球選手の道は諦めたが、机上だけに依らない勉強を続けた日本語は敬語も難なく操れるほどに磨きがかかり、日本流の礼節を心得るまでになった。

イチロー、青木らをサポート。

 大学での4年間を生かすために、当時の大倉孝一コーチ(現・駒大野球部監督)に実社会での勉強を勧められ、外国のスポーツ機器販売やトレーナーの派遣を行う会社に就職した。

 高校、大学、社会人、プロ野球チームを営業で回るようになり、当時、近鉄の抑えを務めていた大塚晶文氏(現パドレス傘下投手コーチ)と出会うと、'05年に大塚氏の通訳としてパドレス入り。そして、'06年からはマリナーズで数々の日本人選手をサポート。昨年までマリナーズでイチロー、城島健司、岩隈久志、川崎宗則、さらに一時は青木宣親の通訳も務め、実践知を積み上げてきた。

「これまで先発、中継ぎ、捕手、内野手、外野手の通訳を担当させてもらいました。誰もが得られる機会ではなく、ポジション別の選手の気持ちや悩みを理解できるようになれたのは僕の大きな財産です」

 近年、アントニーは通訳の枠を超え、環太平洋地域のスカウティング部門のサポートもしていた。大谷翔平(エンゼルス)、菊池雄星(マリナーズ)、菅野智之、千賀滉大(ソフトバンク)、則本昂大(楽天)、涌井秀章(ロッテ)らを、マリナーズのジェリー・ディポトGMやスカウト担当者とともに日本で視察。彼らの観察眼や補強への道筋の付け方など、戦力整備の基本を見てきた。

“フレッシュデータ”の獲得。

 また、人脈を介して独自の情報収集にも努めてきた。

「例えば、試合に出ている捕手や投手に『今年、最もアウトを奪うのが難しかった打者は誰か』を振り返ってもらうんです。その理由を分析することで、既存のデータとは違う皮膚感覚を得られたりします。僕はこれを“フレッシュデータ”と呼んでいます」

 さらに、現場で選手の心情に寄り添ってきたことで、研ぎ澄ましてきた感覚も持ち合わせている。

「選手が体調面や家族のことで少しでも問題を抱えれば、プレーにも何らかの影響は出ます。フィールド外の不安や問題を少しでも軽減できるよう、親身になれる関係を作っていくことはとても大事なことです。当たり前ですが、野球は人間がするスポーツです」

 フロントとの一体化を図る上で欠かせない、現場を俯瞰する目と感性をアントニーは養ってきたのだ。

長期的なスパンがあるのでは。

「アントニーにはこの先ずっと、私の任期の間だけではなく、末長く球団をサポートしてもらいたいと考えている」と原氏。

 実績のある監督からの推薦を受けたことで、周囲から嫉視の的となる懸念もある。しかし、強靭な目的意識に貫かれたアントニーであれば、日本の社会の同調圧力も巧みに微調節して「出る杭」には決してなるまい。

 原氏は就任後のFA戦略で批判の矢面に立ち、ある報道では「近年目指してきた先進的な組織作りがムダになっている」とされ、GM制の廃止は「全権独裁だ」とまでの指弾を浴びている。

 しかし、アントニーへの「末長く留まってもらいたい」との言葉から見えてくるように、原監督が描いているのは急進的な「改革や転換」というよりも、長期的な「持続と発展」なのではないか。

 2月7日、宮崎のキャンプ地にいるアントニーからメールが届いた。

「日本のキャンプは練習時間が長くて大変です。いろんな部分でシステムが違う米国流をそのまま当てはめてもだめだと実感。ファームも見て、しっかりと観察していきます!」

 確かなのは巨人にとってアントニーの招聘が、将来を見据えた組織作りの一端を示しているということだ。

文=木崎英夫

photograph by Kyodo News


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